kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

元阪急ブレーブスのダリル・スペンサー氏死去。某野球漫画にも登場

プロ野球・元阪急ブレーブスダリル・スペンサー氏が死去した。

http://www.asahi.com/articles/ASK135K8MK13PTQP00D.html

元阪急のスペンサー氏が死去、88歳 強打の二塁手
2017年1月3日17時20分

 1960〜70年代にかけてプロ野球の阪急(現オリックス)で活躍したダリル・スペンサーさんが88歳で死去したと2日、米カンザス州の地元紙(電子版)が伝えた。

 スペンサーさんは、大リーグのジャイアンツなどでプレーした後、64年に阪急に移籍。強打の二塁手として、65年にはサイクル安打を達成。日本シリーズにも4度出場した。日本でプレーした7シーズンの通算成績は、打率2割7分5厘、152本塁打

朝日新聞デジタルより)


スペンサーといえば「バット逆さま事件」があまりにも有名だ。時事通信配信の朝日記事もそれに触れている。

http://www.asahi.com/articles/ASK135RW9K13KJZR003.html

日本野球変えた精密頭脳 スペンサーさん死去
時事
2017年1月4日01時01分

 190センチの身長に、厚い胸板、丸太のように太い腕―。2日死去したダリル・スペンサーさんはいつも、相手を威圧する独特のムードを漂わせていた。体の上には精密な頭脳があり、投手の細かな癖を見抜いて球種を当てた。入団当時まだ「灰色の球団」と言われた阪急で、その存在感は際立っていた。

 1965年、野村克也(南海)と繰り広げた激しいタイトル争いは今も語り草。戦後初の三冠王を目指す野村を、スペンサーさんは本塁打と打率で激しく追い上げた。シーズン終盤、南海との直接対決であからさまに敬遠策を取られると、バットを上下逆さに持って打席に入る「抗議」も。10月に交通事故を起こして足を骨折するまで、野村の三冠王阻止に闘志を燃やし続けた。

 得意の球種盗みは、ごく小さな癖を見破る卓越した「目」から。配球などもノートに記録してナインに教えた。内野手の足をすくう激しい走法は、「殺人スライディング」と恐れられた。

 スペンサーさんの教えはナインに浸透し、阪急はやがて黄金時代へ。それは他球団にも流出し、一球ごとに頭を使い、策をめぐらす細かな野球に変わっていった。日本の野球を変えたという意味で、その功績は計り知れない。(時事)

朝日新聞デジタルより)

朝日の記事には1972年の日本シリーズ中継で打席に立つスペンサーの写真が出ている。但し、このシリーズは、前年(1971年)の第3戦に王貞治山田久志から放った逆転サヨナラ3ランのダメージが尾を引いて、阪急がいいところなく老練な川上読売に封じられた印象が強い。スペンサーも全盛期を過ぎていた(調べてみると、1968年に一度現役を引退した後、71年に選手兼打撃コーチとして復帰したらしい)。

また、梶原一騎が原作を書いた某野球漫画にもスペンサーは登場した。この漫画でスペンサーは、花形満と同じ特訓を受けて大リーグボールを打とうとしたが、バットのグリップエンドを狙われて打ち取られた。大リーグボール誕生の時の紅白戦で打ち取られた王貞治ともども損な役回りだった。