いわゆる「飛び石連休」の谷間の平日で、私は出勤するけれども休みをとる方もおられるかもしれないとの口実のもと、「きまぐれな日々」はお休みにして(飛び石連休明けの4日に公開して次は16日にしようか、などと考えているが、9日と16日になるかもしれない)、読書に時間を割くことにした。
今は、懸案にしていた樋口洋一の下記著書を読んでいる(半分過ぎまで読んだ)。その合間に、小林節と佐高信の対談を収めた新書本を読み飛ばした。こちらは軽い本なので、2時間くらいで読み終えた。
- 作者: 樋口陽一
- 出版社/メーカー: みすず書房
- 発売日: 2015/09/19
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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- 作者: 小林節,佐高信
- 出版社/メーカー: 平凡社
- 発売日: 2015/09/15
- メディア: 新書
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下記ブログ記事によると、樋口陽一の自己規定は「保守派」なのだそうだ。
樋口陽一東大名誉教授が国会前のデモに参加/合憲派学者が会見/集団的自衛権はフグ? | なか2656の法務ブログ(2015年6月20日)より
1.樋口陽一東大名誉教授が国会前のデモに参加
昨日(6月19日)、ネットのニュースなどを見ていたところ、なんと憲法学の重鎮である樋口陽一先生が国会前のデモに参加なさったとのことです。樋口先生は、デモの参加者の若者達に対して、つぎのように語ったとのことです。
『「人が支配」するのではなく、「法が支配」する世の中を一歩ずつ作ってきた。今権力を持っている人に9条に手をつけさせてはならない』
『(安倍政権は)過去の過ちに学ばず、第一、人間としてあまりに不真面目です。ポツダム宣言と原爆、ソ連の参戦の前後も知らない。砂川事件で集団的自衛権が合憲と言っているのが弁護士の副総理。』
著名な憲法学者が参加された例としては、本年6月5日の慶大名誉教授の小林節先生に続く例であろうと思われます。
樋口先生は戦前生まれの80歳を超えるお年であり、まさに重鎮です。また、スタンダードな憲法学者でありつつも、「保守派」であることを自認されており、そのような立場から多くの著書を出されています。
そのような立場の樋口先生が、安保関連法案に反対する国会前のデモに参加されたことを、政府・与党やマスコミ等は、重く受け止めるべきです。
安保関連法案は、60年代安保に匹敵する大問題であるとともに、日本の法律に関する歴史からみても、戦前の1930年代の、東京帝国大学の美濃部達吉教授に対して軍部が学問・思想の弾圧を行った天皇機関説事件、あるいは、京都帝国大学の滝川事件に匹敵するレベルの歴史的事件なのかもしれません。
また、これに関連して、全国の様々な分野の学者により本年6月に結成された、「安全保障関連法案に反対する学者の会」は、社会科学だけでなく人文科学、自然科学の分野の学者、そして多くの市民が賛同の声をあげているそうです。
この会の、安全保障関連法案への反対のアピールに賛同の旨の署名を行った学者は、6月19日の時点で実に5289名、市民は7186名にもおよぶとされています。
・安保法案 各界反対 学問の名において抗議 平和の舞台守る|東京新聞(リンク切れのためにURLは転記せず=引用者註)
樋口陽一が「保守派」なら、改憲派の小林節は「右派」だろう。また、長谷部恭男は樋口陽一と同じ「保守派」に分類されよう。しかし、この3人はいずれも安倍政権が強引に成立させた安保法に反対していた。つまり、自公だの安倍晋三にすり寄る橋下徹とその仲間だのは、憲法学の物差しを当てはめればいずれも「立憲主義を蔑ろにする『極右』」とみなされるのだ。
