kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

樋口陽一『自由と国家』を読む

立憲主義が争点になど全くならずに選挙戦を終えた参院選の投開票日前日の昨日(7/9)読み終えた本。


自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)

自由と国家―いま「憲法」のもつ意味 (岩波新書)


先日取り上げたマルクス主義法学の泰斗・故長谷川正安の『日本の憲法 第三版』(1994)と同じように、岩波新書の「アンコール復刊」で、こちらは1989年11月20日第1刷。2016年6月21日第20刷とあるから、岩波新書の中でもかなり売れた本のようだが、それにもかかわらず増刷がストップしていたようだ。それはともかく、「主権論争」における論争の当事者だったという長谷川・樋口両氏の少し古い(「平成」一桁の頃の)岩波新書がともに復刊されたのはありがたい。ともに憲法を語りながら、これほど印象のかけ離れた2冊も珍しい。

1989年は東欧諸国の体制変革の年であり、6月のポーランド政権交代に始まって、11月にベルリンの壁が壊され、それでも「大統領への個人崇拝がますます強まっている」と当時の朝日新聞に書かれたルーマニアで、当の大統領・チャウシェスクが12月25日に銃殺されて幕を閉じた。しかしその反面、東アジアでは、1月7日の昭和天皇の死が「崩御」などと報じられ、前年来の「自粛」とともに日本史に汚点を残した。また6月4日には中国のトウ小平政権が天安門事件を起こして民主化運動を弾圧した。つまり、日中においては現在の安倍晋三習近平という、両国民にとって災厄としか言いようのない独裁者を生み出す土壌が作られた年でもあった。

その1989年、まだベルリンの壁も崩壊しない時期に、樋口陽一は「4つの89年」を言っていた。たいしたものだ。日本がバブル経済の絶頂期にあった27年前に書かれたこの本は、その時期ならでの文章も垣間見られるが、それらも含めて今なおその指摘に新しさを失っていない。それだけ、その後の日本があらぬ方向に進んでしまったということでもあるが。

以下、例によってネット検索でみつけた記事から抜き書きする。

下記は、法学の素人の方による要約と思われるが、なかなかの力作だ。これだけの要約文を書く労力は半端ではなったろうと思う。

http://www2u.biglobe.ne.jp/~BIJIN-8/fsyohyo/jiyukoka.html

 そのサブタイトルに「いま「憲法」のもつ意味」とあるように、本書『自由と国家』は憲法論を展開した本である。もともと私が本書を読もうと思ったきっかけは、『困ってるひと』の著者である大野更紗が、この著者のファンだと公言していたからにすぎず、とくに憲法に興味があったというわけでもなかったのだが、本書を読み終えて思いがけず、そのテーマが文学を語るうえでも重要なものであると認識できたのは、私にとって大きな収穫となった。なぜなら憲法の成り立ちを知ることは、とりもなおさず近代国家の成り立ちを知ることであり、そこから今にいたる日本という国の問題点を知ることへとつながるからである。そしてそうした問題点を意識するかしないかによって、その国の「今」を映す鏡である文学者の書く小説の意味合いも、大きく変わっていくことになる。

 国家を作り出すことによって、それまでの身分的拘束から個人を解放し、そのうえで、その個人を国家の圧力から擁護しようという構図のかなめに位置するものとして、憲法というものがある。

 さて、大変恥ずかしい話であるが、私は今まで憲法というものが、国民ひとりひとりが守るべきものという漠然とした認識しか持ちあわせていなかったのだが、上述の引用を解釈するかぎり、この「法」を守るべきなのは国民ではなく、むしろ国家であり、その権力を有する公務員たち、ということになる。

