kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

エマニュエル・トッド『シャルリとは誰か?』(文春新書)読了

エマニュエル・トッドの『シャルリとは誰か?』を昨日(6/30)読了。2016年に読んだ59冊目の本だった。今年の年間目標である100冊は余裕でクリアできそうなペース。


シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))

シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 ((文春新書))


ところで、文春新書から出ている一連のトッドの本だが、訳者の堀茂樹氏(この人は「小沢信者」である)と、そもそもトッドの本の出版元である保守的な文藝春秋は、それぞれトッドとミスマッチなのではないかとの疑念をかねてから抱いている。

今年1月に発売された『誰がシャルリか?』を読むと特にはっきりわかるが、トッドは明らかな左翼だ*1。それに対して、「小沢信者」の堀氏は左翼ではまったくなかろう。むしろ「『右』も『左』もない」立場の者と思われる。かつては日本の国家社会主義的な論者たち(安倍晋三の側近=内閣官房参与藤井聡や中野剛志ら)と韓国の論客とトッドという3か国の論者による鼎談及びそれぞれの人たちの論考をまとめた本も出ていて、昨年、『「ドイツ帝国」が世界を破滅させる』と一緒に買って読んだが、どう考えても論者の組み合わせはミスマッチだと思った。この組み合わせにも堀氏の意向がかなり反映されているのではないか。はっきり言って有害だ。



グローバリズムが世界を滅ぼす (文春新書)

グローバリズムが世界を滅ぼす (文春新書)


『シャルリとは誰か?』のアマゾンカスタマーレビューに、訳者を批判する書評があったので以下に示す。

https://www.amazon.co.jp/review/RCXVSHPFZHFB8

★★★★☆ 内容は面白いが和訳された文章が良く分からない本, 2016/4/16
投稿者 池田耕一
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書) (単行本)

いわゆるシャルリエブドー問題を通じフランスの宗教に関する社会問題を鋭く突いた極めて興味深い内容の本である。

しかしながら、その訳文を読む限り、分かるところは、多くて2割、後8割は何を言っているのかわからないか、言ってることは分かったとしてもそれに対する批判は一切できず「ああそうですか」と言って感心しているくらいであった。その理由は何と言っても、この本の内容を理解するにはフランスの地理、歴史、文化、政治、風土、習慣など様々なことに関するかなり高度な予備知識がないと理解できないない本であることである。正に、この本は、フランスの宗教事情に関する専門家が読む「専門書」と言ったほうがふさわしい内容であるにもかかわらず、新書本で、しかもタイトルがかなりキャッチーなものとなっており、ほとんど予備知識のない一般人でもそれなりに読める本のイメージを出しているためであると言える。そのような場合は、訳者が著者と読者のギャップを埋めるべく、随所に解説を入れたり、分かりやすい一般的な言葉で訳文を作ると言ったことに心がけるべきであるが、この訳者にはそのような考えは全くないようである。正に木で鼻をくくったような「横のもの(仏文)を縦のもの(和文)にしただけ」の文章のオンパレードである。この訳者は、素人にも分かりやすい文章を書く気がない不親切な人か、そのような文章がかけない能力不足な人か、大いに迷うところである。いずれにせよ、訳者としてはふさわしいとは言いがたく、読んでいたかなりフラストレーションが溜まった次第である。

確かに、ヨーロッパ人の書く文章は、アメリカ人に比べ、長く、難解であることが多いが、もう少し何とかして欲しいものである。また使われている単語も、言説、瑕瑾、多文化主義ディスクール、メタファーなどと言った「文系人間」御用達の言葉が並び、若干「辟易(訳者に合わせ無理して使ってみました)」とした気分にさせられた。特に、「メタファー」にいたっては、ネットで検索しても「修辞技法のひとつとされ、比喩の一種でありながら、比喩であることを明示する形式ではないものを指す」などという説明が出てきて、かえって頭が混乱してしまうほどである。何故こんな言葉を訳語として使うのであろうか。

それはさておき、著者が言いたかった、シャルリエブドー事件と言うのは、フランス人が日ごろからイスラム教徒に対して取ってきた差別的行為の後ろめたさから陥ったイスラム恐怖症の結果、集団ヒステリー的に、フランスで静かに生活しているイスラム教徒に対し、不当な「暴力」を振るった例であることは良く分かった。正に、これは、かつて日本が関東大震災の折、「朝鮮人が井戸に毒を入れる」と言うデマ(これも、日ごろから朝鮮人に対し不当な差別的行為をしていた当時の日本人の後ろめたさが引き起こした朝鮮人恐怖症と同じ心理)が飛び、朝鮮人に暴力を振るったのと同じであるといえる。

