kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

野坂昭如死去

原節子の死にも水木しげるの死にも文章にしたい意欲が湧かなかったが、野坂昭如の死には触れておきたいと思った。

http://www.asahi.com/articles/ASHDB3DK3HDBUCLV00H.html

直木賞作家の野坂昭如さん死去 85歳
2015年12月10日12時43分

 「火垂(ほた)るの墓」や「アメリカひじき」などの小説、「四畳半襖(ふすま)の下張」裁判やヒット曲「黒の舟唄」などで知られる黒めがねがトレードマークの作家、野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日午後10時半ごろ、誤嚥(ごえん)性肺炎からくる心不全のため東京都内の病院で死去した。85歳だった。葬儀は19日午前11時から東京都港区南青山2の33の20の青山葬儀所で。喪主は妻暘子(ようこ)さん。

 神奈川県鎌倉市生まれ。早稲田大文学部仏文科中退。63年、作詞した「おもちゃのチャチャチャ」が、レコード大賞童謡賞を受賞。68年に、敗戦と占領から日米親善という時代を生きる男の米国に対する屈折した心理を描く「アメリカひじき」と、終戦直後に栄養失調で亡くなった義妹をモデルに兄の記憶をつづりアニメ化もされた「火垂るの墓」で直木賞を受賞した。

 「焼け跡闇市派」を名乗り、歌手としてもデビュー、映画への出演やキックボクシングに挑戦するなど多彩な活動で話題を呼んだ。72年、雑誌「面白半分」の編集長だった時、永井荷風作とされる「四畳半襖の下張」を同誌に掲載、73年2月、わいせつ文書販売の罪で起訴され、80年に有罪が確定する。

 74年に参院選に立候補して落選。83年に参院比例代表区で当選するが、同年に辞職し、田中角栄元首相の衆院旧新潟3区から立候補。金権政治の打破を訴えたが、次点で落選した。

 97年に「同心円」で吉川英治文学賞、02年に「文壇」とそれまでの業績により、泉鏡花文学賞を受賞。戦争を忘れてはいけないという思いから、「戦争童話集」の作成に取り組んだ。

 「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」で人気を呼んだテレビCMや討論番組でもおなじみだった。03年に脳梗塞(こうそく)で倒れ、リハビリを続けていた。

朝日新聞デジタルより)


「ソ、ソ、ソクラテスプラトンか」のコマーシャルは1976年。私はリアルで見ていた世代だ。昨夜(12/10)の報道ステーションでも流してたな。
でもそれよりも、翌年あたりから読むようになった『週刊朝日』(と言っても金を払って買うことはほとんどなかった)の連載エッセイ「オフサイド77」(末尾の数字は西暦の下二桁で、毎年増えていった)で毎週野坂昭如の文章に接していた。昭和天皇が死ぬ前後の文章を読んだことも覚えているが、元号が代わってからの文章の印象はあまりない。だから、野坂昭如の死は、私にとって「また『昭和』が一人去っていった」という感慨を呼び起こすものだった。

オフサイド」には黒田征太郎のイラストがついていた。今年に入ってからも野坂昭如黒田征太郎と組んで絵本を出していた。

http://mainichi.jp/articles/20151211/k00/00m/040/109000c

野坂昭如さん
「戦前がひたひた迫っていることは確かだ」
毎日新聞2015年12月10日 21時43分(最終更新 12月11日 06時41分

 文学や芸能、政治など幅広い分野で多彩な才能を発揮した作家で元参議院議員野坂昭如(のさか・あきゆき)さんが9日、心不全のため死去した。85歳。通夜・密葬は近親者で営む。本葬は19日午前11時、東京都港区南青山の青山葬儀所。喪主は妻暘子(ようこ)さん。

          ◇

 タレント活動、CMソングから裁判に選挙まで、時代を相手に暴れ回った野坂さん。1983年には参院比例代表二院クラブから名簿記載順位1位で立候補し当選したが、同年田中角栄元首相の選挙区、衆院旧新潟3区から無所属で立候補、落選するなど話題には事欠かなかった。

 61年にコラムを書き始め、機知に富み痛烈なブラック・ユーモアにあふれる筆致で名をはせる。60〜70年代の若者の思想的、ファッション的リーダーの一人だった。

 派手な活躍の一方で、「骨餓身峠(ほねがみとうげ)死人葛(ほとけかずら)」「マッチ売りの少女」「自弔の鐘」など文学的成果では深みを見せた。独特な音楽的リズムを持った濃厚な文章で、日本の暗部をえぐり、死や闇をみつめた。

 「二度と戦争をしないことが死者への礼儀だ」−−。自身の戦争体験から生まれた「火垂るの墓」からもわかるように、野坂さんには反戦、反体制の強烈な精神が宿っていた。本紙朝刊の連載エッセー「七転び八起き」でも平和を訴え、13年に特定秘密保護法衆院強行採決されるや、すぐに「書きたい」と反応。東日本大震災を経ても続く原発依存に警鐘を鳴らし、日本農業の先行きを憂えた。

