kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

立憲主義と「マルクス主義憲法学」と日本共産党と

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151102/1446414083#c1446442985

id:murharnstkt 2015/11/02 14:43
お気づきかとは思いますが、樋口陽一氏のいうところの「保守派」とはあくまで憲法学におけるポジションのことであって、戦後長く影響力を持っていたマルクス主義者との対比によるもので、これは自己規定であるだけでなく、学界で一般的に通用する位置づけのようです。たしか長谷部氏の新書にもそのようなことが書かれていたと思います。マルクス主義者は、憲法さえブルジョワ独裁の単なる道具にすぎないというのが根本認識でしたから、立憲主義を重視する者は全て「保守派」ということになります。
なぜ、こういう規定がいまだに通用しているのかは分かりません。皮肉なことに、国民の間で立憲主義に対する理解が足りなかったことの一因は、単純粗雑なマルクス主義者が教育に及ぼした影響にあります。マルクス主義者の中にも、上の根本認識を自分の世界観としたうえで、丁寧に広く法制度の解明を目指したカール・レンナーのような優れた法学者もいたのですが、それを十分に吸収できたのは例えば我妻栄であって、身も蓋もない言い方をすると、単に頭の出来の問題だったわけです。


この件に関して「それは知りませんでした」としらばっくれるわけにはさすがにいかない。なぜなら、「立憲主義 マルクス主義」を検索語にしてGoogle検索をかけると、この日記の下記記事が筆頭で引っかかるからだ。


もっとも上記記事は、私自身が立憲主義マルクス主義憲法学の関係について論じたわけではなく(そんな能力は私にはない)、上記Google検索で2番目に引っかかる、水島朝穂早稲田大学法学学術院教授が書かれた文章を引用したものだ(元の文章より、それを引用しただけのブログ記事が上に表示されるGoogle検索にも困ったものだ)。以下、水島教授の文章から、立憲主義マルクス主義憲法学の関係にかかわる部分を再び引用する。

直言(6.3) 『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)(2013年6月3日)より

『あたらしい憲法のはなし』からの卒業―立憲主義の定着に向けて(2)              2013年6月3日

(前略)実は、この『あたらしい憲法のはなし』で最も問題なのは、憲法が権力を制限するものだという立憲主義の視点がきわめて弱い点にある。この小冊子では、「憲法を守ってゆく」という表現が随所に出てくる。その主体は国だったり、国民だったりする。明示的あるいは黙示的に国民を主語にしたところが5箇所ある。例えば、「私たち日本国民は、この憲法を守ってゆくことになりました」「みなさんは、国民のひとりとして、しっかりとこの憲法を守ってゆかなければなりません」等々。これを読んだ生徒は、憲法は「私たちが守ってゆく大切な国のきまり」という理解に落ちつくだろう。

 この他にも、「守る」という表現は様々に使われている。国際条約を「まごころから守ってゆく」とあるし、人権を「守る」ということから、自由権の記述が薄い。「国家からの自由」(国家に対する自由)という面が理解しづらくなっている。国家機関に対しても、「みなさんは、私たち国民は、国会を、自分の代わりをするものと思って、しんらいするとともに、裁判所を、じぶんたちの権利や自由を守ってくれるみかたと思って、そんけいしなければなりません」と、「信頼」と「尊敬」が前面に出て、それをチェックするという視点はない。なお、国家に対する人権の尊重原則は立憲主義にも含まれるが、国民主権ないし民主主義原則は立憲主義と緊張関係に立つことも、この小冊子からはまったく見えてこない。

 結びの言葉は、「みなさん、あたらしい憲法は、日本国民がつくった、日本国民の憲法です。これからさき、この憲法を守って、日本の国がさかえるようにしてゆこうではありませんか」である。こうして、憲法は「私たちみんなが守るもの」と刷り込まれていく。実際、中学・高校でそのように先生に教えられてきたと語る大学生も少なくない。

 フジテレビのノンフィックス「第96条−国民的憲法合宿」に、慶應大学小林節教授と出演したが、参加した6人の市民は護憲3、改憲3と意見は真っ二つに分かれたけれど、6人とも、憲法が権力者を制限するものだと知らなかった。

戦後、日本平和委員会の復刻版が1972年11月3日に発刊された。それには、長谷川正安氏(名古屋大学名誉教授)の「解説」が付いている。きわめて政治的な解説で、日本国憲法とそれをめぐる状況の外在的な批判はあるものの、立憲主義についての理解を助ける叙述は皆無である。それもそのはずで、長谷川氏はマルクス主義憲法学の代表格で、立憲主義に対して当然批判的である。日本国憲法も階級支配の道具であり、その「民主的・平和的条項」は擁護の対象となるが、将来の「民主的権力」が自衛措置を行う際には、9条2項は改正の対象となるという理解である。いかなる権力も憲法に縛られるという発想をとらない以上、「解説」に立憲主義という言葉が出てこないのはある意味で当然だろう。(後略)


ところで、マルクス主義政党といえば日本共産党だが(同党自身は「科学的社会主義」と言っているが)、同党が提唱する「国民連合政府」は「立憲主義の回復」を掲げている。そしてなんと、佐高信氏との共著で「共産党に呼ばれたことはない」と明言していた改憲派憲法学者小林節氏と共産党志位和夫委員長が「意気投合」したことを、『しんぶん赤旗』が報じている。

