kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

船戸与一『満州国演義』全9巻を読了

今年4月に新潮文庫版で読み始めた船戸与一(1944-2015)の遺作となった長編『満州国演義』全9巻を読み終えた。4月、5月に各1冊、6月に3冊、7月に2冊、8月に1冊と読み進み、最後の第9巻は8月30日から今日9月3日の未明にかけて読んだ。原稿7500枚、単行本刊行当時の頁数にして4500頁(文庫版では5000頁以上)に及ぶ大作だ。これを、2009年に肺癌で余命1年の宣告を受けた船戸与一がその5年後の2014年秋に完結させた。第9巻の単行本は2015年2月に出版され、著者はその2か月後の同年4月22日に肺癌でこの世を去った。


南冥の雫 満州国演義八 (新潮文庫)

南冥の雫 満州国演義八 (新潮文庫)


残夢の骸 満州国演義九 (新潮文庫)

残夢の骸 満州国演義九 (新潮文庫)


戦前日本が中国東北部にでっち上げた傀儡国家「満州国」を主な舞台としたこの小説は、幕末の慶応4年(1867年)8月の会津若松城下で会津藩士の若妻を長州奇兵隊士が凌辱するプロローグを別とすると、1928年(昭和3年)から1946年(昭和21年)までが描かれ、1巻で2年の月日が経過する時の流れに沿って登場人物たちが行動する、というより時代の急流に翻弄されていく。

そして、1945年夏の敗戦に至るが、話はそこでは終わらない。翌1946年2月に起きた「通化事件」を最後のクライマックスとして、主人公格の人々(4兄弟プラス1人。ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』を連想させる*1)はその前後までに1人を残してすべて死ぬ。エピローグで、最後の1人が昭和21年(1946年)5月に、満州で悲惨な体験をした少年と一緒に帰国して少年の故郷である広島の郊外を訪ねる。そこで少年と別れ、そのまま広島市街へと1人で歩いて行く男には、生きるあてもなければどうやって生きたいのかという希望もない。こうして物語はエンディングを迎える。希望のない終わり方だが、その後の日本の復興は誰もが知っている。

最初、全10巻の構想で書き始められたというこの大作が、1冊少ない全9巻で完結したのは、命のあるうちに完結させたいという作者の思いもあったためだろうと想像されるが、そのせいか回収されずに終わったと思われる伏線も少なからずあるように思われる。ネット検索で仕入れた情報によると、1946年の「通化事件」をクライマックスにするという構想は著者が最初から持っていたとのことだから、もし全10巻になっていたら、脇役たちの後日譚が描かれ、伏線はあらかた回収されていたかもしれない。また、通化事件で命を落とす主人公格の人物を誰にするかは、著者は書き進めながら決めたとのことだから、当初は別の人物が通化事件で死ぬ展開も考えていたのだろう。早い巻におけるあの設定はそのためだったのかと思い出される箇所もある。今はネットの時代だから、読み終えてネット検索をかけると、いろいろわかることが多くて助かる。ネット時代には功罪の両面があるが、関連情報が時間をかけなくても得られるのは「功」の面だといえるだろう。

この大作においては、著者自らが政治的な見解を明らかにする箇所はほとんどないのだが、例外的に最後の第9巻で痛烈な吉田松陰批判を展開している。それを引用するのは大変だよなあ、でもやらなきゃなあと思いながらネット検索をかけたところ、幸運にも該当部分がまとめられたブログ記事を見つけたので以下に引用する。引用するブログのタイトル自体が『満州国演義を読む』となっており、この大作を本格的に読み込んで研究された方が開設されたブログのようだ。

第九巻 残夢の骸まとめ(改訂): 船戸与一を読む(2016年6月24日)より

 司馬遼太郎は明治と昭和を比べて明治までの日本人は立派で昭和は堕落したと断じた(筆者は原文に当たっていない)と言われるが、そのような史観に対し船戸与一氏は真っ向から異なる史観を提示しているように思える。そのような捉え方では本質は見えない。明治と昭和は断絶していない、血塗られた明治維新の必然の結末として大東亜戦争があったのだ、と。
 それを新聞記者香月信彦にこのように語らせている。幕末以来の日本の歴史を総括する、満州国演義の中でも最重要セリフと思われるくだりを、かなり長くなるが引用したい。


結局は民族主義の問題だった」
吉田松陰の幽囚録には(中略)欧米への対抗策が書き記されている」*2


「いま急に武備を収め、艦ほぼ備わり砲ほぼ足らば、すなわちよろしく蝦夷を開墾して諸侯を封建し、隙に乗じてカムチャッカ・オロッコを奪い、琉球を諭し、朝覲会同すること内諸侯と比しからしめ、朝鮮を責めて質を納れ貢を奉ること古の盛時のごとくならしめ、北は満州の地を割き、南は台湾・ルソンの諸島を収め、漸に進取の勢いを示すべし」*3


