kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

id:gamatoの正体は「古い極右」だった

id:gamatoがついに本性を現した。やはりネトウヨだった。

http://d.hatena.ne.jp/kojitaken/20170421/1492786706#c1492788934

gamato 2017/04/22 00:35

韓国と連携して拉致解決とかしたい私がネトウヨ? そもそも韓国が北を統一して拉致解決させるのがベストだったのに冠のひも戦術の通りに左派が日韓の仲を裂いたのを嫌っている『保守本流』ですよ。 金大中拉致事件の時に扇動やデモをあれだけしたのに、ラングーン事件大韓航空の事件や金正男暗殺の時には日韓の『市民団体』が静かで静かで。それならお父上もネトウヨと呼んでたの? 軍帰りの父親を吊し上げてた連中を思い出すね。 今、国民が嫌韓みたいな嫌な風潮になったのはほとんど過去に日本のマスコミや左派が騒いでおきた結果じゃないか? 普通に働いてた併合当時を知る韓国人の日本への感情の主流は日本を乗り越えてやる!みたいなので今みたいな『日本に地震よ』『日本人が沢山死にますにように』があんなに支持される卑劣な国ではなかった。
NAVERの韓国人のコメントを見ると、私が知ってたあの壮年の男性らは最早非主流なのかた悲しくなるだけ。 ほとんど日韓友好を破壊して、火を付けて扇動した役は左派日本人だから嫌悪するだけ。

相変わらず意味不明の文章を含んでいるが、朴正煕(パク・チョンヒ。昔は「ぼくせいき」と日本語読みしていた)時代の韓国を擁護する昔からの右翼であることだけはわかった。「ネトウヨ」とは「ネット(で意見を発信する)右翼」の略語であり、他人のブログにコメントを書き込むid:gamatoには文字通りの意味で当てはまる。ただ、2ちゃんねる擁護でいうところの「嫌韓厨」、つまり「嫌中厨」と並ぶ現在のネトウヨの主流からは外れているだけである。いわば広義の「ネトウヨ」だ。「非主流派ネトウヨ」とでも呼んでやろうか。なお、いまどきのネトウヨは必ずしも北朝鮮を嫌っていない。例の「敵味方思考」によって、主流派ネトウヨの敵・韓国の敵である北朝鮮にはほのかなシンパシーを抱いているわけだ。但し、昨今のように米朝関係が緊張すると、掌を返して「北朝鮮の脅威」を言いたがるのもネトウヨの特徴ではある。彼らは実は内心、「北朝鮮とは利用しがいのある国だ。できれば潰れないでほしい」と願っているのではないか。そういえば、安倍晋三小泉内閣官房長官だった2006年から今に至るまで、なぜか安倍がピンチになるたびに北朝鮮がミサイルを発射する「偶然」が続いている。北朝鮮とはネトウヨ安倍晋三にとってあまりにも都合の良すぎる国なのだ。

なお、「北朝鮮シンパ」は必ずしもネトウヨに限らず、「小沢信者」の主流を占める「反米保守」または「反米左翼」(「小沢信者」は大半がこの2つのいずれかに当てはまると私は考えている)の間にも見られるようだ。ネタか本気かわからないが(おそらくネタなのだろう)、昨夜遅く、今週初めに書いた きまぐれな日々 日本にとって最大の脅威は金正恩ではなくトランプだ に下記の無記名のコメントをもらった。

http://caprice.blog63.fc2.com/blog-entry-1472.html#comment20384

どんなに大国が圧力をかけようと自主(チュチェ)の旗を下ろさない(核を放棄しない)北朝鮮に、ちょっと憧れちゃいます。
日本も核があればアメのポチから卒業できると思うのですが。

2017.04.21 23:02


これなど、核兵器保有する北朝鮮に「ちょっと憧れちゃいます」という部分からは、よくある「隠れ北朝鮮シンパのネトウヨ」を思わせるが、「アメのポチから卒業できる」という部分からは、「小沢信者」的な「反米保守」または「反米左翼」を想起させる。まあ実際問題、ネトウヨと「小沢信者」との間は極めて近く、「小沢信者」とは(狭義の)ネトウヨの変種に過ぎない、と私は思っているのだが。

無駄口を叩き過ぎた。本論であるid:gamato批判に移る。

金大中拉致事件の時に扇動やデモをあれだけしたのに、ラングーン事件大韓航空の事件や金正男暗殺の時には日韓の『市民団体』が静かで静かで。

金大中拉致事件については、あとで4年前に書いた記事を再掲する。あの事件は韓国の朴正煕政権による日本の主権侵害だったわけで、抗議デモをされて当然だ(私は当時小学生だったからデモに参加はしてないが)。ラングーン事件(1983年)や大韓航空機爆破事件(1987年)や金正男の暗殺は確かにひどい犯罪行為だが、日本の主権侵害には当たらないから抗議デモをする理由はない。なお、ラングーン事件当時に社会党の政治家たちが北朝鮮を弁護したりしたことは2002年に「しんぶん赤旗」が指摘した通り事実だが、彼らのような一部の左翼の感化を受けてネトウヨが韓国を嫌うようになったなどとid:gamatoは思っているのだろうか。

