kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

違憲の疑いが強い「共謀罪」法案が衆院法務委員会で可決

今週は月曜から金曜まで、『きまぐれな日々』のコメント承認などを除いて、ブログ活動を休んだ。仕事が忙しかったためだ。その間ネットはほぼROM状態で、政治に関するマスメディア情報は専ら朝日新聞と『NEWS23』の報道だけだった(帰宅はたいてい『報道ステーション』は天気予報かスポーツコーナーの時間帯だった)。秋篠宮家の長女の件は、まだ婚約もしてないのに何を騒いでいるのかと思っていた。

共謀罪」法案の採決は、一時は来週にずれ込むとの観測もあったが、昨日(19日)、衆院法務委員会で採決、自公維の賛成多数で可決されてしまった。週明け23日の衆院本会議で可決する方針らしい。

今朝(20日)の朝日新聞は、「『共謀罪』熟議なき可決」、「採決強行 異論を軽視」(軽視ではなく無視だろうと思ったが)との見出しをつけてこれを報じたが、「共謀罪」法案にせよ、憲法記念日安倍晋三が読売新聞紙上でブチ上げた改憲構想といい、朝日新聞を含むマスコミは憲法学者の意見をあまり取り上げていないように思う。今回の「共謀罪」法案は、内心を縛る言語道断の法律であって違憲の疑いが強いと思ったので、検索語「共謀罪 違憲」でググってみたが、先月の東京新聞の記事が2件引っかかったのが目についた程度だった。下記はその一つで4月23日付の東京新聞記事。

http://www.tokyo-np.co.jp/article/politics/list/201704/CK2017042302000125.html

「内心」「表現」の自由 侵害 「共謀罪違憲性の指摘
2017年4月23日 朝刊

 「共謀罪」の趣旨を盛り込んだ組織犯罪処罰法改正案に対し、憲法違反との声が上がっています。連載「いま読む日本国憲法」の特別編として、憲法のどの条文に照らして違憲性が指摘されるのか、国会論戦や学識者の主張を基に整理しました。

     ◇

 共謀罪」法案との関係でよく議論になるのは、<憲法一九条>が保障する思想及び良心の自由(内心の自由)。人は心の中で何を考えようが自由。旧憲法下で思想弾圧が行われた反省から、国家は人の心の中に立ち入らないという大原則を定めた条文です。

 その点、犯罪が実行される前に、合意しただけで処罰できるのが「共謀罪」法案。犯罪をすると考えた人の心を罰することになり、一九条違反が疑われているのです。安倍晋三首相は「準備行為が行われて初めて処罰対象とする」と説明していますが、何が準備行為なのかあいまいです。

 <憲法二一条>は、自分の考えを自由に発表できる「表現の自由」を定めています。旧憲法下で反政府的な言論が取り締まられた歴史を踏まえた条文で、国家権力を批判できる自由をも保障している点が重要なポイントです。

 政府は今回、捜査対象は「組織的犯罪集団」と説明する一方、普通の市民団体が性質を変えれば対象になるとしています。米軍基地反対や反原発など、自らの主張を表現する市民団体の行動が対象になったり、活動を萎縮させたりする恐れが指摘され、表現の自由の侵害が懸念されています。

 さらに、「共謀罪」法案が成立すれば、共謀を立証するために捜査機関が電話やメールなどの通信傍受を拡大する可能性があると言われます。このことを根拠に、幸福追求権を定めた憲<法一三条>違反を問う声もあります。一三条にはプライバシー権が含まれるという解釈があるためです。

 また、<憲法三一条>は、何をすれば処罰されるのか法律で明示するよう定めています。「共謀罪」法案は何が準備行為と判断されるか分からず、処罰対象が不明確なため三一条違反という意見があります。

 一方、政府も、国際条約を「誠実に遵守(じゅんしゅ)する」ことを求めた<憲法九八条>に言及し、国際組織犯罪防止条約の締結に向けて法案の成立を訴えています。

東京新聞より)


