kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

湛山ではなく政嗣

とんだ勘違いをしてました(汗)

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20151201/1448925358#c1448946234

id:axfxzo 2015/12/01 14:03
共産党への、あなたへのこだわりは、私もかなり賛成です(笑)。
あの党の本質と所謂、立憲主義とは溝があるとみるのが筋。
また、どこぞのカルト政党と似たような面も否定できない。
つまり、宮本さんなり、不破さんなりが右手を挙げたらみんな…ってわけで、いくら『民主集中制』を理論武装したところで、それは非常に危なっかしい。
私はそれでも、日本共産党に批判票を入れるが、それは、少なくともこの状況下で、たとえそれが真に民主主義的なものでないにせよ、志位さんらの判断は、くそ民主党なんぞより頭がたしかなことを言っているから。比例で福島さんと書く可能性はかなり高いが、やはり批判票を共産党というのは、残念ながら妥当かとも思う。
さて、石橋湛山さんのことを指摘なさっていたが、その流れで(湛山自身は、まともなキャリアの持ち主だとも思うし…)考察されても、間違っていないのだが、私が書き込んだのは、石橋は石橋でも、石橋政嗣の方です。
違憲合法論で、左側からもナンセンスと叩かれた石橋政嗣だが、彼があの本をものす前に、自衛隊をどうしていくかをまとめあげた、所謂、石橋構想を指摘したつもりです。
憲法九条の死守が絶対で、この理想に常に近づけるべく、軍縮と兵器の査定などをしていく。
自衛隊の実質的な任務は災害救援にあるので、自衛隊をこの点からも質的な再編をやることで、国内外の信用を勝ち得るように努める。
⇒これは、水島先生の『サンダーバード構想』に通じるものあり!
あの、岩波文庫資本論を見ただけで(子分に翻訳させて、あざといことをやってのけた話は有名!)不快な気分になってしまう向坂などに引っ掻きまわされていた時代、兎に角、赤旗さえふるって叫んでいたら左派の活動家としていっちょまえとかって時代、まあ、こうした奴らの地道な活動も社会党の支えではあったのも事実だが
石橋政嗣は、左から理想と現実とに(左派活動家たちからの激しい突き上げの中で)格闘した。昨今の東京新聞で騒いでいた、奴らとは私には『左折』として同一視できない。
右翼どもは、非武装中立という言葉ばかりを攻め立てて、また、石橋さんのかな切り声型の反論も込みで、何だがユートピアなざれ言のように扱われてしまったが、私はかの新書本より前に纏めれたものを読んだので、そうしたバイアスに触れることもなかった。
要は、ネーミングが(一般向けには)ひどい。
右翼どもに餌食にされ、単純バカ左翼からはひなんごうごう!
ふと思う。
たとえば、ドイツ社民党のブラントさんとかが、悪党なのかと?
あれが左折の背徳者なのかと?
昨今の左折活動家のバッドセンスぶりと…その意味では、棚上げ万才の志位さんの方が、格上である(笑)…
石橋湛山でも、政嗣でも、理想と現実を問うたり、格闘した人と同一視できないな。


石橋湛山ではなく石橋政嗣さんでしたか。いや、『非武装中立論』が石橋政嗣さんの著書を指していることはわかりましたが、「社会党石橋政嗣非武装中立を唱えるずっと前に石橋湛山が……」式に誤読してしまってました。蛇足ですが『非武装中立論』は70年代末頃かなと思って調べてみたら1980年でした。私はこの本は読んでいませんが。「石橋構想」というのは、石橋政嗣さんのものだと言われても、「そう言えばそんなのがあったような気もするな」程度の記憶しかなかったので調べてみたら1966年。生まれてはいましたが政治に関心を持てるような年齢ではなかったので、そりゃリアルタイムで知らなかったはずです。ところで、「石橋構想」でググったら面白いものを見つけましたよ。