まさか。

嫌韓厨」を生み出したのは、id:gamato、あんたのような自称「保守本流」たちだよ。ネトウヨ主流派の製造責任はあんたらにある。平気で他国にいる野党政治家を誘拐・監禁させた恥知らずの朴正煕や、軍事クーデターを起こした上に光州事件出多数の市民を虐殺した全斗煥(チョン・ドゥファン。昔は「ぜんとかん」と言った)のような人間を支持するあんたらから、ネトウヨは生まれてきたんだよ。最近の韓国の政権は、この間逮捕されて大統領を罷免された朴槿恵のような右派政治家でさえ朴正煕や全斗煥のような強権政治をやらなくなったからネトウヨの間で人気がなくなっただけだ。ただ、主にエスタブリッシュメント層が関与している統一協会系とのつながりは今でも切れてないだろ。この記事を書いている途中に思い出したのだが、昔は統一協会系の世界日報が日本でも有数の右翼紙だった。世界日報は産経よりも右だったんじゃないか? 私が訃報記事で「冥福を祈る必要などない」と書いた渡部昇一が熱烈な「世界日報信者」だったことはあんたも知ってるだろう。面倒なのでWikipediaを頼るが、渡部は、

  • 古くから世界基督教統一神霊協会統一教会)と関係を持つ。1985年6月のカウサ(CAUSA。アメリカ社会統一協会連合)第三回日本会議に出席、さらに、1985年8月5日の東京勝共講師団結成集会では基調講演を行っている。また、統一教会系の新聞である世界日報を「この四分の一世紀の間、日本のクオリティ・ペーパーであった」と2001年1月の世界日報25周年記念メッセージにおいて6行で、他の4人とともに述べている。また一時「世界日報をおすすめします」と題する世界日報の広告にも登場し、同様の内容のコメントが他の3氏の物と共に掲載されていた。

とのことだ。

この渡部昇一なんかが、あんたの言う「日韓友好」を体現していた人間なんだよ。まさに極右。そう、自称「保守本流」のあんたの正体は「保守本流」なんかじゃない(あとで引用する4年前の私の記事に書いた通り、当時の「保守本流」は、岸信介ら極右の親韓派政治家に妥協して金大中事件を「政治決着」させはしたが)。「古い極右」だよ、あんたは。多分歳をとってそうだから「老極右」なんだろうよ。それこそ岸信介渡部昇一と同じ系列の人間だ。

そのあんたが、「戦後民主主義の支持者として」とか丸山眞男の名前を持ち出したりとか、僭称もいいところじゃねえか。「あんたと一緒にされてたまるか」とあの世で丸山眞男も激怒してるだろうよ。ふざけるな!

以下は付録。4年前に書いた金大中事件に関する記事をそのまま再掲する。

少し古いが、6月29日付朝日新聞夕刊に掲載された「昭和史再訪・(昭和)48年(1973年)8月8日 金大中事件」に、岸信介の悪行が書かれているのでこれに触れておく。

岸信介は、いうまでもなく安倍晋三の敬愛する母方の祖父であるとともに、孫崎享が信奉し、それを岩上安身らが大々的に宣伝したために、今では「小沢信者」たちからも英雄視されている。

しかし、田中角栄政権時代の1973年に起きた金大中拉致事件の時、岸信介がとった言動は下記のようなものだった。以下朝日新聞記事より引用する。

 (韓国の日本に対する=引用者註)主権侵害を問わない政治決着は、岸信介ら親韓派自民党議員が強く主張した。韓国との交渉、国内では徹底究明を訴える警察庁の説得の板挟みになった外相大平正芳の髪は一気に白くなったという。

朝日新聞 2013年6月29日付夕刊掲載記事「昭和史再訪・48年(1973年)8月8日 金大中事件」より)


この記事には、事件当時の毎日新聞ソウル特派員だった古野喜政記者(76)の「証言」が出ている。

拉致から2年語の1975年9月、古野元記者は金大中氏から「どうしても会いたい」と言われ、金氏の自宅を訪ねた。盗聴を警戒する金氏は、ラジオをつけ、重要部分は筆談したという。以下朝日新聞記事より引用する。

(前略)彼(金大中氏=引用者註)はKCIAに確実な情報源を持っていた。「3日後に有罪判決が出て収監される。獄中では命の危険がある。助けてほしい」。翌日の朝刊に収監見通しと書いた。結果、公判は「判決延期」。記事で公判のことを知った米国が圧力をかけたのだろう。後に私のことを「一番苦しい時に命を救ってくれた」と後輩記者に語ったそうだ。

 私の取材では、日本政府は拉致4日後に全容を把握したが、40年たった今も一切語らない。政治決着を進めるために韓国に「金東雲を犯人だと認めるな」と強硬な態度を振り付けさえした。主権・人権の感覚のない為政者が外交を左右していたことに怒りを覚える。

朝日新聞 2013年6月29日付夕刊掲載記事「昭和史再訪・48年(1973年)8月8日 金大中事件」〜「証言 事件当時の毎日新聞ソウル特派員・古野喜政さん」より)


この「金大中拉致事件」は、私にとってはロッキード事件や列島改造、それに金脈人脈の件以上に、田中角栄政権史上もっとも悪い印象を持っている事件である。この田中角栄小沢一郎の師匠であるとともに、孫崎享岸信介ともども「敢然とアメリカに立ち向かった『自主独立派』の政治家」として絶賛している。しかしその田中も(大平正芳もだが)古野元毎日新聞記者に「主権・人権の感覚のない為政者」として一蹴されているのである。そして、田中や大平が行ったこのような最悪の「政治決着」を後押ししたのが、「敢然とアメリカに立ち向かった『自主独立派』の政治家」(by 孫崎享岸信介だった。

もっともこの件で岸(や田中・大平ら)はアメリカではなく韓国の朴正煕独裁政権に日本の主権を差し出した。「小沢信者」のみならず、安倍晋三を崇拝するネトウヨ諸賢の見解をもうかがいたいものである。


今読み返すと、岸信介に対する表現が甘過ぎた。岸は田中角栄大平正芳の「政治決着」を「後押しした」と書いたのだが、「政治決着」をするよう「圧力をかけた」と表現すべきだった。