小林節氏と志位委員長 「国民連合政府」で意気投合/“立憲主義回復はすべてに優先”/とことん共産党

小林節氏と志位委員長 「国民連合政府」で意気投合
立憲主義回復はすべてに優先”
とことん共産党

 日本共産党志位和夫委員長は28日夜、インターネット番組「とことん共産党」に出演し、ゲストの小林節氏(憲法学者・慶応大学名誉教授)と「戦争法廃止の国民連合政府」実現の提案について話し合い、何としても実現しようと大いに意気投合しました。日本共産党小池晃副委員長と朝岡晶子さんが司会を務めました。

 小林氏は番組冒頭でずばり、志位氏が提案(19日)した「国民連合政府」のよびかけについて「よくやってくれた」「わが意を得たり」と歓迎の意を表明し、「野党が選挙協力をきちっとやって国会の過半数を得られれば、彼ら(与党)が過半数を根拠に暴挙をしたことをチャラにできる。単純明快ですよ」と語りました。

 志位氏は、提案について、戦争法廃止、立憲主義を取り戻すということは、あれこれの政策課題とは次元の違う、国の土台にかかわる問題であり、「国民的大義」があると強調。こうした「非常事態」のときに、野党が大義を高く掲げ、政策の違いを横に置いて政府をつくる、そのために選挙協力を行うことは当たり前の事だと力説しました。

 小林氏も、野党結集の旗印について、「独裁政治をつぶして、立憲主義を立て直し、平和主義と民主的な議会制度というものを回復する。これがすべてに優先します」「(国民連合政府の樹立は)主権者国民が国を取り返すたたかいです」と表明しました。

 小林氏はあらためて、「今回、共産党の方から(他の野党に)歩み寄った。歴史的なことだと思う」とエールを送り、志位氏は「提案したからには何とか実らせて、実際にそういう結果を出さなければなりません」と固い決意で応えました。

 「国民連合政府」の実現の展望について小林氏が、戦争法強行成立後に同氏への講演依頼が逆に増え、講演会も立ち見が出るほど盛況となっているエピソードを紹介すると番組は大いに盛り上がり、志位氏は、「怒りを忘れないで、持続して発展させ、粘り強く運動を広げていきたいですね」と語りました。

 番組の最後で志位氏が「(野党の選挙協力で)強力な受け皿がはっきり見えたら、がらりと状況は変わると思います」と述べたことを受け、小林氏は「ぜひ倒閣のための野党政府をつくるたたかいに参加してほしい」と視聴者にメッセージを送りました。

しんぶん赤旗 2015年9月30日)


「国民連合政府」について私はこれまで何も書いてこなかった。共産党が「中道」にウイングを広げて「野党共闘」を呼びかけるのは、(毎日新聞の記者たちと違って)野党の分布が「右」の民主・維新・生活と「左」の共産*1とに二極分解していて困るよなあ(おおさか維新の会や次世代の党その他は「極右」だし、そもそも実質的な与党だから無視させてもらう)とずっと思っていた私にとって、歓迎できる面がある一方、危うさもあると感じていたからだ。

その理由として、共産党が「一枚岩」の体質を持つ政党であることが挙げられる。私はかつて「きまぐれな日々」で共産党が党首選挙を行わないことを批判した時、共産党支持者とみられる方から、「社民(主義を信奉する=社民党支持というわけではない)の人間が、科学的社会主義の政党のやることに口を挟むな」とコメント欄で言われたことがある。ふーん、そんなもんか、というわけで、以後共産党内の話には以後立ち入らないことにしていた。

しかし、共産党が「国民連合政府」を掲げるようになった今となっては、上記の姿勢は改めなければならない。同党に対して、どんどん注文をつけていきたいと思う。

現状では、いったいいつから共産党が「立憲主義」を標榜するようになったのかわからない(同じことは同党が掲げている「脱原発」についてもいえる。かつて共産党原発容認ないし推進派の政党であった)。たとえば、故長谷川正安*2氏が立憲主義を否定していた1972年にはどうだったのか。

一般に、共産党の党員や支持者は、同党の批判をすることがきわめて少ないためかどうか、共産党がいつから「立憲主義」を言うようになったのか、ネット検索をかけても全然わからない。そこで、ここは「無党派リベラル」の人間が(重い腰を上げて)疑問を提起していくしかないか、と思い立ったのであった。

*1:社民党については、小沢一郎衛星政党と化したあと衰退して今に至るふがいない姿に腹を立てているので、ここでは無視させていただいた。

*2:「長谷川正安 立憲主義」を検索語にしてGoogle検索をかけると、少し前まで立憲主義の批判派だったのに、今年6月4日に3人の憲法学者が安保法案を「違憲」と断じるや否や、あっという間に立憲主義の熱烈な信奉派へと劇的な転向を遂げた『世に倦む日日』の転向前のブログ記事(http://critic20.exblog.jp/24097740/)が筆頭で引っかかるが、そこには「長谷川正安の青版の『日本の憲法』も手元にあり、読み直したが、当然と言うべきか、立憲主義の単語も説明も一切なかった。」と書かれている。