「風刺」と言うのは弱者が強者の横暴を批判するために用いられる手段であって、フランスで大多数を誇る強者のキリスト教徒が完全なる少数派で弱者のイスラム教徒を批判するために、イスラム教徒の最も大切にしている「アッラー」を漫画で表すと言うのは、全く風刺の精神に反することであるのに、なぜ、フランス人の多数派はそのことに気がつかないのか不思議でならない。ドラエモンでいえば、ノビタがジャイアンを「風刺する」ことはあっても、ジャイアンがノビタを「風刺」したとしたら、それは単なる「いじめ」でしかない。

更に言うなら、シャルリ事件が起こったとき、一緒になって、意味を知ってか知らずか、SNSの自分のプロフィール写真に三色旗を重ねていた○○な日本人(○のなかにどんな文字が入るのかな?)がいたが、彼らの頭の中も見てみたいものである。

私は訳者の堀茂樹氏というのは「思い込みの強い人」で、かつ訳者はトッドの主張を本当にはよく理解していない人なのではないかと思う。訳者自身が理解していないのだから、訳文を読む読者が理解できるわけないよなあ、というのが私の感想だ。

なお、上記のレビューに「アッラー」とあるのは、いうまでもなく「ムハンマド」の誤り。それはともかく、シャルリ事件の時には、朝日新聞なんかも「私はシャルリ」という大見出しを大々的に掲げてデモに「連帯」を表明していたが、私も強い違和感を持ち、その感想をこの日記で表明したことがあった。トッドはこのデモを強く批判して、フランス国民から大ブーイングを浴びたという。

他にも翻訳を批判するレビューが何件かある。

https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1O76JDCSQSOSN

★★☆☆☆ 洞察は提供しているが、翻訳がひどい, 2016/3/30
投稿者 Katy
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書) (Kindle版)

表現の自由をミスリードした世界的な「私はシャルリ」のデモ現象に疑問を持ち、この本を読んだ。本書は宗教または信教の視点とユーロ通貨を含むEUの問題から、「私はシャルリ」の現象をを掘り下げている。この点では、洞察を提供してくれたことは評価できると思う。しかし、翻訳がひどくわかりにくい。翻訳ソフトを使用しているのではと思わせるような文章が多々あり、日本語として非常にわかりにくい。原文自体も婉曲的な表現が多いのだろうが、内容を理解したい読者にフラストレーション与えていることで星2個。


https://www.amazon.co.jp/gp/customer-reviews/R1Z6WGBGMBQR7D

★★☆☆☆ わかりずらい本, 2016/3/6
投稿者 ボコボコ
レビュー対象商品: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書) (単行本)

何とかトッド氏の意見は読み取ることができますが、フランスの地理、歴史、宗教的背景、政治状況、人物等の広範な知識がないと読むのに苦労します。

ポンッとフランスの県別地図(しかも県名なし)を出されて、『パリで「諾」が62.5%から66.5%に増加し、イヴリーヌ県では57.4%から59.5%に、オー=ド=セーヌ県では56.7%から61.9%へと上昇した。』とか言われても何がどうなっているのか理解しがたい。オー=ド=セーヌ県ってなんだ。(数字も微妙だし。)平均的日本人にわかりやすいように地図に補足するなど何かしらの工夫はできなかったのか。

イムリーな出版を目指すのは当然だが、急ぎすぎたのか、訳がこなれているとは言い難く、日本語としてどうなのという表現が頻出する。

トッド氏の主張は明快なので、いっそ抄訳のほうがよかったのではないか。賢い人が要約したamazonレビューを読んだほうが勉強になるのはまずいのではないか。


(「小沢信者」である)堀茂樹氏の翻訳はなんとかしてもらいたい、というのには私も同感だ。

訳者批判のレビューだけではなんなので、他のカスタマーレビューも2件ピックアップしておく。

https://www.amazon.co.jp/review/R3JLUR98G6JKR0

★★★★★ トッドの言うことに耳を傾ける価値がある, 2016/1/21
投稿者 小倉光雄
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レビュー対象商品: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書) (単行本)

