先刻公開した記事*1に
今までは佐村河内守・小保方晴子とトリオを組んだとされていたのは野々村竜太郎とかいう号泣兵庫県議だったが、こいつでは他の2人より格落ちなので、野々村の代わりに安倍昭恵をトリオに入れてやれば良いと思った。
と書いたが、安倍昭恵と小保方晴子の2人が、ある人間を介してつながる、というより、今はもうこの世にいないある人物が、安倍昭恵との共通点と小保方晴子との共通点を持っていることがわかった。
エレナ・チャウシェスク(1916-1989)がその人だ。
まず、『広島瀬戸内新聞ニュース』より。
ポスト安倍ジャパンの課題 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2017年3月24日)より
ポスト安倍ジャパンの課題
※安倍ジャパン=「安倍晋三「皇帝」・昭恵(皇后)両陛下とその取り巻きが、法治主義・立憲主義を無視し、違憲立法や、税金や公有財産浪費などやりたい放題する状態。」命名に当たっては、「サウード家のアラビア」という意味の「サウジアラビア」を参考にした。
安倍ジャパンの要因
小選挙区比例代表並立制・政党交付金・政党公認候補以外は政見放送させないなどの不平等選挙・高すぎる供託金など
→総理に逆らうことは公認を外され、政治生命を失うことに(2005年郵政選挙の「教訓」)→総理に逆らう自民党議員皆無→総理暴走へそもそも、行政府の暴走にストップを掛けなかった最高裁。形骸化していた国民審査。
民主党政権への失望の反動。
3.11後、「古いもの」に頼る気風の復活。
他方で、市民派・リベラル派ないし反自民側も過剰に既得権益打倒に走る傾向→既成政党に天誅!論。維新の躍進+反自民票の分散→2012年衆院選での自民党による政権奪還。
今後の見通し。
チャウシェスク夫妻化した「安倍」皇帝。チャウシェスクは実際は元腹心のイリエスクに首を取られた。革命と言うよりはクーデターだった。
自民党内のクーデターの可能性?
参考 チャウシェスク打倒後のルーマニア
チャウシェスク政権後→現実にはチャウシェスク体制の幹部の多くが温存された。そのまま救国戦線という形で権勢を振るった。1990年代半ば。国民の救国戦線への不満を悪用して新自由主義者が台頭し、一時政権奪還。さらなる混乱。
その後は、「チャウシェスク政権時代の方がマシだった」という世論調査結果も。
貧困の拡大。民族対立の激化。内戦の一歩手前の事態も。
その後も、後遺症でインフレは2000年代前半、大幅な貿易赤字は現在も続く。
日本への教訓
安倍倒れるといえども、利権構造が変わらない恐れ(ルーマニアにおけるイリエスク政権時代)。また、人々の腐敗への不満が、新自由主義の復活を招く恐れ。日本で言えば、「小池百合子総理」(小泉の再来)の可能性。
「腐った国家社会主義者」(石原、安倍)から「クリーンな新自由主義者」(小池)へ。具体的には、腐敗への不信が政府への不信、さらなる小さな政府論へ向かう危険。格差が拡大している時期にさらなる小さな政府論で混乱を招く恐れ。
1989年のルーマニア「革命」は、勃発当初は他の東欧諸国と同じく革命としての位置づけで報道されていた。そのため私もルーマニア「革命」が実質的にはクーデターであるため、ルーマニア「政変」とも呼ばれているという有力らしい学説については知らなかった。
それでちょっとネット検索をかけて、下記pdfに行きついた。ジャーナリストの惠谷治氏が書いた「ルーマニア革命は市民蜂起に便乗した『宮廷クーデター』だった」である。
この中に、非常に興味深い記述があった。以下に引用する。
チャウシェスクを知る駐米大使や国連大使を歴任した反体制派活動家のシルヴィュ・ブルカンは、自著『ルーマニア・二つの革命』のなかで、チャウシェスクの人物像を以上のように書いている。
チャウシェスクはルーマニア共産主義青年同盟員だった1946年、2歳年上のエレナ・ペトレスクと結婚した。妻のエレナは1916年1月6日、ドゥンボヴィツァ県の寒村プレトレスティの農民の娘として生まれ、若くしてブカレストに上京し繊維工場の工員となった。共産主義青年同盟を経て共産党に入党したエレナは、戦時中の1944年に共産主義青年同盟中央委員となり(28歳)、1965年に夫が党第1書記に就任すると、党中央委員となった(49歳)。1973年6月の党中央委員会総会において、エレナはソ連の党政治局にあたる党政治執行委員会の執行委員に選出された(57歳)。74年11月、党政治執行委員会常務局が新設されると、エレナは77年1月、党執行常務委員となり、79年に科学技術全国評議会議長に就任、80年3月には第1副首相に就任すると(64歳)、夫婦独裁制が始まった。
