kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元西鉄ライオンズ投手・加藤初死去

西鉄ライオンズ投手・加藤初の訃報に接した。まだ66歳の若さだった。

加藤がどっかの球団に移籍したあとに、広島市民球場の広島戦でノーヒットノーランを達成した試合(1976年)はたまたまラジオで聴いていた。不快な解説で私が嫌っていた青田昇(だったと思う)が加藤をこき下ろしていたが、終盤になって妙に加藤を褒め始めたと思ったら無安打投球を続けていたのだった。

また、阪神ファンの方は甲子園球場河埜和正が歴史的な落球をしたあとにタイガースがビッグイニングを作った1985年の試合を思い出される方が多かろう。加藤はその試合の先発投手で、河埜の失策のあと火だるまになったのだった。槙原がバース、掛布、岡田にバックスクリーン3連発を浴びる前の日の試合だった。

加藤の死で思い出したのだが、元阪神タイガース小林繁が死んだのは2010年初めだった。また、昨年には元日本ハムファイターズ高橋一三が亡くなった。高橋は69歳で、現在では若死にの部類だろうが、昔ならほぼ平均寿命だった。だが小林はまだ57歳での死で、これはかなりショッキングだった。私がプロ野球を見始めた頃にはまだデビューしていなかった投手だったこともある。小林が死んだ時にはこの日記に追悼記事を書いたものだ。早いものであれからもう7年近くになり、私自身が小林繁の亡くなった年齢に近づいてきた。

で、堀内とか江川とか、憎まれっ子世に何とかと思ってしまうのは私のひがみだろうか(ラスボスのナベツネもいるが)。

ひがみといえば、今でも悔やまれてならないのはあの1986年の「神が打たせた正義の一発」の試合の勝利投手・高野光の自殺だ。高野は6回表、クロマティに逆転2ランを打たれたが、その裏のブロハードの2ランで白星が転がり込んだのだった。私の記憶に間違いがなければ、高野はこの試合から1989年の同カード4回戦(神宮)にかけて、このカード7連勝(6連勝だったかも)を記録したはずだ。だが、89年4月のその試合の直後に故障して、その後の3年間を棒に振った。1992年4月にナゴヤ球場での中日戦に勝って復活したが、全盛期の投球を取り戻すことはできなかった。同年の日本シリーズ第5戦(西武球場)でも、6点の援護をもらいながら勝利投手になれなかった(延長10回表に池山が潮崎から決勝本塁打を打って試合には勝ったが)。その高野が自殺したのは2000年で、当時まだ39歳の若さだった。オリックスの投手コーチを辞めたあと、職が見つからずに苦しんでいたと聞いた。高野が加藤初高橋一三小林繁が属していたことのあるのと同じ球団の選手だったらあんなことにはならなかっただろうに、と思ったものだった。あの年、川崎憲次郎伊藤智仁らの活躍で、あのカードにヤクルトは勝ち越していた(今世紀に入ってからのその後の16年間では2011年のただ一度しか勝ち越していないが)。

話が脇道にそれてしまったが、何はともあれ加藤元西鉄投手のご冥福を心よりお祈りする。