http://d.hatena.ne.jp/hiroharablog/20140721/1405884382#c1405923129

旅マン 2014/07/21 15:12
社会党は、社民主義とはナンタルカをひたすら体得しようとしなかったことに加え、自衛隊を合憲と『平和主義の立場から』堂々と断じられなかったから、あんなざまになったわけで…。
私は委員長になるだいぶ前の石橋さんのアプローチには、今でもなかなかのものだと評価はしている。『非武装中立論』が本になるだいぶ昔に纏められた石橋構想は、観念左翼の絶対平和論と同列視されたらいかんだろう。
自衛隊のレンジャー部隊化、九条の理念に向けての軍縮化、加えて国連のそっち系の活動に自衛隊を参加させるというノリの構想を、だ(笑)。岩波文庫の星二つレベルのやつで『勢いづいた』活動家連中が犇めいていた、あの時代によくぞまあ、出せたものだとも言いたい。
私がリアルタイムで覚えている石橋委員長は、かな切り声で絶対平和を叫ぶ(笑)、
正義の人って感じだが【アニメ『巨人の星』の主人公が通う高校野球部監督ないしは、PL学園監督に酷似しまくりだったなあ】、さらにさらに昔の江田ビジョンにせよ、この党が観念的な階級政党モドキから脱皮できる機会は複数あった。
言葉ばかりが認知された非武装中立論だって、社会党を憎む読売サイドなども、現実的だと理解を示していたではないか?
社会党の場合、成る程トップもバカなのだが、支持層がウルトラバカなのだと申し上げたい。
実際、政権に就いて自衛隊違憲、故に解散させると宣言できるか?
クーデター覚悟の闘争を やれるか?
自分たちが勝手に絶対平和、絶対正義と思い込み、江田にせよ石橋にせよ、現実路線ににトライしようとした政治家をセメアゲル。
江田は叩き出され、石橋はかな切り声を上げざるをえない(笑)。
そうして、本当にかな切り声を張り上げねばならぬ時に、ノコノコと細川政権に閣内参加した。
あの選挙、今の仕組みよりは民意が遥かに反映されている中選挙区制度で、唯一、議席を減らしたのが日本社会党だった。
熱心なパシフィストはもとより、それは無党派層の不審を増幅させた。あとは省くが、あそこで素直に反省して閣外協力にトドメ、小選挙区制度を全党一致で反対できなかったのが、この党のおしまいであった。
(後略)


ところで「国連のそっち系の活動」において問題になるのは、それが「戦争」であっては平和主義に反するのであって、あくまで「警察」の機能の範囲でなければならないということですね。もちろんこの意見は私のオリジナルでもなんでもなく、たとえば今読んでいる下記の本で憲法学者樋口陽一氏が指摘していることです。



この本のもとになった樋口氏と故井上ひさし氏の対談は1992〜93年、小沢一郎らが中心になって「政治改革」のバカ騒ぎをやっていた頃に行われたもので、当時お二人が嘆いておられた状況はさらに悪化し、今日では92〜93年とは比較にならないほど事態が深刻になっていますが、国連のPKOについて、樋口氏は下記のように指摘しています。

(前略)戦後世界でも国連安保理の五大常任理事国のさまざまな思惑が入り乱れた冷戦時代、国連自体が平和維持活動に動けなかった。だからこそ常任理事国以外のカナダやスウェーデンが中立的な立場で調停者を買って出ていたといういきさつがある。

 しかし、冷戦の幕が閉じると同時に、国連はアメリカの一極支配になって当事者として動き始めた。そのため中立的な立場をとれる国がいなくなるのです。(171頁)

 いまの国連は、国連憲章の条文の上では「戦争」という言葉を意識的に抹殺しながら、最終的な手段としては「兵力」の行使によって平和を維持するという構えをとっていて、「世界のお巡りさん」を自らもって任じています。

 本当はお巡りさんの仕事と戦争には二つの違いがあって、一つは、お巡りさんは悪者を捕まえて裁判にかけるのが目的ですから、よほどの例外を除けば、相手を殺したりはしない。一方の戦争は、相手兵力を殺傷すること自体が国際法上の権利とされる。

 もう一つ、お巡りさんは犯人逮捕の際に必要以上の乱暴を働いた場合、逆に裁判にかけられて裁かれる。戦争にそれはない。

 これを国連の兵力行使に当てはめた場合、実態は戦争そのものです。しかもその戦争の「正義」を決めるのは、国連の安保理事会、はっきり言えば、五大常任理事国のたまたまの一致です。それが果たして真の正義を保障するのか。少なくとも私は大いに疑問ですし、だからこそ中立的な立場が要るのではないかという結論になります。(172-173頁)


私はこのくだりを読んで、そうか、それで南原繁自衛隊の国連警察参加論には説得力を感じたのに、小沢一郎自衛隊海外派遣論には強い反発を感じたのかと腑に落ちた気がしました。南原繁は「第九条の問題」(1962)で日本の武装について「いわゆる戦争のための軍備でないことが重要」で、「将来の『国際警察』の観念につながる警察を前提として」、「単に名義だけでなく、警察的目的と機能から来たる必然の限界と程度がその行動の装備の上にもある」限界を定めた上で認める立場をとっています。また石橋湛山も「日本防衛論」(1968)で「国連警察軍」と、こちらは残念ながら(「読売キョジン」と同じように)「軍」の一文字がついていますが、警察の機能を念頭に置いた言葉を使っています。一方、小沢一郎は冷戦終了のすぐあとに起きたイラククウェート侵攻(1990)や湾岸戦争(1991)の頃、つまり「国連はアメリカの一極支配になって当事者として動き始めた」頃に、アメリカに牛耳られている国連の戦争に自衛隊を参加させようとしたわけで、これは南原繁石橋湛山の思想、それに1966年の「石橋構想」とは全く別物どころかそれらの対極に位置する、単に自衛隊を海外に派遣してアメリカにいい顔をしたいだけの妄動だったと断じるほかありません。当然、小沢は本音では自衛隊員が死のうが知ったことではないと思っていただろうと推測されます。そもそも、小沢はその直前には日米構造協議でアメリカに譲歩しまくった人間だし、何が「自主独立派」(by 孫崎享)だよ、と鼻で笑いたくなります。

