kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

イチロー、30人目の3000本安打を3塁打で達成

リオ五輪や、天皇が事実上の生前退位の意向を表明したビデオメッセージを発表した件などもあったが、今朝取り上げるのはイチロー3000本安打

http://www3.nhk.or.jp/news/html/20160808/k10010626241000.html

イチロー 通算3000本安打達成 大リーグ史上30人目

8月8日 9時40分

大リーグ、マーリンズイチロー選手が7日のロッキーズ戦でスリーベースヒットを打ち、史上30人目の通算3000本安打を達成しました。

イチロー選手は、大リーグでの通算安打数を2999本として迎えた7日、相手の本拠地コロラド州デンバーで行われたロッキーズ戦に6番・センターで8試合ぶりに先発出場しました。
1回の第1打席は空振りの三振、3回の第2打席はピッチャーゴロ、4回の第3打席はショートゴロに倒れましたが、7回の第4打席、ロッキーズの2人目、左のラシン投手に対しツーボールからの3球目、138キロの速球を捉えてライトフェンス直撃のスリーベースヒットを打ち、大リーグ16年目で通算3000本安打を達成しました。
イチロー選手が三塁ベース上に立つとマーリンズのベンチからチームメートやボンズ・コーチなどが駆け寄り、イチロー選手の記録達成を祝福しました。また、相手のロッキーズの選手も拍手でイチロー選手をたたえました。さらに、球場に訪れた4万人を超えるスタンドのファンからも大きな歓声と拍手が送られ、イチロー選手はヘルメットを掲げて感慨深そうな表情を見せていました。
イチロー選手はこのあと9回の第5打席はフォアボールで、この試合は4打数1安打、三振1つ、フォアボール1つでした。
試合はマーリンズが10対7で勝ちました。
通算3000本安打を達成したのは140年に及ぶ大リーグの歴史の中で30人目で、42歳9か月での記録達成は史上2番目の年長記録です。
また、3000本目のヒットをスリーベースヒットで記録したのは、1996年に達成した当時ツインズのポール・モリター選手以来、2人目です。

通算3000本安打 イチローが30人目

大リーグ通算3000本安打を達成したのは、140年に及ぶ大リーグの歴史でイチロー選手が30人目です。
大リーグでも特に優れたバッターの指標となっているシーズン200本のヒットを毎年打っても15年間かかることから、長期間にわたって活躍し続けないと達成できない、超一流バッターの証しとされる記録です。これまでの達成者は全員20代前半で大リーグデビューを果たしていて、27歳で日本から移籍したイチロー選手は、デビューがこれまでで最も遅い選手となりました。また、42歳9か月での記録達成は、45歳で達成した19世紀の名選手、キャップ・アンソン氏に次ぐ2番目の年長記録です。
現役でプレーしているイチロー選手とヤンキースアレックス・ロドリゲス選手、それに、おととし現役を引退し、まだ投票の対象になっていないデレク・ジーター氏を除いた27人のうち、アメリカ野球殿堂入りを果たしていないのは、野球賭博に関わっていたとして大リーグ機構から永久追放処分を受けたピート・ローズ氏と、ドーピング疑惑が取り沙汰されたラファエル・パルメイロ氏の2人だけです。
大リーグ機構によりますと、ヒット数の上位3人はピート・ローズ氏が4256本、タイ・カッブ氏が4191本、ハンク・アーロン氏が3771本となっています。

イチロー 2000年に大リーグに

イチロー選手は愛知県出身の42歳。1992年、愛知県の愛工大名電高校からドラフト4位でプロ野球オリックスに入団しました。
独特の振り子打法でプロ3年目の94年から7年連続で首位打者のタイトルを獲得し、2000年にポスティングシステムを経て大リーグのマリナーズに入団しました。
大リーグでも卓越したバットコントロールと俊足を生かして2001年の1年目からレギュラーとして活躍し、242本のヒットを打って新人のシーズン最多安打記録を更新したほか、首位打者盗塁王のタイトルを獲得し、リーグの新人王と最優秀選手にも選ばれました。
さらに、2004年には、大リーグのシーズン最多安打記録を更新する262本のヒットを打って、2回目の首位打者のタイトルを獲得しました。
大リーグ5年目の2005年には大リーグ通算1000本安打を達成、大リーグ696試合目での1000本安打は、1900年以降、大リーグが現在の形になってからは3番目に早い到達となりました。
2009年、大リーグ9年目には1402試合目で2000本安打をマーク、2010年には、大リーグ初の10年連続200本安打を達成しました。
2012年のシーズン途中に、11年余りプレーしたマリナーズから交換トレードでヤンキースに移籍しましたが、控えの外野手に位置づけられ、出場機会は次第に減っていきました。
2013年には、日米通算でヒットの数を4000本の大台に乗せました。
そして、去年、初めてのナショナルリーグとなるマーリンズに移籍しましたが、代打中心の出場で91安打、打率2割2分9厘、盗塁11と、いずれも大リーグ15年目で最も低い数字にとどまっていました。
それでも徹底した体調管理と試合に向けた心身の鍛錬を続け、今シーズンは5月下旬に1試合4安打を2回記録するなど調子を上げて、6月15日には日米通算の安打数を4257本とし、ピート・ローズ氏の持つ大リーグ通算最多安打記録を上回りました。
今シーズンはここまで3割を超える打率を残しています。
(後略)

NHKニュースより)


30人目の3000本安打を3塁打で達成って、これがホンマのトリプルスリーって、違ったか。

かつてのイチローは区切りのヒットは決まってホームランで決めていた。今回は、もしかしたらホームランを狙ったのがフェンス越えできなかったのかもしれないが、区切りのヒットは大きいので決めるという意識はあったのではないか。それができるのがイチローの大したところだ。

引き合いに出して申し訳ないが、かつて松井秀喜が日米通算2000本安打か何かを達成した時は、最初エラーと判定されたのが覆ってヒットと判定されて記録達成という、いささか締まりのないものだった。42歳になっても区切りのヒットを3塁打で決めたイチローは、やはり大した選手だと改めて思った。