kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

力士の平均寿命

北の湖の死 - Living, Loving, Thinking, Again(2015年11月22日)より

それにしても、取的の寿命は短いなという印象はある。北の湖の62歳というのも現代人の感覚からすれば若死ということになるだろう。2010年に亡くなった初代若乃花花田勝治氏)は享年82歳だったが、その実弟貴ノ花は55歳で亡くなった。また、今年6月に亡くなった音羽山親方(元貴ノ浪)は享年43歳。その貴ノ浪を現役時代に苦しめた剣晃は1998年に僅か30歳で白血病で没している。統計学的には甚だ怪しい、取的は早死にするという印象の元になっているのは、やはり1971年に現役の横綱玉の海が27歳で急死するという事件だった。20代の現役選手が病死するというのは他のスポーツではあまりないでしょ?


ここに挙げられている玉の海と剣晃の死はショックでした。私も玉の海の急死によって「相撲取りは短命」と思うようになった一人ですし、剣晃は私が大相撲中継を見ることのあった最後の時期の力士で、私は力任せの相撲を取る貴ノ浪の取り口が憎たらしくて、その貴ノ浪を速攻で破る「悪役力士」剣晃のファンでした(同郷=相撲取りには珍しい大阪府出身=ですしね)。しかし、剣晃の場合は、

「汎(はん)血球減少症による肺出血」。白血病の一種で、日本でも剣晃さんを含め過去わずか4例、4000万人に一人という難病だった。

とのことなので*1、相撲取りであったこととは関係なさそうです。

さて、若くして病死したスポーツ選手としては、プロ野球では南海ホークス久保寺雄二(1985年心不全で死去、享年26)がまず思い浮かぶ。たまたま『ビッグコミックオリジナル』で読んだ水島新司の漫画「あぶさん」の印象が強かったせいもあるが。あと20代ではなかったし現役引退後だったが津田恒美(1993年脳腫瘍で死去、享年32)もいる。また、やはり「あぶさん」で印象深いダイエーホークス藤井将雄(2000年肺癌で死去、享年31歳)も思い出される。

しかし、プロ野球選手には長命の人も多いのに対し、長命の力士はあまり思い浮かばないのだった。

一昨年亡くなった大鵬は享年72歳だった。大鵬のライバル柏戸は1996年に58歳で亡くなった。1968年に亡くなった双葉山は享年56だった。双葉山の70連勝を阻んだ安藝ノ海は1979年に64歳で死去した。初代若乃花は82歳まで生きたけど、若乃花のライバル栃錦は64歳で死んだ。若乃花が長生きなのは、そっぷ型力士だったからかなあなどと思っていたが、同様の体型だった弟の貴ノ花は55歳で死んだ。もっとも貴ノ花はものすごいヘビースモーカーだったことが災いして横綱になれなかったばかりか寿命も縮めたのではないかとの説もある。

初代若乃花横綱としては史上2番目の長寿だったという。

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2010/09/01/kiji/K20100901Z00001130.html(2010年9月1日)より

心身疲労で短命多い横綱…花田氏は2番目の長寿

 若いころから激しいけいこで肉体を酷使した往年の大相撲の力士は一般人と比べて寿命が短いとされている。さらに負けられないという精神的な重圧を常に背負い、土俵に立つ横綱はなおさらだ。
 1日に82歳で死去した元横綱初代若乃花花田勝治氏は、歴代横綱では明治中期に綱を張り、83歳で亡くなった初代梅ケ谷に次いで2番目の長寿記録。花田氏は晩年も毎朝の散歩をほとんど欠かさず、大好きな日本酒もたしなんでいたという。「土俵の鬼」は生命力も強靱だった。
 昭和以降に横綱に昇進した力士は、80歳まで生きた鏡里を除けばおおむね50〜60代で生涯を終えている。不滅の69連勝を誇る双葉山は56歳、花田氏と「栃若時代」を築いた栃錦は64歳。「柏鵬時代」の柏戸は58歳で、最近では3年前の8月に先代佐渡ケ嶽親方の琴桜が66歳で急死している。玉錦玉の海と現役中に他界した悲劇もあった。
 花田氏の弟子で57歳の鳴戸親方(元横綱隆の里)は最高位の重みについて「真綿で首を絞められるような苦しみ。それは横綱昇進の瞬間から引退するまで続いた」と表現した。
 存命の歴代横綱で最年長は栃ノ海の花田茂広氏と、佐田の山の市川晋松氏の72歳。史上最多の優勝32回を誇る大鵬納谷幸喜氏が70歳、解説者として活躍する北の富士の竹沢勝昭氏が68歳で続いている。

スポーツニッポン 2010年9月1日 20:04)


それでは、力士全体の平均寿命はどうなのかなあと思ってネット検索をかけると、1980〜2002年に亡くなった100人の幕内経験力士について調べたという人が「Yahoo! 知恵袋」の質問に回答しているのがみつかったくらいだった。

力士の平均寿命ってどれくらいなんですか?北天祐、剣晃、栃赤城... - Yahoo!知恵袋(2007年5月25日)より

ベストアンサーに選ばれた回答

sakataka20さん 2007/5/25 11:51:17

単純に平均値を算出してみました。昭和55年から平成14年の間に死去された100人の幕内を経験された力士の平均寿命、正確には死亡時の年齢の単純平均値は63.6才で、最短は22才、最長は91才でした。この値は昨年度(2002年)の日本人男子の平均寿命の78.07才より15才近く短命と言うことになります。