「エレナの最大の才能は、自分が化学についてほとんど無知であることを隠したことだ。彼女は『国際的な評価を得た学者』になったが、ルーマニアの化学者と知識を分け合ったことも、化学について講義したこともない。<略>ニコライと違い、エレナは頭が悪かった。さらに、自分に関することはすべてでっち上げ(地下活動、博士号、科学的業績はすべて作られたもの)であることを知っていただけに大変な不安を感じており、夫よりも意地が悪かった」
前出のシルヴィュ・ブルカンは、チャウシェスクの妻を以上のように分析している。金日成の後妻である金聖愛が党中央委員に選出されたのは、1970年のことで(46歳)、その翌年に朝鮮民主女性同盟の委員長に選出されたが、職務的にはそれ以上の地位に就いていない。それが継母を嫌悪する金正日がいたためである。しかし、それでも北朝鮮で夫婦独裁制となっていた一時期はあったのである。
(惠谷治「ルーマニア革命は市民蜂起に便乗した『宮廷クーデター』だった」より)
エレナ・チャウシェスクとは、まさに安倍昭恵と小保方晴子のハイブリッドのような人間ではないか。
なお惠谷氏はルーマニア「革命」について、
チャウシェスク独裁に最初に叛旗を翻したのは市民たちだったが、暫定政権の実権を握ることになる共産党幹部たちによる一種の「宮廷クーデター」だったことは、状況が緊迫していたとはいえ、チャウシェスク処刑を急いだことにも現れている。ルーマニア革命は「盗まれた革命」ともいわれるが、「市民蜂起に便乗した宮廷クーデター」だった(後略)
とまとめている。
ところで安倍政権がクーデター的に打倒される可能性について考える時不気味なのは、稲田朋美に対する自衛官の強い不満だろう。以前、自衛隊秋田地方協力本部大館出張所の男性隊員が、稲田朋美防衛相を「少々頼りない」と記した自衛官募集チラシを作ったことが露呈した時、自衛隊員と一緒になって稲田朋美を笑いものにした、おそろしく思慮に欠ける某「リベラル」(都会保守)のブログがあったが、あの一件は文民統制を脅かすという視点で自衛隊員が批判されなければならなかったことはいうまでもない。それを前提として初めて文民統制を確実に行うことができない稲田朋美を批判しなければならなかったのだが、その後例の南スーダンの陸自の日報の件に関して、稲田の文民統制の能力がさらに疑問視されるようになった。もっともこの件は、先週のTBSの『サンデーモーニング』で田中秀征が示唆していた通り、日報の隠蔽は自衛隊の意図ではなく、稲田朋美による隠蔽でもなく、官邸(安倍晋三本人か菅義偉かのいずれか)の指示による*2可能性がきわめて高いと私は考えているし、リテラだったかもそれを指摘する記事を公開しているが、結果として表面に表れているのは、稲田朋美への自衛隊員の不満・不信が日に日に強まっていることだ。しかも稲田は森友学園事件にも深く関与していたことが明らかになりつつある。しかるに安倍晋三は今に至るも稲田の首を切る気配を全く見せない。
こんな安倍晋三に危機管理が十分できているといえるだろうか。籠池泰典の証人喚問にしても、籠池の「安倍総理の100万円寄付」のマスコミへのリークに安倍晋三が瞬間湯沸かし器のようにブチ切れて「籠池を証人喚問しろ!」と命じたことが急転直下の証人喚問実現になったとされている。ところが蓋を開けてみると籠池の証言が予想をはるかに超えてしっかりしている上に説得力があり、しかも物証まで持ち出されてきたことから、引退した元自民党議員や田原総一朗や安倍の鮨友の後藤謙次にまで、安倍昭恵の証人喚問の必要性を指摘ないし示唆される結果に終わった。つまり安倍晋三は自ら墓穴を掘ったといえる。このように、安倍晋三の危機管理能力は極めて心許ないのである。
もしかしたら、この政権はもう長くないかもしれないなと思うようになった。ただ、政権が倒れるにしてもその倒れ方が問題だし(自衛隊のクーデターは論外だが、小池百合子でも安倍よりもっと悪くなる)、倒れなければそれはそれで大問題だ。
これが「崩壊の時代」ならではの渾沌というものなのかもしれない。
*1:http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170325/1490399046
*2:なお田中秀征は「自衛隊の外部」とだけ言って「官邸」とは言わなかったが、暗に官邸を指していたことはテレビを見ていた人の大半が気づいたことだろう。