「これまで地下水脈として流れていた日本の民族主義は黒船の来航で一挙に顕在化した。このままでは欧米によって植民地化されるという危機感に包まれた。その打開策を論じたのが吉田松陰だよ。それに平田篤胤国学に心酔した連中が続き、尊皇攘夷となって現れた」*4


明治維新という内戦を終えたあとも吉田松陰のこの打開策は生き続けた。(中略)明治政府は生起する矛盾を溶解する手段として黒船来航前は暦の変更ぐらいしか政治に関与できなかった天皇を日本の全てを統べる中心に据えつけ、欧米列強による植民地化を回避するために躍起となった。その方法を巡っては大雑把に言ってふたつに分かれる。ひとつは伊藤博文に代表される近代化論。もうひとつは山縣有朋が領導した兵営国家論。このふたつがあるときは対立しながら、あるときは補完しながら被植民地化を回避し、吉田松陰が提示した打開策に向かって突き進んでいった」*5


「植民地化を避けるためにはアジアを植民地化するしかない。それが「幽囚録」で示されたとおり朝鮮を併合し、満州領有に向かうことになった。これに日本民族主義の発展形たる大アジア主義が合流し、東亜新秩序の形成をめざして走りだしていった。民族主義は覚醒時は理不尽さへの抵抗原理となるが、いったん弾みがつくと急速に肥大化し覇道を求める性質を有するものだ。これは植民地主義を白人の専有物だと考えていた欧米列強にすさまじい衝撃を与えた」*6


「ペリーの来航によって完全に覚醒した日本の民族主義は松蔭の示した方法によって怒涛の進撃を開始し、アメリカの投下した二発の原子爆弾によって木端微塵にされた。日本の民族主義の興隆と破摧。たった九十年のあいだにそれは起こった。これほど劇的な生涯は世界史上類例がないかも知れない。この濁流の後片付けに日本は相当の歳月を要することになるだろう*7


 筆者は、これこそ船戸与一氏がこの小説に込めたメッセージなのだと思う。ここには明治も昭和もない。あるのは民族主義の興隆と破摧である。
 そう考えてみると、現在に続く韓国との慰安婦を巡る確執、中国との尖閣諸島領有権、北方領土、沖縄基地移設、憲法問題のすべてはこの濁流の後片付けなのである。それは現在の日本だけにとどまらない。原因は異なれどかつて日本であった朝鮮半島の分裂状態は未だ解決せず、台湾は中国と緊張関係にある(この言い方事自体がすでに政治的な考えを含んでしまっている)。戦後70年経ちながら、なおもその濁流の残骸があちこちに散らばっているのだ。


著者の船戸与一は本名を原田建司といい、1944年2月8日に山口県下関市に生まれている。今の衆院山口4区、安倍晋三の選挙区だ。吉田松陰を尊敬し、戦後になっても「満州国は私の作品だ」と公言して憚らなかった岸信介を祖父に持つ安倍晋三の政権は、「この濁流の後片付け」どころか、再び濁流を日本中に氾濫させようとしているかのように私には思われる。その長州出身の著者が、遺作となった大作の最終巻で、渾身の吉田松陰批判を放ったのだった。

東京都政も民進党代表選も「右対右」(あるいは「右対極右」、もしかしたら「極右対極右」)の対立構図の様相を呈している現在、安倍内閣の支持率は日経調査で62%の高率を記録した。現在の日本は斜陽国家としか言いようがないが、この長州閥の政権だけは摩訶不思議な「興隆」を見せている。しかし、吉田松陰の青写真(妄想)を思想的バックボーンとして暴走した明治維新から敗戦までの時代とは「土台」が違う。そんな中で、独裁者がいくら権力を独断専行で行使して戦前の日本を「トリモロ」そうとしても、独裁者の思い通りに事が進むはずもない。それこそ「二度目は笑劇として」歴史を繰り返すことになるはずだ。2012年末に第2次安倍内閣が発足して以来、もう4年近くも独裁政権が続いている現在は、この政権がどんな形で「破摧」するかは想像がつかない。先の戦争のような劇的な形での「破摧」になるとはおよそ思われず、政権の終わりまでにはうんざりするくらいの緩慢かつ不愉快な経緯をたどりそうな気がして、それを想像するだけでも心の底からうんざりする今日この頃なのである。

*1:そう思いついてネット検索をかけたところ、やはり同じことを連想した読者がいたことを発見した(満州国演義1 風の払暁(船戸与一) ( その他文学 ) - りぼんの読書ノート - Yahoo!ブログ)。ブログ主は慧眼にも、第1巻を読んだだけでそれを指摘していた。当該ブログ記事が書かれたのは、著者が種明かしをする4年前の2010年だった。

*2:新潮文庫版第9巻382頁=引用者註(以下同様)

*3:同383-384頁

*4:同384頁

*5:同384-385頁

*6:同385頁

*7:同385頁