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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

東電原発事故5年を目前にして高浜原発の運転を差し止め

そういや東日本大震災の日に起きた東電原発事故からもう5年にもなるのだった。今年は区切りの年であるとともに、3.11は5年前と同じ金曜日だ。

高浜原発:運転差し止め 稼働中、初の仮処分 大津地裁 - 毎日新聞

高浜原発
運転差し止め 稼働中、初の仮処分 大津地裁

毎日新聞 2016年3月9日 15時49分(最終更新 3月10日 01時03分)

 関西電力高浜原発3、4号機(福井県高浜町)を巡り、隣県の滋賀県内の住民29人が運転の差し止めを求めた仮処分申請で、大津地裁(山本善彦裁判長)は9日、「安全性が確保されていることについて(関電側は)説明を尽くしていない」などとして、申し立てを認める決定を出した。3号機は原子力規制委員会の新規制基準に適合したと認定されて1月末に再稼働したばかりだが、仮処分は即座に効力が発生するため、関電は10日、停止作業を始める。稼働中の原発の運転を停止させる仮処分決定は初めて。

 関電は決定を不服として、保全異議申し立てと仮処分の執行停止の申し立てを同地裁にする方針。しかし、判断には一定の期間がかかるため、いったん原発を止める。10日午前10時に着手し、午後8時ごろに停止する予定。その後は、どちらかの申し立てが同地裁に認められない限り、3、4号機は再稼働できない。

 申し立てた住民は避難計画の策定が必要な30キロ圏の外に住み、原発事故が起きると平穏な暮らしが侵害されるなどと主張していた。決定で山本裁判長は「福島第1原発事故を踏まえ、原子力規制行政がどのように変化し、原発の設計や規制がどのように強化され、この要請にどう応えたかについて、関電は主張を尽くすべきだ」との考えを示した。

 その上で電源確保などの過酷事故対策や、耐震設計の目安となる地震の揺れ「基準地震動」の算定方法などについて「危惧すべき点がある」と判断。さらに津波対策や避難計画についても「疑問が残る」などとし「(住民たちの)人格権が侵害される恐れが高いにもかかわらず、安全性が確保されていることについての説明が不十分」と結論付けた。

 新規制基準についても「災害が起こる度に『想定を超える』災害であったと繰り返されてきた過ちに真摯(しんし)に向き合うならば、対策の見落としにより過酷事故が生じたとしても、致命的な状態に陥らないようにすることができるとの思想に立って策定すべきだ」と言及して規制委の姿勢を批判。原発事故による被害は甚大で「環境破壊の及ぶ範囲は我が国を越えてしまう可能性さえあり、発電の効率性と引き換えにすべき事情はない」とも述べた。

 高浜3、4号機を巡っては、福井地裁が昨年4月に再稼働差し止めを命じる仮処分決定を出したが、同12月の異議審で同地裁の別の裁判長が仮処分を取り消した。地元同意の手続きが完了していたため、関電は3号機を今年1月29日、4号機を2月26日に再稼働させた。4号機は同29日に再稼働したが、直後のトラブルで原子炉が緊急停止したままになっている。【田中将隆】

解説 再稼働、国の姿勢を批判

 稼働中の原発の運転停止を命じた9日の大津地裁決定は、東京電力福島第1原発事故から5年がたとうとする今も、国民の不安が払拭(ふっしょく)されていない現状を司法が代弁したといえる。政府は司法の警告に真摯(しんし)に応える責務がある。

 関西電力高浜3、4号機の再稼働差し止めを巡る大津地裁での仮処分申請は2度目で、山本善彦裁判長は2014年11月、最初の申請を却下した。避難計画が策定されていないことなどを挙げ「原子力規制委員会が早急に再稼働を容認するとは考えがたい」と結論付けた。その際も基準地震動について「直近のしかも決して多数とはいえない地震の平均像を基にすることにどのような合理性があるのか」などと問いかけていた。

 今回の決定は、前回示した懸念に関電側がきちんと答えないまま再稼働したことを厳しく批判し、国への不信感をにじませた結果といえる。原発再稼働の根拠そのものを疑問視する司法判断は、昨年4月の福井地裁決定に次ぎ2度目。別の裁判所が同じ結論を導いた意味を政府や電力会社は重く受け止めるべきだ。【村松洋】

毎日新聞はこのように報じたが、読売、産経、日経などの原発推進勢力のメディアは大津地裁のこの決定に怒り狂っていた。

しかし、私は「こういう決定もそりゃ出るよなあ」と思った。

原発再稼働は、正力松太郎中曽根康弘の時代から続く「惰性力」が今なお働いていることを意味するが、5年前の3.11に起きた東電原発事故とそれに続く中部電力浜岡原発の停止、それに海江田万里が執念を燃やした九電玄海原発の再稼働が菅直人に阻止されたことなどをきっかけに、「脱原発」への惰性力も働くようになった。直近の5年間は、そのせめぎ合いが続いた時期だったし、それは今後も続くだろう。

たとえば、万一東電原発事故と同じような事故が発生したら、日本で原発が二度と稼働できなくなるであろうことは明らかだが、そこまで行かなくとも、現在再稼働への動きが進んでいる老朽原発でトラブルが起きた場合、それに続く老朽原発の40年超運転へのハードルは高くなるだろう。

また、図書館の開架に置かれている原発本も5年前と今ではすっかり様変わりした。2011年の東電原発事故発生からしばらくの間は、まだ原発推進本の方が脱原発・反原発の本よりも多く置かれていたが、この5年間で書棚の大部分は脱原発・反原発本に置き換わり、本の数も激増した。そしてかつて見覚えのあった原発推進本は、閉架書庫に移されるなり廃棄されるなりしたのだろう、書棚から多くは姿を消してしまった。このことは、エネルギー問題に関する「土台」が東電原発事故前から様変わりしたことを示す。少なくとも、東電原発事故前と同じような「原発安全神話」を甦らせることは、いかに悪逆非道な安倍晋三政権といえども無理だろう。

今回の大津地裁の決定は、そうした「土台」の変化の表れに他ならないと私は思うのだ。今後も原発推進脱原発の流れが拮抗しながら、それでも長い目で見れば徐々に「脱原発」が進んでいくだろうと私は予想している。