kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

2017年1月に読んだ本・日高六郎編『1960年5月19日』(岩波新書)

最近は本の話といえば松本清張清水潔の本についてしか書いていないのだが、もちろん他の本も読んでいて(とはいえ今年はこれまで読んだ10冊のうち5冊が松本清張だが)、1960年に書かれた下記の本を読んだときには考えさせられてしまった。本は安保法案が審議されていた2015年に「アンコール復刊」されていたのが2016年末にまだ三省堂書店に目立つ形で置かれていたのを買って2017年に入ってからようやく読んだ。


1960年5月19日 (岩波新書 青版 395)

1960年5月19日 (岩波新書 青版 395)


私がつけている読書記録によると、この本を読み始めたのは1月18日、読み終えたのは1月29日だった。日高六郎は昔、確か80年代か90年代に、古い岩波新書(タイトルは忘れた)を1冊読んだだけで、その頃は今でもさして詳しくない政治思想について今よりももっと無知だったので、「古い進歩的文化人」という印象しか持たなかったのだが、今回『1960年5月19日』を読んで再評価した。ネット検索した限り、先月11日に満100歳を迎えた日高氏は今も健在。この本において日高氏は「編者」であり、他に藤田省三鶴見俊輔鶴見良行、荒瀬豊、石田雄が執筆している。鶴見俊輔氏は一昨年に93歳で亡くなったばかり。俊輔氏の従弟の鶴見良行氏は1994年に68歳で、藤田省三氏は2003年に75歳でそれぞれ亡くなっているが、1923年生まれの石田雄(たけし)氏と1930年生まれの荒瀬豊氏は健在のようだ。

本を読んでもっとも強く感じたのは、1960年と2017年の今の連続性と、57年前の課題は今なお解決されていないことだ。一方で、現在や1960年と1945年以前とはとてつもない段差があり、その間には越えがたい深い谷(それはもちろん先の戦争と敗戦という結果によって作られた谷だ)がある。戦後と戦前との間の谷に橋を架けて、いま生きている人間が戦前の世界に行けるようにすることに、安倍晋三は人生を賭けているんだろうなと思う。もちろん私はそんな安倍の野望を阻止せんとする側の人間だ。その一方で、人間心理は昔も今も変わらないから、安倍の野望が成就すれば、それは日本に生きる人間にとって悪夢が現実になる日だ。もっとも、極右の小池百合子民進党支持者や括弧付きの「リベラル」(または都会保守)のみならず、元衆院選東京11区共産党公認候補にして現共産党東京都議までもがすり寄るありさまだから、大多数の人間は戦前の社会に回帰しても適応してしまうのかもしれないが。

他に気づいたことは、2015年のSEALDsはもしかしたら、「声なき声の会」をモデルにしてリベラル・左派側の人間がプロモートした集団だったのではないかということだ。本には「声なき声の会」に属する「普通の学生」のコメントが掲載されていた。「声なき声の会」には自発性があったかもしれないが、SEALDsには人為性の匂いが強く、彼らの肝煎りによる「野党共闘」は、極右新自由主義者小池百合子民進党のみならず共産党までもがすり寄る(回収される)惨状を招いただけに終わりかねない状況だ。

昔の平和運動は戦争末期の空襲や広島・長崎の被爆という被害面ばかりが意識されて中国や朝鮮半島にとどまらないアジアの人々への加害責任があまり意識されていなかったという固定観念を私は持っており、実際本書でも原爆被害への言及があるが、さすがに本書の編者たちのレベルになると加害責任もしっかり意識されていた。

細かい話だが、昔の新聞で「ハガチー」と表記されていたホワイトハウス報道官は、本書ではハガティと表記されている。ハガチーなんて夏目漱石の『吾輩は猫である』に出てくる「サヴェジチー」(番茶をなんというかと聞かれた苦沙弥先生が「サヴェジチー(savage tea。蛮茶の意)」と答えて笑われるエピソードがある)みたいだ。昔の新聞の固有名詞表記はこんなのが多く、カーチス・ルメー(孫崎享のいう「自主独立派の政治家」(笑)・佐藤栄作に勲章を贈られた戦争中の米軍の鬼畜=実質的には極悪な戦争犯罪人)は今ならカーティス・ルメイだろうし、ガンジーもガンディーだろう。

しかし固有名詞の表記には進歩があっても、人間のものの考え方にはいっこうに進歩がない。57年前の課題を今なお解決し得ていないばかりか、このところ後退が目にあまるほどひどい。このざまでは、戦前と戦後の間に生じていた深い亀裂を越える橋を築くという安倍晋三の途方もない野望が達成されてしまうのではないか。そう考えると、それでなくとも鬱々とした気分がさらに暗くなったのだった。

以上、感想の断片だけ書いて本の内容については全然書かなかったので(読み終えてから2週間も経っているのに、本を目の前に置くことさえせずに書いているせいだ)、内容についても書かれている記事(ネット検索でみつけた)を2件挙げておく。