安倍晋三が言い出して、読売新聞やNHK世論調査では予想通り賛成が反対を大きく上回った「憲法9条に自衛隊を明記する」改憲構想についても、例えば前々から9条改憲憲法の「改正限界」を超えるとの説を唱えている水島朝穂はどう考えるのか、他の憲法学者はどのような見解なのか、などに私は興味を持っており、世の一部の「リベラル」たちが「自衛隊憲法に書き込む改正は、リベラル側から議論を出すべきだった」と言っていることについては全く同意できず、安倍晋三に対する「忖度」しか認めないのだが、ジャーナリストたちはいっこうに議論を深めようとしていないように見える。

そもそも一昨年の安保法案政局においても、安倍内閣の支持率を下げるのにもっとも貢献したのは同年6月4日に開かれた衆院憲法審査会で憲法学者3人が同法案を「違憲」と断じたことだった。下記は、当時元朝日新聞の柴田鉄治氏が書いた『マガジン9』のコラムより。

「安保法案は違憲だ」憲法学者の断言で空気が一変!│柴田鉄治のメディア時評 | マガジン9(2015年7月1日)

 日本を「戦争のできる国」に変えようとしている安倍政権の安保法案は、先月から国会審議が始まったが、この僅か1カ月間で、憲法違反の疑いが極めて濃いことが浮かび上がり、国民もはっきり反対の方向に動き出して、日本社会の受け止め方は様変わりした。
 空気を一変させた最初のきっかけは、6月4日の衆院憲法審査会で各党推薦により参考人として国会に呼ばれた憲法学者3人が、そろって「安保法案は憲法違反だ」と断言したことだった。
 自民・公明両党推薦の長谷部恭男・早稲田大学教授は「集団的自衛権の行使は、個別的自衛権のみ許されるという憲法9条に違反する」、民主党推薦の小林節・慶応大学名誉教授は「憲法は海外で軍事活動をする法的資格を与えていない」、維新の党推薦の笹田栄司・早稲田大学教授は「これまでの定義を踏み越えてしまっており違憲だ」とそれぞれ明白に違憲論を展開した。
 なかでも与党推薦の学者から憲法違反だと断定されたことに、政府・与党は衝撃を受け、「人選のミスだ」「責任者は誰だ」と大騒ぎとなった。菅官房長官は記者会見で「違憲ではないという憲法学者もいっぱいいる」と語ったが、国会で「いっぱいいるなら名を挙げよ」と迫られて3人の名前しか挙がらず、「問題は数ではない」と弁明する一幕も。
 小林節教授によると、日本に憲法学者は何百人といるが、違憲ではないという学者は2、3人で、「違憲とみるのが学説上の常識だ」と語っている。
 大慌ての政府・与党は「違憲かどうか判断するのは学者ではない。最高裁だ」とか、「国民の平和と安全を守るのは政治家の役割で、学者ではない」といった反撃に転じ、6月9日、「憲法違反ではない」という政府の見解を発表した。
 それによると、その理論的な根拠として、1959年の最高裁の砂川判決と1972年の自衛権をめぐる政府見解を挙げている。ところが、最高裁の砂川判決では、個別的自衛権を認めただけで集団的自衛権についてはひと言も触れていないし、72年の政府見解にいたっては、「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」と明確に指摘しているものなのである。
 それに、最高裁の砂川判決は、当時の田中耕太郎・最高裁長官が事前に駐日米大使と会って「全員一致で逆転判決を出しますから」と約束したという事実が、米国の公文書から明らかになっており、本来なら無効だと言ってもいいような経緯のある代物なのだ。
 当然、それらの点は国会でも追及され、安倍首相も中谷防衛相も「集団的自衛権でも限定的なら違憲ではないのだ」と同じ釈明を何回も繰り返しているが、いかにも苦しそうだ。
 それも当然だろう。戦後の日本政府は、そのほとんどは自民党政権だったが、終始一貫、「集団的自衛権の行使は憲法違反だ」という見解をとってきて、それに異を唱える憲法学者はいなかったのだから。
 それを昨年7月、安倍内閣は突如、憲法解釈を変え、「集団的自衛権の行使を認める」と閣議決定をして、それを具体的な形にまとめたのが今回の安保法案なのだ。これまで終始「憲法違反だ」と理論的な論拠を示してきた「法律の番人」内閣法制局まで突如見解を変えたのである。
 今度の国会審議のなかで横畠祐介・内閣法制局長官が「安保法案はフグのようなもの」との比喩を用いて「毒キノコは煮ても焼いても一部をかじってもあたるが、フグは肝を外せば食べられる」と答弁した。
 この比喩を逆手にとれば、今回の安保法案では、自衛隊が海外で武力行使できる条件が極めてあいまいで、いわば「肝を除去したかどうかもあいまいなまま、フグを国民に食べさせようとしているものだ」ともいえよう。
 ところで、社会の空気を一変させたこの憲法学者の国会での証言に対するメディアの感度は極めて鈍かった。6月4日の午前中の発言だったのに、夕刊で報じたのは東京新聞だけで、他の新聞はみんな朝刊回しにした。
 しかも新聞は例によって二極分化し、読売、産経、日経は政治面などに小さく報じただけ。毎日新聞東京新聞は一面トップだったが、朝日新聞は朝刊でも感度が鈍く、一面トップにはしなかった。朝日新聞は、いまだに委縮しているのだろうか。
 ただし、朝日新聞は5、6日と2日連続で社説に取り上げ、昨年の閣議決定以来、集団的自衛権の行使容認に対して批判しながらも煮え切らないところもあった姿勢を排して、はっきり「安保法案は違憲だ」と社論を明確にした。「憲法違反ではない」と主張する読売新聞の社説と、またまた朝・読対決が鮮明に浮かび上がったのである。(後略)

