三浦朱門が死んだ。己の無知を晒すと、この人の小説を読んだことは一度もない。
http://www.asahi.com/articles/ASK2472X1K24UCLV006.html
作家の三浦朱門さん死去 91歳、妻は曽野綾子さん
2017年2月4日23時33分
元文化庁長官で、日本芸術院院長を務めた文化功労者、作家の三浦朱門(みうら・しゅもん)さんが3日、死去した。91歳だった。妻は作家の曽野綾子さん。東京都生まれ。東京大文学部を卒業。同人雑誌「新思潮」を友人の故・阪田寛夫さんらと発行し、そこに発表した作品が雑誌「展望」に転載され、デビューした。芥川龍之介を思わせる作風といわれ、吉行淳之介らとともに「第三の新人」の一人。
作家としては、家族の崩壊を知的に描いた「箱庭」で1967年、新潮社文学賞。戦争中住んだ場所をもとにした「武蔵野インディアン」で83年、芸術選奨文部大臣賞。保守的な言論で知られた。
85年、中曽根内閣で、民間人としては今日出海(こんひでみ)氏以来2人目の文化庁長官になり、国民文化祭を始めたほか、教育課程審議会委員・会長、日本芸術文化振興会会長、日韓文化交流会議座長などを歴任し、教育・文化行政に力を尽くした。一方で、「女性を強姦(ごうかん)する体力がないのは男として恥ずべきこと」と雑誌で発言して、非難を浴びた。
日本文芸家協会理事長を88年から3期務めた。99年、文化功労者、87年に日本芸術院会員、04年から14年まで同院長。
53年に結婚した曽野さんとは「おしどり夫婦」と呼ばれ、ともにカトリック信者。大阪万博でキリスト教パビリオンをプロデュースした功績に対し70年、阪田さん、遠藤周作さんとともにローマ法王庁から聖シルベストロ勲章を受けた。
(朝日新聞デジタルより)
記事には、何を腰を引いているのか、「保守的な言論」などと書かれているが、正しくはもちろん「右翼的な言論」「時代錯誤的な言論」と書くべきところだろう。それでも、「温厚でバランス感覚に優れ」などと書いた毎日のふざけた訃報記事よりはマシかもしれないが。なお最初ネット検索に引っかかったのは毎日の記事だったので、それを引用しようと思ったが、「温厚でバランス感覚に優れ」という表現にブチ切れて朝日に差し替えたのだった(笑)。
Simon dead - Living, Loving, Thinking, Again(2017年2月4日)より
(前略)「温厚でバランス感覚にも優れ」た人が「女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」というのだろうかというのはともかくとして、三浦朱門についてはあまり知らないのだった。曽野綾子の亭主として、またカトリックの作家として遠藤周作のおまけみたいについてくる名前として、勿論名前は知っていた。同様に「第三の新人」と一括された安岡章太郎が昇天した際、「吉行淳之介も亡くなり、カトリックの洗礼を受けた時の代父であった遠藤周作も既におらず、「第三の新人」で生き残っているのは阿川弘之のみ?」と書いたのだった。あからさまな三浦外し! 左翼的偏向と言う勿れ、阿川弘之が筋金入りの右翼だったことは日本文学に少しでも関心がある人にとっては常識に属することだからだ。これは偏に私の無教養によるもの。三浦的世界といえば、「ゆとり教育」を巡っての要するに従順な馬鹿が必要だというようなアレな発言を斎藤貴男『機会不平等』からの孫引き的に知っているのみ。三浦の名前は私の意識の背後に殆ど退いていたのだが、昨年秋に古寺多見氏の「夫の三浦朱門が認知症になった曽野綾子は、丹羽文雄の前例を知らなかったのか」というエントリーを読んで、彼が「認知症」に罹っていることを知ったのだった。それから半年も経たぬうちに昇天。
もちろん「(前略)」の部分に毎日新聞の訃報記事があり、引用部分の冒頭はそれを皮肉ったものだ。それから、記事に引用されているこの日記の記事は、昨夜1000件以上のアクセスがあった。
上記記事には、昨日一日間で1060件のアクセス(うちスマホ経由のアクセスが507件)があった。だが、上記は三浦朱門に関する記事というより曽野綾子を批判した記事だ。それが多数アクセスされるほど三浦朱門の存在感は薄かったというべきだろうか。そういえば、作品を一つも読んだことがないのだから当然かもしれないが、三浦朱門の代表作って何だろうと思ってしまった。朝日と毎日の訃報記事にともにあがっているのが『箱庭』(1967)と『武蔵野インディアン』(1982)だが、作品名すら知らなかった。また、Wikipediaを参照すると『冥府山水図』(1951)というのも挙がっているが、この小説の名前にも覚えがない。映画化で話題の『沈黙』やこの日記でも何度か取り上げた『海と毒薬』などの代表作の名前がすぐに思い浮かぶ遠藤周作とは全く比較にならない。
そんな影の薄い三浦朱門を一躍有名にしたのが、あの名作『梶原一騎伝』で知られる斎藤貴男だったというべきか。前記Wikipediaから引用すると、
2000年7月、ジャーナリストの斎藤貴男に、「出来ん者は出来んままで結構、100人中2〜3人はいるはずのエリートを伸ばす。それ以外は実直な精神だけ持っていてくれればいい」「魚屋の息子が官僚になるようなことがあれば本人にも国民にとっても不幸になる」と、エリート主義的な発想からゆとり教育を導入したと語った*1。
Wikipediaから、上記引用部分の前後に挙げられている三浦の妄言の数々もついでに引用しておく。
- 1985年、文化庁長官に就任し、「女性を強姦するのは、紳士として恥ずべきことだが、女性を強姦する体力がないのは、男として恥ずべきことである」「レイプ犯人が犠牲者として貞操についてルーズな思想の持主を襲ってくれればよいのです。」「彼女たちはそういうことにあっても、水溜りで転んだ程度にしか考えないでしょう」「これも自分が魅力的だからこんなことになったのだと、かえってお得意になってくれるかもしれないのです。」などの雑誌での文章が、東京・強姦救援センター(田島直美代表)などから抗議を受け、6月20日の参議院文教委員会で粕谷照美議員から追及され「売文業者として一種のだじゃれのつもりだったが、いろいろな点において書き間違った部分があると反省している」と陳謝した。
三浦は一方で、
という、意外にもまともな側面も持ち合わせていたようだが、それを打ち消してあまりあるほど三浦の妄言の数々はひどかった。
それゆえ、この人の冥福を祈る必要は特にあるまい。
*1:斎藤貴男『機会不平等』文藝春秋 2000年 (http://www2s.biglobe.ne.jp/~mmr/glocal/2001/588/book.htm)=Wikipediaの脚注。