kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

ネット検索は「時間軸に沿った検索」に弱い

これから紹介する記事は、書き出しは良いのだが途中から論旨が明後日の方に行ってしまっている。書き出しの部分にしか読む価値がないので、その部分だけ引用する。

http://gudachan.hatenablog.com/entry/2015/12/24/222612(2015年12月24日)より

こんなことってありませんか

 ボンダイは最近、ある雑誌のことを検索しているとき、発狂しそうになった。

 みたかったのは有名タレントの特集記事だ。雑誌名も分かる。しかし、何年何月号の発行だかが分からない。その特集掲載があったことに気づいたのがなんせかなり後だったので、何年前かさえも見当つかないのだ。

 はあ?

 と思った。雑誌名を入力し、補助キーワードにその有名人の名前と「うろ覚えの見出しの中にあった語句」を適当に合わせても無駄である。「2010年8月号」みたいな具体的な名称を月ごとに片っ端から打ち込んでも、全く出てこない。

 こういう悪戦苦闘を40分くらいした末に、ふと、「そういえばこの雑誌のレビューをしていたブログがあったよな」と思いだし、ブログを探すと、案の定何の雑誌であるかがすぐにわかった。


 インターネット上の最大の問題はこれである。

 検索は万能ではないのである。「よくわからないけどとりあえず何かを知ろうとする人」にはいい。「確かに分かっている情報を調べてみる」ぶんにはもかまわない。しかし、「わかっちゃいるけどとっかかりが浮かばない」と途端に無能になる。

 こういうのだけはどうしようもないんじゃないかと思う。


 検索を過信するべきではないのである。(以下略)


今思い出したのだが、インターネットを使うようになって25年になる。自宅にインターネットをつないでからは18年になる。1997年6月に自宅にインターネットをつなぐようになってすぐに使ったのは検索エンジンだった。当時はGoogleではなくgooを使った。

その頃すぐに気づいたことは、ネット検索は現在話題になっていることには強いが、時間軸に沿った検索に弱いことだ。上記の引用文に、

「2010年8月号」みたいな具体的な名称を月ごとに片っ端から打ち込んでも、全く出てこない。

とあるが全くその通りで、たとえば1997年から10年前である1987年に新聞で読んだ記憶がある事件について検索をかけても結果は得られなかった。ネット検索は、過去の特定の時点を指定した検索に極端に弱い。そのことは、インターネットを自宅で始めた18年前に既に気づいていた。

さらに言うと、過去に起きた事件についてどういう議論がなされていたかについて調べることもネット検索では難しい。

それは、上記に引用したブログ記事が長々と論じている「都市に生きていない」問題なのではない。「都市に生きていない」問題など噴飯ものであって、地方を知ろうとしない人間に政治や経済や社会を語る資格などない。そうではなく、過去を知り、過去から現代までの流れを把握し、未来を展望するという行為は、特に意識してそれを行おうとしない限りできないという問題なのだ*1

そんなわけで、紹介したブログ記事は、最初の問題提起だけは良いのだが、原因の把握に問題があるため、その後の論旨が明後日の方向を向いてしまっていると思った。

*1:だから、西洋では17世紀のジョン・ロックの時代以来、日本でも19世紀の明治憲法制定前後以来、ずっと課題になってきた立憲主義を踏みにじろうとする安倍晋三橋下徹のような政治家の行為を、歴史をふまえて批判する認識がなかなか広まらない。これはなにも日本だけに限った話ではなく、前世紀のドイツでもドイツ国民はヒトラーの暴走を許したばかりかこれを熱狂的に支持した。