 言うまでもないことであるが、国家は権力を集中させているからこそ成り立つ枠組みである。ひとつの国がもつ力は膨大だ。そしてその枠組みを、王様や君主といったごく一部の者たちによって維持していたのが近代以前の世界である。これまでの歴史が物語っているように――そして今もなお相変わらず語られるように、権力を手にした人間は少なからずその力を濫用するようになり、そのことによって多くの人間の人権が踏みにじられてきた。ここでいう「国家」とは、国王などの支配者の下に法があるのではなく、支配者の上に法を置くことを前提とした国、ということになる。国王や君主であっても法に逆らうことはできない。特定の人ではなく、法によって治められる国家、すなわち「法治国家」の誕生が近代のはじまりとなる。

 本書ではおもにフランスの人権宣言から端を発し、イギリスの立憲君主制アメリカの独立宣言を経て、戦前のドイツや日本、さらに第三国へと広がっていく法治国家のたどった歴史と現在をふまえたうえで、その核をなす「憲法」とは何なのかをあらためて問いなおす、というスタンスで書かれたものである。憲法についてある程度の知識があることを前提としている部分もあり、多少の専門用語が出てきたりしてけっして平易に読めるわけではないのだが、法治国家における「個人」の考え方の基礎や、法治国家のかかえる諸問題、さらにはそこから派生することになるマルクス主義の起源など、日本をふくむ世界の近現代を理解するための根本が、そこにはたしかに存在する。逆に言えば、憲法の概念を理解することが、現代の抱える諸問題を理解することへの第一歩となる、と言ってもけっして過言ではない。

 たとえば「個人」の概念について言うなら、それは権力を集中した国家と直接向き合う対象としての存在、ということになる。つまり国家と諸個人との間には、どのような中間団体も介在すべきではないし、またしてはならないのだが、それゆえに、法治国家の原点とも言えるフランスで発された人権宣言には、中世的身分制度という、個人がまぎれもない個人であることを妨げる仕組みからの解放――市民革命が不可欠のものとして定義されている。それは、個人が個人であることを自らの手で回復する、という積極的行為であり、だからこそ人々はその勝ち取った「人権」を維持するものとして憲法を制定し、法治国家を生み出した。

 そんなふうに考えたとき、同じ「個人」という言葉を用いるにしても、フランスにおける個人と日本におけるそれとは、文字どおり血を流して獲得したものであるか、あるいは上から与えられたものであるか――悪い言い方をすれば「押しつけられた」ものであるか、という認識の違いが存在することになる。この「個人」の権利であるところの「人権」という考え方は、それを「搾取構造を隠すためのイデオロギー」と解釈することでマルクス主義が発生したように、近代思想の根源となっているところがあって面白い。そしてそれぞれの国家の違いは、もとを正せばそれぞれの国家が向き合うべき「個人」の解釈の違いと同義でもあるのだ。

 私自身もそのひとりであるが、こうした「個人」の認識は、けっして強いものではない。むしろ家族とか会社とかいった、本書で言うところの中間団体への帰属意思が強かったりする。むろん、個人が社会に参加するための中間団体は必要不可欠なものであるのだが、この中間団体が、いったんは個人が個人であることの妨げとなるとして解体させられた後に、あらためてその権利を認めていくという紆余曲折がフランスではあった。そうした過程を経ないまま法治国家への道を歩むことになった日本の近現代において、たとえば個人と家族の関係から生じる摩擦や矛盾は、文学的に大きなテーマのひとつとなっている。

 繰り返しになるが、今の日本がかかえる問題を理解するためには、そのもととなる近代国家の成り立ちを知る必要があり、そのかなめとなっているのが「憲法」だ。そして、こうした知識があれば、今でもたびたびとり立たされる改憲問題、とくに第九条の改定がどのような結果をもたらすことになるかも、より具体的に意識できるようになる。国の強大な権力が個人の人権を侵害しないために制定されたのが憲法であるなら、それを変えることに対してどれだけ慎重になっても足りないくらいであるし、言うまでもなく戦争とは、最大の人権侵害である。だからこそ、戦争行為とその手段の放棄をうたった日本国憲法の理念は素晴らしいし、容易に改定すべき項目ではないはずなのだ。そのあたりの事情を理解したうえで改憲を語るとの、知らないまま語るのとでは、それこそ雲泥の差があると言わなければならない。