(『マガジン9』〜「柴田鉄治のメディア時評」より)


今回は「自衛隊を9条に明記」するという改憲構想だから賛否はもう少し割れるだろうが、「共謀罪」法案については大方の憲法学者が「違憲」と考えているのではないか。そう思うのだが、ちょっとびっくりするくらいマスメディアへの憲法学者たちの露出が少なく、ろくすっぽ議論のないままに「共謀罪」法案が委員会採決で可決されてしまった。

なお、安保法案政局の時には、立憲主義という「保守思想の最終兵器」(私は当時そう感じた)の威力に驚いたものだったが、法案反対派の主流はその言ってみれば「敵方」(なんたって立憲主義は保守思想だからね!)の最終兵器の破壊力の大きさを十分理解できなかったらしく(としか私には思えなかった)、SEALDsなどという際物を担ぐ戦法に転じてしまった。SEALDsが前面に出始めてからは、安倍内閣の支持率が急速に下げ止まり、7月には底を打ち、安倍が例の「4つのキーワード」を盛り込みながら「村山談話」を骨抜きにした「戦後70年談話」を出した時には、既に支持率微増の局面へと転じていた。私はこれについて法案反対派の戦略の誤りだったと当時から書いてきたし、SEALDsの解散後奥田某氏が東京・毎日・朝日などにコメントを発することもほとんどなくなった今となっては、SEALDsを担いだ戦略の誤りがますますはっきりしてきた。

そして今回も「共謀罪」法案についての議論を深めることなく、無策で敗北しつつある。今はまだ「共謀罪」法案が違憲であるという議論ができるが、憲法が「改正」されてしまえばそれもできなくなる。もちろん最初の「9条への自衛隊明記」を含む改憲では19条や21条には手をつけないだろうが、いずれ「『憲法改正』が日常茶飯事になる」時代を安倍や日本会議などは目指しているに違いない。

憲法については、敵(改憲派)に勝つためには、「自衛隊違憲論」では自衛隊容認論が圧倒的多数である現状では難しく、「9条は改憲限界を超える」論法でなければ勝てないと私は思うが、その意味でも、また「『憲法改正』が日常茶飯事になる」時代を自ら呼び込まないためにも、「9条への自衛隊の書き込み」は間違っても「リベラル側から言い出すべきこと」などではないと強く訴えるものである。