結局今週は「きまぐれな日々」はお休みにした。日本共産党と「立憲主義」の話の続き。
http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151103/1446509876#c1446533923
id:pomme1919 2015/11/03 15:58
共産党が69年前の今日11月3日の現憲法制定時には政党として唯一反対したのはよく知られています。九条についても独立には自衛権と国軍の保有が不可欠と批判していました。ちゃんと調べたわけでないですが、共産党が現行憲法支持を綱領に掲げたのは60年代以降でしょう。さらに「護憲政党」としての旗色を明確にしたのは80年代半ばくらいからだったと思うのですが、今では(国民が廃止を望まない限りは)象徴天皇制を含む憲法の全てを擁護という立場を取るようになりました。
しかし、立憲主義を強調するようになったのは他の護憲派同様にごく最近、例の96条改正騒ぎあたりからではないかと思います。小林節との意気投合もこの頃からみたいで、ネットで見つけた2013年4月付けJCP京都の記事によると、小林節は当時の「しんぶん赤旗」日曜版一面に大々的に登場して「先日、東京・町田市で日本共産党の宣伝カーに出会うと、『憲法を守らせるぞ』と書いてあった。僕はすごく感激しました…憲法は国民が『守る』ものではなく、権力者に『守らせる』ものなのです。共産党にも、ここはがんばってほしい」と述べたそうです。
http://www.jcp-kyoto.jp/activities/2013/04/post-519.html
ただし、
>「共産党に呼ばれたことはない」と明言していた改憲派憲法学者の小林節氏
これは、共産党が立憲主義を理解していなかったからではなく、「九条改正絶対反対、違憲の自衛隊はいずれ解体へ」を掲げる同党にすれば、改憲派の小林節は敵認定だったからでしょう。ですから、最近の小林節氏との蜜月ぶりにはどうにも危うさを感じてしまいます。共産党が「立憲主義への理解」を深めたのではなく、例の「新九条」のような改憲論に取り込まれていくように思えるからです。
ところで、同党の「一枚岩体質」ですが、今回の「国民連合政府」構想も広く一般の党員の賛同と理解を得て決定したとはとうてい思えません。「安保(日米同盟)破棄」は共産党の党是のはすです。事実、数年前には「日米同盟を破棄して中立・非武装の日本を」と高らかに訴える同党のポスターをよく見かけたものです。いくら「党の基本方針は変わらない。あくまで連立政権に限って」と言われても失望した党員も多いのではないでしょうか。このような重大な路線変更が上意下達で成されてしまうことにも同党の問題がよく現れていると言えるでしょう。
さすがに「共産党が立憲主義を理解していなかった」とは私も思っていないのですが、「立憲主義」が共産党の憲法観ともともと整合するものだったのか、という疑問は持っています。
たとえば、「立憲主義 ブルジョア」を検索語にしてGoogle検索をかけると、共産党よりも「左」に位置する左翼からの立憲主義批判論を見出すことができます。彼らはその論理的帰結として「国民主権ではなく労働者主権であるべき」という、文字通りの(最近流行の「『専守防衛の自衛隊』を明確に位置づける」ことを狙ったいわゆる=池澤夏樹や加藤典洋らが言う=「左折の改憲」ではない)「左からの改憲論」を唱えており、そもそも「護憲派」の範疇に入りませんが。
で、1946年の現憲法制定時に「独立には自衛権と国軍の保有が不可欠と批判」していた共産党は、当時はそれと同様の「左からの改憲論」を唱える「改憲政党」だったとみなされます。共産党系、というか共産党員の憲法学者として著名だった故長谷川正安氏の岩波新書『日本の憲法』(1957初版, 1994第3版)には「立憲主義」の文字は出てこないそうで、長谷川氏は革命後は憲法9条について「真の意味での独立主権国家でしか自衛力は保持はできない」との自論を持っていたとのことです。
ところで、共産党が「立憲主義」を言うようになったのは、少なくとも2006年には遡れるようです。
はてなブックマーク - 立憲主義と「マルクス主義憲法学」と日本共産党と - kojitakenの日記 より
id:haruhiwai18
"立憲主義を強調するようになったのは他の護憲派同様にごく最近、例の96条改正騒ぎあたりからではないかと思います。" →立憲主義を否定する風潮に対する危惧であれば、2006年の段階であった模様:http://bit.ly/1Nadb6Q
上記コメントからリンクされている、新春対談/日本共産党委員長・志位和夫さん/一橋大学大学院教授・渡辺治さん/憲法守る国民の対抗軸を/政治の夜明けひらく年に(2006年1月1日)掲載の、志位和夫氏と渡辺治氏の対談に、「立憲主義」という言葉が出てきます。
志位 渡辺さんがいわれた構造改革との関係で、私の考えをいいますと、この「新憲法草案」*1は九条改憲が中心ですが、国民の権利にたいする制約、あるいは立憲主義の否定につながるような逆流的要素も入っているわけです。たとえば「公共の福祉」にかわって、「公益及び公の秩序」が人権制約の規定として入り、首相の一定の権限強化も入っています。こういう問題をどうとらえるか。
なお、同じ対談で渡辺治氏は下記のように述べています。
渡辺 民主党の「憲法提言」(昨年十月)もそうです。自民党政権の解釈改憲政策で憲法が空洞化し、九条と自衛隊のイラク派兵という実態が乖離(かいり)している。だからもっと守れるルールをつくらなきゃいけない、憲法を実態にあわせることによって立憲主義を回復しなければならないという議論です。この新手の改憲論は、九条を踏みにじってきた現実を逆手にとった議論ですが、私は二つの点で反対です。第一に、なぜ憲法と実態が乖離したらひたすら憲法を現実にあわせなければいけないのかという点に答えられません。第二に、この議論とは異なって、九条は死んでもいないし、ボロボロでもないという点です。この点にきちんとこたえていくことが、非常に大事な点だと思います。
上記は民主党の改憲案への批判ですが、いま話題の「新9条」にも当てはまるのではないかと思われます。
なお渡辺治氏は、故長谷川正安氏の思想から「立憲主義」が欠け落ちていることを手厳しく批判した水島朝穂氏との共編著書*2があり、かつて民主党左派の政治家(現在ではほとんどいないと思われる)との共闘を呼びかけたりしたこともあるなどして、「左」からの共産党批判者には非常に評判の悪い論者だったりします。