kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

水島朝穂、石橋湛山、自衛隊、憲法9条、それに立憲主義

きまぐれな日々 立憲主義は「新9条」「左折の改憲」をも否定する(2015年11月30日)のコメント欄より。id:axfxzo(旅マン?)さんからいただいた。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1416.html#comment19184

もう二十年以上も昔になるが、日比谷高校の体育館でこちら側の人々のリレートークが開かれたのを思い出した。
まだ、黒田のオッチャンが元気で、元読売新聞記者として、あんな改憲構想をさらした読売の新聞社としての振る舞いが断じて許せないと、トーク後も、開場一般席からマイクで語っていた。
ジャーナリストの労組が主宰だった。石川真澄さんと廊下ですれちがい、『君も来てくれたか』と喜ばれたのも、懐かしい思い出。
そんな中で、異彩を放っていた学者がいた。
その方こそ(たしか、広大の先生だったはず)テーブルの上に大小様々なサイズの防弾の薬莢を並べながら、サンダーバードについて熱く語る、水島先生だった。
この人は、軍事研究…シビリアンコントロールについて…の人だったと記憶する。
コジタサンがよく紹介されている、この新書本はけっこう前に図書館で借りて読んだと思う。たしか、ノンフィックスなるフジテレビの話が記してあり、そこで例のこわもての教授と共に学生たちと議論合宿する下りがあったと思う。
また、所謂ひとつの左翼先生などが愛してやまない『あたらしい憲法の話』から縁を切れと、バッサリ書いていたはずで、この先生、センスいいなあと感心したものである。
水島先生が、左折とか(笑)、転向とかに無縁なのは言わずもがな。
要するに、頭がたしかな人ってことだ。サンダーバード構想には、その昔の石橋構想に通じる所もあるとは思うけど。(石橋は、九条の理想に肉薄させるべく、自衛隊を縮小させ、国際連合が機能するようになれば、自衛隊国際連合に荷担させる、そしてそもそも自衛隊の実質的な任務は災害救援にあるので、自衛隊をこの点からも質的な再編をやることで、国内外の信用勝ち得る云々…。『非武装中立論』なる言葉ばかりが先走り、あの本が出るうんと前に纏めた石橋構想は、あの戦闘的な左翼活動家どもが華々しかった時代にして、よく編み出せたものとは感心すらした記憶あり。石橋自身は、憲法九条の死守が絶対だったわけで、これは左折ではないと思うけど…)マル法とか、学生時代からエタイノシレナイもの…経済学ならば、あの曰く付きの先生の本、つまり、岩波ではなくて、大月書店の文庫本で学ばされたものですが、何故に法?…しか思えなかった私には、共産党が何年何月何日に、立憲主義がとか(正式に)語りだしたかは知らないが、少なくとも共産党の立場から生まれる代物かは?がつく主義でしょう。
それはそれとして。
ある意味、左側から…それはアカラサマな右側からのリベラル叩きにしたり顔で興じる、私、美人かも?みたいな何とか瑠璃なんかとはまるで異なり(笑)…頭の硬直化した左に批判を加えていた。
これからも、様々なアレッてことが起きるのだろうが…秘密保護法に賛同した長谷部先生の自民党へのヒトサシや共産党立憲主義擁護論とかはこの好例である!…真贋を見極めるべく、学び、視野を拡げることが肝要になろう。
伊藤塾の人や、御大;伊東光晴先生などが、今の私のライトハウス

2015.11.30 12:46 axfxzo-

「例のこわもての教授」とは小林節ですね。蛇足ですが、「何とか瑠璃」は「何とか瑠麗」でしょう。あれを「るり」と読ませるらしいですが。あの女がテレビ出演すると、私がかつて書いた下記記事へのアクセスが増えます(笑)。


それから調べてみると水島朝穂氏は確かに広島大学総合科学部助教授でした(1989〜96年)。よく覚えておられましたね。

水島朝穂教授の本はまだ図書館に返していないので、今のうちに上記コメントに関連する箇所を引用しておきます。


 憲法九六条――国民的憲法合宿」のこと

 八年前*1、わたしは、フジテレビ系『NONFIX』の『シリーズ憲法〜第96条・国民的憲法合宿』(長嶋甲兵プロデューサー)という番組に出演した(二〇〇五年三月三〇日放映)。
(中略)
 老若男女六人の一般の人たちが軽井沢で合宿して、慶應義塾大学小林節氏とわたしの講義を受けたのち、自分たちだけで議論する。彼らは全員一致の結論を出すまでは家に帰れない。これがルールである。「護憲」三、「改憲」三で議論は平行線が続く。ところが、「そもそも憲法とは何か」というセッションで流れが変わる。「憲法は権力者を制限する規範である」という点で、それまで、すべての点でことごとく対立していた小林氏とわたしが同意見になったことから、六人の議論にも変化が生まれた。

