kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

惰性について

辺見庸が昨日(12/8)の「日録」に

イナーシア(inertia)ってことばには以前から興味がある

イナーシアは物理学用語で、慣性,惰性,惰力だ。どうじに、「遅鈍、痴鈍」の意味もあるのはご存じのとおり。

と書いているけれど、「遅鈍、痴鈍」の意味があるとは知らなかった。だが、意外性は何もなく、さもありなんと思う。

私も、惰性ということばに以前から関心があった。人間社会を動かす最大の力は惰性力だと思っている。官僚機構は惰性で動く、とはよく言われることだが、日本共産党だって週刊金曜日だって市民運動だってみんな惰性で動く。私はある時から、一般人は官僚以上に惰性で動く度合いが大きいと思っている。人間が型にはまった考え方しかできないのは惰性力のためだ。ある時力が加えられて方向性が決まると、それに従って人々は動く。戦前の人々はなぜみんな天皇陛下バンザイだったのか。ある人たちは逆らうと自身の身が危ないと思ったからかもしれないが、当時の子どもたちの大半を含む多くの人たちは、みんなが畏怖しているテンノーヘーカを畏敬してたんだろう。この例に限らず惰性というのは恐ろしいもので、戦争だって惰性で動く。陸軍は8月15日になっても戦争継続を求めてクーデターを起こそうとしたくらいだ。

この記事ではなぜ反自民の政党が経済軸では「右」にあたる緊縮財政政策を志向したがるのかという問いに対して、坂野潤治がそのルーツが明治時代に民党(自由党立憲改進党など)が掲げた「経費節減・民力休養」にあると指摘したことを書きたかったのだが、早くも時間切れだ。帰ってからにでも書こうか。民党がこのスローガンを掲げて国民ウケしたのは、なんと1890年代から1900年代、つまり今から100年ないし110年も前のことだ。その惰性力が今も反自民系の政治家たちやそれを支持する人々を動かしている。

おそるべし、惰性。