 まぎれもない自分自身、という言葉は、私が書評でしばしば用いる表現ではあるが、その自分自身がどれだけ憲法上の「個人」と結びついていたのかについて、あらためて問いなおすきっかけとなったのが本書である。そしてその問題は、法治国家を生きるすべての人達が意識すべき問題でもある。ぜひ一度読みとおしてもらいたい。(2012.04.08)


http://masimo.hatenablog.com/entries/2008/11/29(2008年11月29日)より

(前略)

  • 戦前の「家」の役割について

市民革命によって個人が解放されないままで、従って、個人の人権と国家の主権との密接な連関がないままに、にもかかわらず集権的国家ができあがってしまった。一八八九年体制下の日本では、何より重要な中間団体だった「家」が、国家権力に対する身分制自由の楯としての役目を果たすよりは、国家権力の支配を伝達する、いわば下請け機構としてはたらくこととなった。「孝たらんとするすれば忠ならず」ではなくて、文字どおり、「忠孝一本」となったのである。「家」の自律が徴兵忌避の若者にとっての精神的よりどころになる、というようりは、「そんなことをして家名に泥をぬるよりは、いさぎよく名誉の戦死をしてくれ」というのが日本の「家」であった。

(↑は本書168頁からの引用=引用者註)

  • 法人の人権について

西欧近代法が、無意識的に自明のもののようにあつかわれてきた。一九世紀後半に日本に導入されたとき以来、この国では、一九世紀型近代法は、すでに確立したはずの自立的個人の存在を前提として、結社を容認する。しかし、一九世紀近代に先行した市民革命期の意味を問うという見地からするならば、典型的には、フランス革命で執拗に追求されたものが結社の自由=法人の人権ではなくて、結社の禁止=法人からの人権だったことに、いやおうなしに直面するはずであった。
市民革命期以後の、法人から人権をめぐる闘争がひとくぎりついたあと、段階をおって法人が実定法の承認をうけるようになってくる。しかしそれは、立法者がそのような選択をして法制度をつくることの禁止が解除された、ということなのであって、法人の人権主体性が積極的にみとめられたと考えなければならぬわけではない。
日本では、結社許容型の一九世紀近代法(結社許容型の個人主義)にすぐつづいて、団体への積極的評価を含む二〇世紀現代法の考え方が導入された。そのことによってなお一層、市民革命期の結社否認型個人主義のもっていたはずの意味が、はるかに後景におしやられていったのである。ワイマール憲法やレオン・デュギなどに見られるように、近代立憲主義の補完と発展という形で説かれた「個人主義」批判は、それが説かれた本場でより以上に、きわえて素直にうけ入れられた。(略)

(↑は本書181-182頁からの引用=引用者註)

法人の政治活動の自由や宗教法人の信教の自由に対して日本の法曹界は個人の人権と同等以上に扱っている印象を受けますが、その背景に対して筆者の人権獲得の経緯からアプローチした以下の考察は鋭いと思いました。

引用文の前半に関して、本書が書かれてから23年後に発表された自民党改憲案の第24条には、「家族は、社会の自然かつ基礎的な単位として、尊重される。家族は、互いに助け合わなければならない。」と書かれている。おおかた、樋口陽一が指摘したような「日本の『家』」をトリモロしたいのであろう。

また引用文の後半に関して、フランスでは王室のほか結社などの中間団体からの解放を経て中央集権的な国家を作り、個人と国家が向き合う関係において強力な国家を縛るために憲法を制定したあと、100年以上経った段階になってようやく法人の権利を認め始めたたものが、日本(や韓国など)では中間団体からの解放という段階(=市民革命)を経ていないにもかかわらず、裁判所が法人の権利ばかり認める判例を積み重ねていることは大問題だと思う。そんなていたらくだから「過労死」が後を絶たないのだし、「ブラック企業」が蔓延するのだと言いたい。私自身、20年ほど前に過労死寸前に至った経歴を持つ人間なので、身につまされるものがある。