シャルリ・エブド事件(ムハンマドの風刺画を載せた出版社がテロ攻撃を受けた事件)に続いてわき上がった”私はシャルリ”を掲げた人々はどのような人たちだったのか。家族の構造から社会と政治を考えるトッドによる分析だ。後書きで秋の大規模テロ事件にも言及している。

フランス各県の宗教への傾倒度、共産党や保守派への投票率の分析は、2つのフランスを明らかにした。ひとつはパリ盆地とプロヴァンス核家族(そこでは兄弟は平等だ)に由来する平等主義的考えに親和的なフランスであり、それは啓蒙主義の一変種としてのフランス共産党への支持につながっていた。もうひとつはノルマンディーやブルターニュ等の周縁地帯で、父権主義的家族に由来する権威主義的心性のフランスであり、伝統的にはカトリック地帯だったが、今は形骸化していて、彼は、これをゾンビ・カトリックと呼ぶ。実は、この地域がフランス社会党の支持基盤だから、ここにねじれがある。つまり左派政党の支持基盤が実は右派層なので、社会党は無意識的には権威主義的で反共和的だとする。各都市での"私はシャルリ"デモ参加者の分析によれば、デモは平等主義的地域ではなく、権威主義的な地方で盛んであり、階層的には中産階級の上層部が多くこれは現在の既得権益層である。つまり、フランスの言論の自由を今標榜しているのは、実はあまりそれに共感してこなかった人々で、言論の自由を盾に排他的考えが吹き上がっているのは、フランスの後者の要素が拡大しているだけだと言う。シャルリ・デモの間、フランス革命以来の標語である”自由”は声高に語られたが、もうひとつの価値観である”平等”は語られなかった事が、トッドにより指摘されている。もう少し広く見れば、実はドイツでの方がこのような勢力は強いと言う。元々ドイツでは、直系家族の伝統が強く不平等に親和性が高いからだ。

トッドは反ユーロ主義者で、ユーロ圏でのドイツ支配がフランス経済の低迷を促し、それが移民層の若者を直撃していることが問題の原因であるとする。貧困状態に置かれた若者はいわゆるイスラム原理主義に向かうこともあるし、同じく郊外の若者層が高い失業率に喘ぐスコットランドでは英国からの分離主義に向かうこともある。彼は両者を同じ原因からの運動であると考えている。トッドは、イスラムの教義などは問題にしていないし、コーランに何が書かれているか、なども問題にしない。そもそも、インドネシアとアラブ地域を比べれば分かるように、教義よりその地域の家族構造により政治的、社会的慣習が決まるからだ。アラブ地域では男兄弟は平等だが、女性はその平等から排除されているのに対して、インドネシアでは男性より女性の権利が強い。

では、移民問題をどう考えれば良いのか。トッドによれば、フランスでの異なる民族間での結婚率は相当高く、これは同化のプロセスが急激に進行している事を示すと言う。右翼国民戦線の活動家が、魅力的なアラブ系女性と暮らし始めると、国民戦線などからは簡単に離脱するということだ。それでは、移民の持ち込む民族文化・家族構造はどうなるのだろうか。それによりフランス的価値観はどうなってしまうのか。トッドは、心配ないと断言する。家族構造が決定的だが、それは家庭内で子供に親から伝わるだけではなく、家族が暮らす地域からも影響をうける。移民の子が作る友人、地域社会からの規範的考え方の受け入れが子の考えをフランス的価値観へと同化させる、仕上げは移民層ともとからのフランス人との結婚である。次の世代は、もう祖父母の出身地とは違う家族関係を作る。実際、調査によればフランスでカトリック信者とイスラム教徒のうち、信仰活動に無関心である層の割合はあまり変わらないのだと言う。

長期的には大変納得できる話しである。しかし、短期的に100万人単位でヨーロッパにやってくる難民問題には彼は直接答えていない。失業率が高く、ムハンマドが侮辱される権利を擁護する大デモが起きる国に来たがる難民はいないから、と言う。この点に限り不満を感じた。

全体としてみると、データに基づき分析を進めて行くので、非常に説得力を感じた。ここでは詳しく書かなかったが、なぜ国民戦線が一定の支持を得ているのか、についても1章をたてて詳しく論じている。トッドは多文化共生と言う名のきれいごとー何かあればすぐ排外主義に変化する差異をあおる考え方ーには反対で徹底した同化主義者である。この意味を我々も深く考えるべきではないか。