 合宿二日目、六人はついに全員一致の結論に達する。「国会議員によって提出される憲法改正案に対して、国民として態度を保留する。この態度を国民の側から表明することによって、より質の高い草案を提出させるきっかけにすると同時に、憲法は政治家が国民に押しつけるものではなく、国民が政治家の行動を監視する手段であるから、国民ひとりひとりが自分の考えや意見を持つことを期待したい」。六人は、憲法とは何か、改憲案の中身はどのようなものなのかをよく吟味するまでは、国会議員が出す改憲案に「いまは賛成も反対も表明しない」という結論を一致して選択したことになる。つまり原案否決である。(181-182頁)


下記は自衛隊について。

(前略)自衛隊はやはり日本の憲法の平和主義の下で、なんとか整合性を保とうとしてやってきたんですね。その結果、特異な環境のなかで独自の進化を遂げた生物のようになったわけです。普通は、軍隊というのは第一に国家を守るものであって、二の次にされる人名を守るためのものでは必ずしもありません。だから、国内では仕事をしない。ところが自衛隊は、普通科連隊の一個中隊が消防庁ハイパーレスキュー部隊と同じ装備を持って、国内の人命救助に当たります。

 こういう部隊がある軍隊は、世界にほかにはありません。それを国防軍という普通の軍にしてしまったら、自衛隊の特殊性、ガラパゴス的な要素はすべてなくなってしまうわけです。(中略)わたしの編著『きみはサンダーバードを知っているか』(日本評論社)という本は、こういった自衛隊の特殊性、人命救助・災害救助の機能を世界にも広めようという趣旨で書いたものです。サンダーバードというのは、むかし日本でもテレビ放映されていた英国の人形劇で、国境を超えて人命救助を行う究極の民間(富豪家族で運営しているので)国際救助組織です。(74-75頁)


水島氏の思想が石橋湛山に通じるというのは私も感じたことで、それはまた南原繁にも通じると思います。その南原繁を意識しながら「左折の改憲」を唱えるのが加藤典洋ですが、前にもノビー(池田信夫)のブログ記事を批判した時に指摘したように、南原繁もまた「9条2項護憲」を主張していました。つまり、加藤の自称(僭称)「左折の改憲」は、立憲主義の観点から認められないばかりか、南原繁石橋湛山の9条(2項)護憲論にも反するということになります*2

なお、共産党立憲主義の立場に立つようになったのかを執拗に問う私に対し、もしかしたら「国民連合政府の邪魔をするつもりか」とか、ひどい場合には2009年の「政権交代」直前に小沢一郎を批判する私に対して「小沢信者」が浴びせたような「自公の回し者」、あるいは今なら「民主党の回し者」なる陰口を叩く向きもあるかもしれませんが、私は共産党が連立与党に加わる意志があると認めて、トーマス・ジェファーソンの言う

自由な政府は、信頼ではなく、猜疑にもとづいて建設せられる。

われわれが権力を信託するを要する人々を、制限政体によって拘束するのは、信頼ではなく猜疑に由来するのである。

を実行しているに過ぎません。つまり「国民連合政府」のシャドー・キャビネットの閣僚たる共産党議員を想定して、彼または彼女に対する「猜疑」を申し述べているわけです。これが受け入れられない人間に「立憲主義」を語る資格はありません。同じ理由によって、既に小沢一郎なる特定の権力者を無批判に信奉している「小沢信者」は、そのことだけで既に「立憲主義」を語る資格を全く有しません。

今、「共産党はいつから立憲主義の立場に立つのか」という問い*3をうるさがる向きは、その態度こそ「国民連合政府」が「愛国連合政府」に変わる危険性を黙認するものにほかならないと指摘します。

最後にひとこと言っておくと、共産党にはオールド・リベラリスト石橋湛山を見習わなければならないことが一つあります。それは石橋の「小日本主義」です。共産党が今の「領土タカ派」のままなら、「国民連合政府」がいつ「愛国連合政府」に変わっても何の不思議もないと私は思います。

*1:本が書かれたのは2013年。

*2:もっとも加藤典洋は矢部宏治の9条2項改憲論に国連主義の歯止めをかけようとしている分だけまだ矢部よりはましかもしれない。矢部の主張は、もろ水島氏の懸念の対象になる。とはいえ加藤の自称「左折の改憲」論も立憲主義の立場からの批判は免れ得ない。

*3:ついでに書くと、つい最近まで『あたらしい憲法のはなし』をありがたがり、「昔ゃマルクス主義法学(藤田勇・長谷川正安・渡辺洋三)という一門があったんだよ。若い人は知らんだろが。」などとつぶやいていた某有名ブロガーが、長谷部恭男らが安保法案を「憲法違反」と断じるや否や、熱烈な「立憲主義」信奉者に転向した。あまりに瞬時の転向だったのであっけにとられたが、ブログのコメント欄でそれを指摘する人は誰もいなかった。もっとも指摘したところで管理人に承認されるはずもないが。まあ私自身、憲法学者の安保法案違憲論によってようやく立憲主義について目を覚まされたばかりの愚鈍な人間だから人のことは言えない。確かに長谷部恭男ら憲法学者による安保法案「違憲」論はあまりにも鮮やかではあった。