小沢の悪口はこのくらいにします。

向坂逸郎は私も大嫌いでした。あの人が「ソ連命」だったことは有名で、当然ながら向坂一派(社会主義協会)は日本共産党とは反目し合っていましたが、憲法9条の平和主義はプロレタリア革命までの話、と考えていた点では向坂は戦後まだ日の浅い時期の共産党と共通していたようです。向坂が岩波文庫の『資本論』の翻訳を岡崎次郎に代筆させていたのを知ったのは比較的最近でした。ネット検索で叩いたら、一昨年10月の読売新聞記事(特別編集委員橋本五郎が書いたコラム)の画像を載せたブログ記事が引っかかりますが、この読売記事を読んだ記憶があるので、その時知ったのかもしれません。


立憲主義系の憲法学者たちは、もっともリベラル色の強い樋口陽一氏も、樋口氏よりはやや保守寄りに見える水島朝穂氏も、ともに憲法をめぐる政治の議論が不毛な左右のイデオロギー論争に埋没していることを批判していますね。以下再び樋口氏と井上ひさし氏の『「日本国憲法」を読み直す』から引用します。

樋口 (前略)日本の場合は、政治の表舞台で憲法が議論されるときは、たとえば、改憲派イコール日米安保護憲派イコール社会主義という単純すぎる構図でした。そんな二元的な議論しかやってきていないんです。

井上 憲法の大基本である「個人の尊厳」が表舞台で堂々と議論されたことなど記憶にもないですね。

樋口 その点が、これまで政治や論壇レベルでおこなわれてきた憲法論の大きな欠落部分です。改憲論争が盛んなドイツとの大きな違いが、実はそこにあります。ドイツでは一九五九年に、西ドイツの社会民主党が階級政党から国民政党への転換を掲げて「バート・ゴーデスベルク綱領」という歴史的な文書をまとめている。これには、当時の西ドイツの社会主義者たちが自由と人権、人間の尊厳など憲法上の問題と正面から向き合おうという姿勢を示す長い文章があります。

 が、日本の進歩派は当時、これを「労働者が資本に屈服した、けしからんことだ」と罵倒し、資本の側は「おまえたちも堅いことを言わないで、西ドイツを見習え」とほくそ笑んだ。両者とも労働運動の体制内化という一点に目を奪われて、自由と人権、人間の尊厳といういちばん肝心な部分を読み取れなかったということです。

井上ひさし樋口陽一『「日本国憲法」を読み直す』(岩波現代文庫,2014)152-153頁, 1993年5月6日の対談)


樋口氏は、立憲主義という共通理念が世界で共有されるようになったのは、ベルリンの壁が崩壊した1989年以降だとも言ってますね。1989年以前には、ヒューマン・ライツ(基本的人権)は東側諸国では「ブルジョアがプロレタリアを苛める道具、イカサマな言葉であると説明されていた」とも(前掲書159頁)。日本共産党の場合は、ソ連共産党とも中国共産党とも距離をとっていた、ないしは対立していたことが、1989年の天安門事件ベルリンの壁崩壊や1991年のソ連崩壊などの際に幸いして、今に至っているのだとは思いますが、それでも同党が昔から立憲主義を標榜していたとするのはどう考えても無理があって、そんなことは到底信じられないわけです。私は、共産党には立憲主義を掲げるようになった経緯や、権力への信頼よりも猜疑が求められる立憲主義と同党の運営に適用されている民主集中制とはどう整合するのかとの疑問などに関する説明責任があると考えます。ひとたび同党が「国民連合政府」を提唱したからには、共産党員ないし共産党支持者から「科学的社会主義の政党のことに社民の人間が喙をはさむな」などと言われる筋合いはもはやありません。ずっと「たしかな野党」のままのつもりだったら、私は何も言いませんけど、「国民連合政府」の与党になるというのなら、それ相応の透明性いうか情報公開が求められますし、また国民の側も共産党にそれを求めていかなければならないと思います。そういう態度をとっていかなければ、いつまで経っても日本に民主主義も立憲主義も根付きませんって。「堅いこと言うなよ」で終わらせては絶対にいけません。

とは言っても私もまた、選挙になると消去法で共産党に入れるか、さもなくば昨年の東京都知事選のように白票を投じるかしか投票行動がなくなっている人間です。しかし、共産党や同党の候補に「消去法で」投票することはあっても、今のままなら共産党を「支持する」ことは一生あるまいとも思っています。