それでも以前、日本人の平均寿命より力士の平均寿命の方が長い時がありました。例えば、明治時代は男子の平均寿命43才に対して力士は56才で長生きでした。明治時代の力士は身長170cm、体重100kg程度で、引退した舞の海関クラスが平均的だったのに対して、現在の力士会所属力士の平均は184センチ、159キロですから明らかに身長の伸びに対して体重が過大になっております。これを肥満度(BMI)で比較すると、明治時代の34.6に対して47.0で明らかに差が認められます。

従って、力士の寿命が日本人の平均寿命より短くなった最大の理由は過大な体重によるものと考えても良さそうに思えます。入門時に80kgそこそこの新弟子が数年後には倍の体重になるわけですから、急激に体重を増やすためにカロリー過多の食生活により、コレステロール値400、尿酸値10になることも珍しくないと言われ、その結果当然の成り行きとして痛風になりで関節を痛める力士が後を絶ちません。

大型力士の多い現代相撲では確かに100kgでは勝負にはなりませんので、体重を増やすのもある程度は止むを得ないと思いますが、初場所で二連覇した朝青龍は、身長184cm、体重124kg、肥満度36.6 で軽量力士であることを考えると、むやみやたらに増やすのではなくコレステロール、尿酸値、血糖値とのバランスを考えてあるターゲット以内に体重をコントロールすることが大切ではないかと思います。

このところ、大関まではいくものの怪我などで休場が多く伸び悩んでいる力士の身長、体重、肥満度を調べてみると、貴ノ浪(197cm 173kg、44.6)、 武双山(184cm、178kg 、52.6)、 出島(181cm、164kg、50.1)、千代大海(182cm、162kg、48.9)、栃東(181cm、150kg 、45.8)、雅山(188cm、179kg 、50.6)といずれも肥満度は悠に44を越え超肥満傾向が目立ちます。

体重過多による内臓疾患に悩んだ貴乃花(187cm、159kg、45.5)の事例を考えると肥満度で45ぐらいが限界のように思えます。肥満は万病の源ですから病的に肥満にすることで有利になるスポーツは健全な肉体を育むというスポーツ本来の理想から逸脱するものであり、もし部屋の親方が未成年のうちから病気と引き替えに肥満を加速させるような食生活を強いるとするならばいろいろと問題が出てくるように思います。

朝青龍の活躍はこうした行き過ぎた力士の大型化競争に歯止めをかけ、相撲本来の「柔よく剛を制す」の醍醐味をファンにアピールするきっかけになるような気がしてなりません。朝青龍の今後の更なる活躍が沈滞している日本人力士たちの再生に繋がることを期待します。

明治時代の平均寿命が43歳だったというが、当時は幼時の死亡例が多かっただろうし、たとえば20歳男性の平均余命の比較ではどうなのだろうかという疑問もある。また、それこそ玉の海急死の印象が強すぎるせいかもしれないが、最近ではむしろ力士も長生きして還暦を迎える人たちが多いなあとも思っていたのだった。上記も2002年までに亡くなった力士の話だし。私が嫌いだった北の富士は存命(73歳)だし。私が子どもの頃(主に70年代)の力士で醜名を覚えている例を一覧表*2を見ながら挙げてみると、元横綱では琴櫻(2007年没、享年66)、輪島(存命、67歳)、2代目若乃花(存命、62歳)、三重ノ海(存命、67歳)、元大関では清国(存命、74歳)、前の山(存命、70歳)、大麒麟(2010年没、68歳)、大受(存命、65歳)、魁傑(2014年没、66歳)、旭国(存命、68歳)、増位山(存命、67歳)となる。こう並べてみると、最近は一概に短命ともいえないような気もしてくる。

なおこの中では、2代目若乃花の車椅子姿に驚かされたのは数年前のことだし、輪島は喉頭癌の手術で声を失ったらしい。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151120/1448025202#c1448093988

id:carechi1964 2015/11/21 17:19
北の湖の死去に関し色々とゆかりのある人がコメントしている様がTVで放送されていますが、私は「なぜ(当時の)最大のライバルだった輪島のコメントを取らないんだろう?」と不思議に思っていたら、現在輪島さんは喉頭癌手術のために声を失ってたんですね。なんだかそれも残念です。


共同通信が輪島のコメントをとっています。下記スポニチの記事にはクレジットが記載されていないが、共同通信の配信。

http://www.sponichi.co.jp/sports/news/2015/11/21/kiji/K20151121011553330.html

北の湖理事長と「輪湖時代」を築いた輪島氏「先に逝かれて寂しい」

 北の湖理事長と現役時代にしのぎを削り「輪湖時代」を築いた元横綱輪島大士氏(67)が21日、かつてのライバルの急死について文書でコメントを寄せた。咽頭がんの手術を受けて発声が困難なため。訃報について「最近、理事長は元気だと聞いたばかりだったので、とても驚いた。お互いに病気と闘っていたが、先に逝かれて寂しい」とした。

 対戦成績は輪島の23勝21敗だが「運動神経が抜群だった。一度掛けた技は二度は通用せず、頭のいい力士だった」と説明。思い出の対戦には1974年名古屋場所を挙げた。千秋楽の本割、優勝決定戦と輪島が得意の下手投げで2連勝して逆転優勝。この場所後に北の湖横綱に昇進した。

 輪島氏は引退後、日本相撲協会を退職した。その後はあまり付き合いがなかったというが「偶然、ホテルのサウナで会い、『裸の付き合いだね』と笑った。その後食事に行き、酒は強かった」と懐かしむ。

 その縁もあり理事長からは毎場所、番付表が送られてきた。「昔のライバルが相撲界で頑張り続けていることが、とてもうれしかった。もらった番付表は全て取ってある」。そして「俺はもう少し頑張る。(理事長には)よく頑張ったね、お疲れさまと言いたい」と弔いの言葉を贈った。

スポーツニッポン 2015年11月21日 23:33)