kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

長谷川幸洋と小池百合子

これはすっきりして胸にストンと落ちる指摘だ。非常によく納得できる。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170211/1486773421#c1486862456

id:mtcedar 2017/02/12 10:20

高橋洋一長谷川幸洋田中秀臣に上念司といった“りふれは”の面子って、金融政策には積極的だけど一方で財政政策は否定的・況や社会政策をやという具合で、実のところ財政タカ派”・“金融右派”ともニュークラシカルな側面が強いとこで共通しているんですよね。リテラが長谷川幸洋を取り上げた記事にもその点で自分は違和感を感じ、処世術的に機会主義の様に見えてもニュークラシカルの市場原理主義を奉じているところでは一貫している(それは中日新聞東京新聞の“社論”だったりする)んじゃないかと自分には思えます。


青字ボールドにした部分は、常日頃というか深夜目が覚めて朝生で高橋洋一が金融政策が以下に効くかを力説していたおよそ10年前(当時は長谷川幸洋田中秀臣、上念司らの名前は知りませんでしたが)から思っていたことです。それは先日、リフレ派が新自由主義者であるとは限らないが、新自由主義的なリフレ派(「りふれは」)ならいる、長谷川幸洋はその一人だ、と書いた通りです。

今回、「すっきりして胸にストンと落ちる指摘だ。非常によく納得できる」と思ったのは、赤字ボールドにした部分、特にその後半でした。

私が東京新聞に疑問を持つようになったのは、同紙が日本未来の党応援を社論としたことがきっかけです。これには同党が事実上小沢一郎の政党であったという属人的な理由があることは否定しませんが、それ以上に、当時小沢一郎が口癖のように「私の考えは橋下市長と同じだ」と言っていたことに一切触れずに東京新聞日本未来の党を応援したことに強くひっかかったのでした。つまり、東京新聞脱原発派のためなら新自由主義政党(党首の考えが橋下徹と同じであるなら、当然そのように断定せざるを得ません)を応援するということだな。そう思って同紙に対して強い不信感を持ったのでした。

そして、「処世術的に機会主義の様に見えてもニュークラシカルの市場原理主義を奉じているところでは一貫している」という指摘で直ちに思い出されたのが、小池百合子に関する『広島瀬戸内新聞ニュース』の指摘でした。東京都知事選より前の昨年7月6日の記事です。

「劣化ウランより硬い新自由主義」の小池百合子さんを「信念がない」といったら失礼だろう : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2016年7月6日)

小池百合子さんについて、「信念がない」という批判は多い。
しかし、わたしが見るところ、小池さんは鉄よりも硬い劣化ウランのような信念をお持ちです。
彼女はがちがちのポストモダンに流行した改革右派、新自由主義者です。
自民党を経済政策では右から批判する一方、腐敗防止には熱心なタイプです。
細川さん、小沢さん、小泉さんと師匠を変えたのも、「そのときそのときで、もっとも信念に近い政党・師匠を選んだ」だけのことです。
小池さんがぶれたのではなく、むしろ他の政党や大物政治家が結構スタンスを変えている傾向があります。小沢さんも、2003年の民主党入党以降は横路グループと連携し、社民主義、護憲寄りにスタンスを変えて現在に至っています。
一方で、2001年に自民党総裁になった小泉さんが新自由主義を打ち出した。こうしたことを背景に、小池さんが小泉自民党へ行ったことは不思議ではないのです。


最近では安倍さんが率いる自民党新自由主義と言うよりは国家社会主義になってきたので、違和感を覚えたのではないか?


それで、都知事になって、1990年代頃にはやった新自由主義的な改革を都政でガンガンやろうということだと思いますよ。
小池さんは信念がない、と言う批判の仕方をすると、相手を見くびることになります。彼女は確固たる新自由主義である。


そういう相手に対して、野党側は、「古い自民党」の安倍(傀儡候補)でもない、「新自由主義ゴリゴリ」の小池でもない、第三の道をしっかり示していくことです。


そうだ。長谷川幸洋小池百合子も「新自由主義ゴリゴリ」の部分では共通している。それどころか極右という点でも共通している。違うのは、「リフレ派(りふれは)」であるかどうかだけじゃないか。小池百合子高橋洋一なり長谷川幸洋なりの教えを受けて「リフレ派(りふれは)」になれば、彼らは何から何まで同じの「なかまたち」になる。そう思いました。

長谷川幸洋をもうしばらくの間(3月いっぱい?)は「論説副主幹」として飼い続けるであろう東京新聞は、昨年秋だったかの「こちら特報部」に、小池百合子への期待全開・批判皆無の記事を載せたことをこの日記にいただいたコメントで知りました。

今のところ確認できている長谷川幸洋東京新聞紙上に署名入りで書いた最後の記事(下記)は象徴的だと思います。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/ronsetu/CK2017011602000128.html

【私説・論説室から】
正念場を迎える小池改革
2017年1月16日

 夏の都議選で小池百合子都知事はどう戦うのか。知事は独自候補の擁立に向けて準備を進める一方、民進党は連携のラブコールを送っている。私はずばり言って「民進と手を組めば、小池改革は失速」とみる。

 その理由は民進が都政改革に熱心とは思えないからだ。改革とは何か。都政でも国政でも同じだが「行政の無駄遣いや非効率を改める」ことだ。具体的には、都が抱える多くの関連団体の整理統合・縮小と、それに伴う都職員の天下り縮減である。

 たとえば、東京になぜ地下鉄が二つもあるのか。利用者からみれば、東京メトロ都営地下鉄が一本化し組織がスリムになって、料金が下がり便利になれば言うことはない。

 だが、都職員を含めた労働組合の支持を受ける民進党天下り縮減の改革を進められるか、おおいに疑問がある。組織が整理統合されれば、ポストが減ってしまうからだ。

 いま小池知事が手掛けている仕事も改革というより、実態は「改善」に近い。都の交通局が都政改革本部に提出した資料をみても「お客さまの声をホームページに掲載する」とか「デジタル案内板を見やすくする」など、お手軽な改善案ばかりである。

 役人任せでは大胆な制度改革はできない。民進と手を組むようなら、なおさらだろう。都議選でどれだけ自前の政治勢力を確保できるか。正念場を迎える。(長谷川幸洋

言い訳がましく「私説」などと逃げ道を作ってはありますが、これぞ「新自由主義者の、新自由主義者による、新自由主義者のための論説」といえるでしょう。

なるほど、だから昔から長谷川幸洋に対する「リベラル・左派」の批判が弱かったのか。小池百合子にすり寄る「リベラル・左派」(最近は左翼政党の一部までもが)が後を絶たないのと同じ理屈だったんだな、と納得した次第です。