最後に、岩波新書編集部の「編集スタッフのおすすめ」より。あの(山本太郎三宅洋平らが「勝手に連帯」を表明している)小泉純一郎イラク戦争に加担した2003年に書かれた文章のようだ。
岩波新書 - 岩波書店

1989年と2003年 ― 樋口陽一著『自由と国家』
(1989年刊、新赤版93)

 少し前のことになりますが、ある著者の方と立ち話をしていた際、話題は当然のように、その数日前に開戦したばかりの「イラク戦争」に及びました。アメリカの単独主義や戦争報道や反戦運動の高まりについて、ひとしきり意見を述べられた後で、その方は「この事態を前にして、あらためて冷戦体制が崩壊した1989年という年の意味を、問い返さなければならない。そうしないと、今の状況の核心をつかまえることができない」というようなことを言われました。

 残念ながら、その方がどういうことを言わんとしていたのか、十分に伺うことができないまま、その時は話を終えざるを得ませんでしたが、その後も<2003年の世界の動きを、1989年という地点から眺める>ということがずっと頭にひっかかっていました。

 岩波新書には、1989年という年の意味について考察した本がいくつかあります。なかでも、今回あらためて手にとってみた樋口陽一先生の『自由と国家』は、実に刺激的な1989年論として読むことができました。原稿が著者の手を離れたのは89年10月ですので、まだベルリンの壁は崩れていませんし、冷戦終結を告げたマルタ会談も開かれていない段階の本ですが、300年にわたる「4つの89年」という重層性のなかで1989年という年の意味を見事に浮かび上がらせています。憲法立憲主義の意義を捉えなおすことに主題がおかれていますが、2003年の世界と日本の問題を考えさせる引き出しが幾つも用意されていて、いろいろと考えさせられました(ちなみに、樋口先生は、この続編として1999年に『憲法と国家』を刊行しています)。

 たとえば、この本では、<現在、「人権という妖怪」がヨーロッパを超えて徘徊していて支配体制を悩ませている。その妖怪は、南欧中南米アジア諸国民主化をもたらし、東欧では社会主義体制に複数政党制を導入させ、中国では天安門事件という形で政府による過剰な反撃を招いた>というふうに述べられています。その「人権という妖怪」の正体は、民主化運動を担った市民たちであり、また、人権を守るために国家権力を縛るという「近代立憲主義」という思想でした。その意味でこの本は、1989年を人権=立憲主義の勝利として捉えているように思います(このことだけを紹介すると、フランシス・フクヤマの「リベラル・デモクラシーの勝利=歴史の終焉」論と同じではないかと誤解されるかも知れません。まったく違うということだけ述べておきます)。

 2003年の今、その勝利はどこへ行こうとしているのでしょうか。

 アメリカは「イラク戦争」の目的を、抑圧的なフセイン体制を解体し、イラク国民を解放することだと述べました。軍事帝国が「人権」を掲げて戦争を行う世界がやってきたのです。人権は、もはや支配体制を悩ませる妖怪どころか、法を無視する帝国とともに世界中を徘徊する妖怪になってしまったかのようです。

 この本では、立憲主義が普遍的価値をもつということが幾度も強調されます。その立憲主義が、「普遍性」を掲げる帝国を内側から食いちぎっていく原理になりうるかどうか――1989年に「勝利」したかに見えた戦いは、実は終わっていなかったと言えるのかもしれません。
(新書編集部 小田野耕明)


本当は、本書から日本の憲法をめぐる問題について書かれた部分を抜き書きするなどのこともしておきたいのだが、時間には限りがあるので、このあたりで見切り発車して公開することにする。