kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

松本清張の小説「不運な名前」にも「御一新」が出てきたよ

新進党、もとい民進党と民主・維新の野合新党名を争っていた「立憲民主党」を明治時代みたいで古くさいなどと腐していた某氏が推したのが「一新民主党」であり、それに対して私は、特に明治初期には維新を「御一新」と言った、「一新」の方が「立憲」よりもっと古いと言ったのだが、その「御一新」が松本清張の小説「不運な名前」に出てきたので、ここにメモしておく。


新装版 疑惑 (文春文庫)

新装版 疑惑 (文春文庫)


以下引用。

「(前略)藤田組贋札事件について出鱈目なことを書いたかの有名な尾佐竹猛氏すら、その事実を認めています。これは昭和十六年六月に発行された学術雑誌『明治文化』第十四巻第六号の中での尾佐竹氏の論文です。題して『熊坂長庵の建白』とあります」

 彼はコピーしたものを振りかざした。

「この建白書は、『明治二年五月、相州愛甲郡熊坂村の熊坂長庵から左の建白書があった』という書き出しで、建白書の内容が出ていますが、候文で読みにくいですから要旨をいうとこういうことです。この土地は僻村で、病院がなく、窮民が病気になっても死に到る者が多く、田舎の医者も医術が拙劣でこれを救うことができない。よって維新後の御一新につき御仁恤(じんじゅつ)をもって東京府が病院と貧院など御取立に相成たしと建白したものです。つまり長庵先生は今でいう無医村に公費の慈善病院を建立されたし、と請願されているのです。長庵先生は、中津村ではいまでも教育者として慕われているのです」

松本清張「不運な名前」(1981)より〜松本清張『疑惑』(文春文庫,2013)144-145頁)

つまり、「御一新」は明治2年(1869年)に熊坂長庵が書いた建白書に出てくる。「維新後の」という言葉も出てくるが、私の想像だが、「御一新につき」とだけあったのでは1981年の読者にはわからない人が多かろうと考えた松本清張が補ったものだろう。登場人物が「要旨をいうと」と書いてあるからほぼ間違いないと思う。

なお熊坂長庵は実在の人物。以下Wikipediaより。

熊坂長庵

熊坂 長庵(くまさか ちょうあん、弘化元年(1844年) - 明治19年1886年)4月29日)は、医師・日本画家・教育者。藤田組贋札事件の犯人とされたが、冤罪による被害者ではないかと考えられている。戸籍名は「澄」(ちょう)。字は明澄、号は湘川。


生涯

相模国愛甲郡熊坂村(後神奈川県愛甲郡中津村、現愛川町中津)の豪農の生まれ。江戸で奥原晴湖に師事したと一部ではされているが、長庵と晴湖が江戸にいた時期が異なるため誤伝であると考えられるという。公立小学校救弊館(現愛川町立中津小学校)初代校長。明治15年(1882年)、一大疑獄である藤田組贋札事件の犯人として逮捕され、無期徒刑(無期懲役)を受け北海道の樺戸集治監に収監される。その4年後に獄死。長庵は冤罪の疑いが濃いとされている。

樺戸集治監近くの曹洞宗北漸寺には「弁天図」が残されている。

長庵の家にはその後東京裁判免訴となった大川周明が亡くなるまで居住した。現在「古民家山十邸」として無料公開されている。


文献

つまり松本清張には1981年の中篇「不運な名前」に先立って、1964年に短編小説を書いていた。熊坂長庵が冤罪であるとすると、陥れたのは長州閥の奴らということになるが(実際、小説にも書かれている通り長州閥井上馨が疑われているらしいが、小説を通して清張はそれに異説を唱えている)、明治維新以降今の安倍晋三に到る長州閥の政治家ども及びそれに連なる連中の悪行には際限がないと呆れるほかない。


さて、以下には松本清張の他の小説に関するネタバレがありますので、読みたくない人は読まないで下さい。

上記と似たようなパターンとして、松本清張が過去に書いた小説を作中人物の小説に置換し、以前松本清張自らが蒙った不運を小説にするということをやってのけた例がある。
なお、以下の文章について、下記サイトを参照した。
http://seityou-dasoku.jp/nsg/nsg_naze_harunoti_saisyunn_03.html

松本清張自らが蒙った不運を小説にしたのが、短篇集『隠花の飾り』(新潮社,1979)に収録された短篇「再春」だ。


隠花の飾り (新潮文庫)

隠花の飾り (新潮文庫)


「再春」によって作中人物の小説にされたのが、『文藝春秋』1958年1月号に発表されながら、トーマス・マン晩年の短篇「欺かれた女」(1953,日本語版新潮社,1954)に似ているとの指摘を受けて全集にも収録されなかったという「春の血」だ。しかしこの「春の血」は、清張最晩年の1987年に角川文庫から刊行された短篇集『延命の負債』に収録されているという(未読)。


延命の負債 (角川文庫)

延命の負債 (角川文庫)



清張は自らが蒙った不運について書いている。それを上記サイト経由で孫引きする。

「再春」は、わたし自身の苦い経験である。まだ小倉市(現・北九州市)に居たころ、家裁調停委員の丸橋静子さん(故人)から聞いた話を「文藝春秋」に「春の血」として発表したところ、トーマス・マンの「欺かれた女」をそのまま取ったといわれた。わたしは「欺かれた女」を読んでいなかった。「春の血」はわたしの小説集にも入れず、「全集」(第一期)からも削除している。

松本清張全集. 42. - 東京 : 文藝春秋, 1983.収録「着想ばなし(7)」より)

小倉の家裁調停委員氏が亡くなって、もう書いても良いだろうと判断した時期に、清張は自らの体験を小説にしたものだろうか。しかし、全集からも削除した「春の血」を、清張の生前最後に刊行された角川文庫に収録したことから、清張自身が「春の血」に多少なりとも自信を持っていたものと思われる。「春の血」も、似ているといわれたトーマス・マンの「欺かれた女」も未読だけれども、機会があれば読んでみたいと思う。