 戦後70年の今夏、黒田征太郎さんがイラストを手がけた「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」を刊行した。副題に「戦争童話集 忘れてはイケナイ物語り」とあり、常に弱いものの命を奪う戦争のありさまを伝える童話12話を収録した。

 亡くなる直前の9日午後3時半、「新潮45」連載中のコラムの原稿を編集部に送った。そこには「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」とあり、最後まで平和へのメッセージを送り続けた。【内藤麻里子】

下記は今年8月の毎日新聞記事。
http://mainichi.jp/articles/20150805/ddm/013/040/016000c

くらしナビ・ライフスタイル
不戦の思い、今もなお 野坂昭如黒田征太郎両氏で共著
毎日新聞2015年8月5日 東京朝刊

 一貫して反戦を訴えてきた作家の野坂昭如さん(84)と、イラストレーターの黒田征太郎さん(76)が戦後70年の節目として、共著で2冊の本を出版した。黒田さんは「71年目になったら終わりかよ、という気持ちがある。僕はずっと戦後だと思っている」と不戦への思いを改めて語った。

 2冊は「戦争童話集」(野坂昭如著)に黒田さんの書き下ろしイラスト約120点を添えた「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」(世界文化社、1728円)と、「教えてください。野坂さん」(スイッチ・パブリッシング、1296円)。

 戦争童話集は、1975年の出版。後に黒田さんがイラストをつけて「凧になったお母さん」として出版し、以降は2人が映像化に取り組んできた。今回は新たなイラストを黒田さんが描き添え、発表した。

 「昭和二十年、八月十五日」で始まる全12編に登場するのは、クジラ、オウム、ゾウなどの生き物、そして子どもたちだ。

 ●弱者に訪れる結末

 タイトル作の「小さい潜水艦に恋をしたでかすぎるクジラの話」では、体が大きすぎるために仲間ができずひとりぼっちで過ごし、死にたいとさえ思い詰めていたクジラが主人公だ。そこに現れた日本海軍の潜水艦を友達と勘違いして慕う。潜水艦の乗組員は死を覚悟し、遺書をクジラのしっぽに結びつける。

 日本の無条件降伏の後、米国の船からの爆雷に対し、「友達」の潜水艦をかばうように、クジラは一身に受ける。物語の最後には、こうつづられる。

夕焼けのような海です。

一面に、真っ赤な海です。

クジラの血潮に染まった海です。

その真っ赤な海に小さな潜水艦がポツンと、いつまでも浮かんで揺れておりました。

 物語に共通するのは、子どもや動物など弱い立場同士が、飢えや空襲のなか、助け合いながら生き抜こうとする姿だ。親と子ども、生き物たちの間に通う優しさと対照的に、戦争がもたらす残酷な結末が描かれる。

 ●想像力の大切さ

 「教えてください。野坂さん」でも戦争についてつづられている。同書は2003年に脳梗塞(こうそく)で倒れてリハビリ中の野坂さんと、黒田さんがやり取りした手紙に黒田さんのイラストを添えて書籍化したもの。黒田さんが送った約30の質問は、年とのつきあい方、男と女の違い、差別、国家、領土、徴兵制など多岐にわたる。

 その一つに、「せんそうははじまりそうでしょうか?」という質問がある。野坂さんは2ページ、25行の長文で回答する。

(略)人間は長いものに巻かれやすい。

長いものに巻かれていた方が楽だからだ。

つまり、自分の頭で考えなくなると戦争は近寄ってくる。

自分の頭で考えるためには、想像力を身につけなければならない。

戦争などあり得ないと思い込んでいるうちに、

気がつけば戦争に巻き込まれている。

戦争とはそんなものだ。

戦争ははじまりそうかと問われれば、

いつはじまってもおかしくないと答える

いや、戦争はすでにはじまっていると言ってもいい。(略)

 黒田さんは野坂さんの回答が長文だった理由を「永遠のテーマとして昭和20年8月15日がある人だから」と推察する。

 ●若い人こそ読んで

 約3年前、黒田さんは療養中の野坂さんを訪ねた。2人きりになった際に「いま書いている小説のテーマは何ですか?」と尋ねると、野坂さんに「昭和20年8月15日に決まっているじゃないか、ばか」とひと言返されたという。

 黒田さんもまた、今回の2冊の出版に特別な思いを抱く。「もう年も年。今回は絶対に広めてやろうと思った」と話す。若者やアイドル、子育て中の母親ら、これまで著作を知らなかった人たちにも手にとってほしいと考えている。「幼稚園児くらいの子どもを見ると、この子が20歳になった時にどんな時代を生きていくのかな、と考えるから」【西田真季子】


野坂昭如は人生最後の文章に「この国に、戦前がひたひたと迫っていることは確かだろう」と書いたそうだが、もう「ひたひたと」じゃないな、戦争前夜だよなと私は思う。今に、平和のために、日本経済のためにと称して日本は戦争を戦うだろう。野坂氏はそれを見ることなく亡くなった。

故人のご冥福を心よりお祈りする。