そう、「トッドは多文化共生と言う名のきれいごとー何かあればすぐ排外主義に変化する差異をあおる考え方ーには反対で徹底した同化主義者である」んだよね。この点を頭に入れておかないと読む時に混乱する。また、トッドといわゆる「民族主義者」との相性が最悪であることは明らかだ。

https://www.amazon.co.jp/review/R1ZP3CER0UQHZG

★★★★☆ 言論の自由』を死守するためのデモに見えたものが、実は「ユーロ経済の不平等を許容する中産階級」と「20世紀後半にカトリック信仰が希薄化した地理的周縁部の人々」のそれぞれの不安の表れだったという本。, 2016/1/30
投稿者 kuma
Amazonで購入(詳細)
レビュー対象商品: シャルリとは誰か? 人種差別と没落する西欧 (文春新書) (単行本)

 『私はシャルリ』(Je suis Charlie)のデモに限ってなぜ突然あれほど大勢の人が参加したのか不思議に思っていた。著者も「マイノリティの信仰を『冒涜する権利』は命をかけて守るというくせに、マイノリティが迫害されていることには無関心」と疑問を示す。
 著者は、全国各都市でのデモ参加者数を宗教的実践状況や大統領選挙での投票結果などの地域データと比較しながら、「私はシャルリ」デモを社会学的・家族人類学的に読み解こうとする。

 著者の主張の要点は、
(1) 『言論の自由』を死守するためのデモに見えたものが、実は「ユーロ経済の不平等を許容する中産階級」と「20世紀後半にカトリック信仰が希薄化した地理的周縁部の人々」のそれぞれの不安の現れに過ぎない。イスラム系移民は両者の不安のはけ口(スケープゴート)にされた。デモには都市郊外に住むイスラム系移民はもちろん、国民戦線の支持層である労働者階級も含まれていなかった。
(2) 中産階級を不安にさせている原因は、共通通貨ユーロに代表される不平等な経済システムである。ドイツ企業には好都合でもフランスには経済停滞をもたらし、そのしわ寄せは若者と移民に向かう。
(3) 移民の第2・3世代はフランス社会に同化するので、むやみにイスラム教徒を恐れる必要はない。穏健な「ライシテ(世俗主義)」で折り合いをつければ良い。

(1)について、
 欧米諸国を「自由尊重−権威主義」&「平等志向−不平等容認」という2軸で分類すると、英米は不平等を黙認するリベラル、独は不平等で権威主義的、露は平等で権威主義的だという。肝心のフランスは18世紀半ばに脱カソリックした中央部(パリ盆地〜ボルドー及び地中海沿岸)は「自由・平等」的であるが、カソリック信仰が残った地理的周縁部はその逆の傾向(両者の折り合いをつけるための仕組みが「ライシテ(世俗主義)」)。
 しかし、20世紀後半に周縁部でも信仰が薄れ、そのゾンビ・カトリシズムの不安感が今回のデモ参加に反映しているという。

(2)について、
 同著者の「「ドイツ帝国」が世界を破滅させる」(文春新書、2015.5)に詳しい。「自由・平等」的だったはずの都市部中産階級もユーロ経済のなかで不平等を許容せざるをえなくなった。平等主義の民衆は、移民に対して、自国文化への同化(ライシテ)を望むが、エリート層による多文化主義は移民の同化を遅らせるという問題もある。
 なお、学歴を背景とした中産階級にのしかかられた労働者階級は、自分たちより更に下に位置する移民を攻撃し、国民戦線FNの支持層となっている。

(3)について、
 イスラム移民の2世・3世は学校でフランス文化に絶えず触れており、彼らの約半数は他のグループと結婚しているので、仏国内に「閉鎖的なイスラム社会」ができる心配などする必要はないという。他方、北東ヨーロッパでは異民族間の結婚率は低いらしい。ここでもヨーロッパがまとまろうとすることに無理があると主張する。

 本書は国内政治批判、EU・ユーロ批判、カソリック批判が満載だったので、フランス本国でかなり物議を醸したそうだ。読者は仏社会党がどうかまでは承知していないが、著者はわざわざ他人を怒らせようとしているかのように挑発的である。「冒涜する権利」を守ることは著者にとっても重要なのだ。「当たり前とは違う見方」として参考になる。

*1:トッドは16〜18歳であった1967〜69年にはフランス共産党の党員だったこともある。