こう書くと、ネトウヨ(及び絶滅危惧種の「××信者」)にとどまらず民主党支持層(あの「お行儀が良くなきゃ嫌だ」君などもそうではないかと想像している)あたりからも、「極左のkojitakenから見れば、真ん中が右に見え、右が極右に見えるんだろうよ」と言われそうだが、私はもともと左翼から批判される立場のせいぜい「中道左派」なのだ。今の日本は、クーデターを起こしてそれに成功しつつある安倍晋三を4割もの人間が支持する、戦後では空前の「極右社会」であると言っても過言ではない。
現に、憲法学者としては右派に属するであろう小林節は、安倍政権が「クーデターをやっている」と指摘している。以下、小林節と佐高信の共著『安倍「壊憲」を撃つ』より。
小林 抵抗権というのは、基本的には武器を持って戦うことです。今は安倍さんの側、武器を持っている側が、権力者によるクーデターをやっているわけですけれども、彼は三割の得票率で七割の議席を取って威張っているだけですから、次の選挙で倒してやればいいじゃないですか。
もっとも同じ小林節が、上記の発言の少し前に、
安倍さんに対する抵抗権というのはわかりますよ。(前掲書80頁)
と言っていることにも私は注目した。小林節は「抵抗権というのは、基本的には武器を持って戦うことです」と言っているのだから、武器を持って安倍政権を打倒することを容認しているともとれるのである。
もちろん、平和裏に安倍政権を打倒するに越したことはないが、安倍政権とは何をやってくるかわからない、想像を絶するほど恐ろしい政権であると私は認識している。そこまでの危機感を持っている日本人はごく少数であろうとは思うが。
そう思っているから、「市民革命」という言葉を記事に書いたわけだ。ところが、この言葉を持ち出すやいなや、例の「お行儀が良くなきゃ嫌だ」君が敏感に反応して、「日本人は過激なのを嫌うから」などと言い出した。今、本当に過激なのは安倍政権だの橋下一派だのであるという現実が、彼の目には見えないのだろう。
そもそも、総理大臣が「私は総理大臣ですよ。だから私の言っていることが正しいんです」と国会の答弁で絶叫した時点で、この人間は立憲主義を全く理解していないという以前に何も知らない大馬鹿者であることがわかる。しかし、この馬鹿者に対する的確な批判の言葉を繰り出すためには「立憲主義」を知らなければならない。私は当時、この言葉の存在だけは知っていたものの、何も理解していなかったために、安倍が上記の暴言を吐いた時に、即座に「立憲主義」の言葉を用いて安倍を批判することができなかった。ただ感情的に反発したに過ぎなかったのである。
多くの日本国民も、私と同様に不勉強であろうと思われる。今こそ多くの国民が「立憲主義」を学ぶべき時ではないか。
樋口陽一は下記のように書いている。
安政条約(一八五八年)によって鎖国の日本に文字通り開国を「押しつけ」た当の相手のアメリカ合衆国に、幕府の使節が派遣されました。一八六〇年(万延元年)ですから、のちの新政権の大々的な使節団(久米邦武『特命全権大使米欧回覧実記』岩波文庫)が欧米諸国にわたる(一八七一−七三年)十年以上前のことでした。その見聞を、江戸幕府外国奉行・新見豊前守に随行した、仙台藩士の玉虫左太夫が書きのこしています(『航米日録』)。この青年藩士は、仙台の藩校・養賢堂の副学頭をつとめる逸材でしたが、やがて戊辰戦争の渦中の藩論の分裂と混迷の中で切腹して果てることになります。その彼は、上級の使節には必ずしも見え難いような、建国して一世紀を経ているかの地のデモクラシーと法の支配と、それを支えている精神を、読みとっています。「其国盛なのも亦故ある哉」。
いろいろ紹介したいところは我慢して、ここでの問題にもどりましょう。いわく、「会盟・戦伐・黜陟(ちゅっちょく)・賞罰等の事、衆と会議して、其見る処の多きを以て決す。縦(たと)ひ大統領と雖(いえ)ども。必ず一意を以て決して私を行ふを得ず」。――外交や宣戦、そして感触の任免(黜陟)や賞罰までも、政権の長が勝手にできず「衆と会議して」決めるのだということに、自国とくらべていち早く目をむけています。
「国例に至りては、衆部の行ふ処にして、縦令(たとい)大統領と雖ども、庶民と共に之を守りて犯す能はず」――「国例」つまり立法が「庶民」と同様大統領自身を拘束するものなのだ、と見抜いていることにも、あらためて感心してよいでしょう。何しろ、今なお、「法の支配」とか「法治主義」という言葉を、もっぱら「庶民」に向けて、「気に入らなくとも決まっていることだから従え」という意味で使う人たちが、私たちの周りに少なくないのですから。
いかがだろうか。幕末の幕府側の人間である玉虫左太夫の方が、今の安倍政権の人たちやそれを支持する人たち、あるいは「市民革命」と聞いただけで敏感に反応して震え上がる(おそらく)民主党支持者なんかよりもよほど進んだ考え方をしていたといえるのではなかろうか。こうした事実に接すると、テロリストのブレーン・吉田松陰を信奉する極右長州人が主導して行われた明治維新や、それにつながる長州人の末裔・安倍晋三の反動性に思いを致さざるを得ない。もっとも、同じ長州人ではあっても、伊藤博文が立憲主義を理解していた事実も樋口陽一が同じ本で指摘しているのだけれども*1。当たり前の話だが、問題は出身地ではなく個人(吉田松陰だの岸信介だの安倍晋三だの)にあるということだろう。
なお、私も子ども時代から「悪法も法なり」と称する俗論に接してきた。その誤謬を指摘したのは高校の政治経済の教師だったが、当時は(もしかしたら今も同じかもしれないが)、「法治主義」という言葉を「悪法も法なり」的な意味の言葉であるとして、それに対比して「法の支配」の意味を教える授業がなされていた。私も先日、このウェブ日記のコメント欄で法学専攻と思われる方から指摘されて知ったばかりなのだが、それは「法治主義」という言葉の本来の意味とは異なるとのことだ。
ところで、「法の支配」という言葉を間違った意味で用いたがる人間の一人がほかならぬ安倍晋三なのだが、安倍晋三はかつて「法の支配」と言わず、「法律の支配」と言っていたらしく、それを小林節が笑いものにしている。その部分を以下引用する。
小林 (前略)あの方が最初に総理大臣になったとき、『美しい国へ』(文春新書)を出しました。買って読んだんですけれども、びっくりしました。「法の支配」と書くべきところを、何度も「法律の支配」と書いて憚らない。「法の支配」とは、国会でつくった法律であっても、憲法という上位法に反してはいけないということです。法の支配とは、憲法の支配なんです。ところが、「法の支配」と言うべきところを、「法律(すなわち国会)の支配」と書いている箇所がいっぱい登場する。つまり、国会は憲法を無視する……です。ぶったまげました。屁みたいな本です。大学教授式に採点したら、これは〇点です。
僕が驚いた理由は、これはご本人が語ったものをそのまま本にしたのだろうと思いますが、彼の周りにそれを正せる知性と勇気のある人間がいないということです。要するに、あの方に「法律の支配ではなく、法の支配です」と言ったらまずい雰囲気があるということですよね。
私は安倍晋三の『美しい国へ』は「読まずに批判する」ことにしていたので、この件は知らなかったが、笑ってしまった。
なお安倍晋三の名誉のために書いておくと、安倍は今では「法の支配」と言っている。但し言葉の意味を知らないのは相変わらずだが。なぜそう断言するかと言うと、安倍は安保法案の国会論戦で「法の支配」という言葉を口にしていたからだ。憲法違反の法律を成立させようとする口実に「法の支配」という言葉を使ったのだから、それは誤用に決まっているのである。
*1:前掲書26-27頁