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古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

中山成彬、やはり希望の党九州ブロック比例名簿1位(呆)

中山成彬の希望(野望or絶望)の党の比例代表九州ブロック名簿1位登載は、職場で見た昨日(10/10)の日経夕刊で確認したが、あほらしくて昨日中に記事を上げる気にならなかった。今も、こんなこと記録しておきたくないんだがなあと重い気分。

希望の党、九州で「極右」で鳴らす中山成彬さん比例名簿一位 : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2017年10月10日)

希望の党は、九州ブロックで「極右」で鳴らす中山成彬さんを一位にしました。

希望の党の候補者は、極右の踏み台にされている。これが、実態です。(後略)


下記は、上記記事からリンクが張られた産経の記事。

【衆院選】希望の党が比例名簿を発表(4/4ページ) - 産経ニュースより

 【九州】(1)中山成彬(元)(2)石井英俊☆(新)稲富修二☆(元)楠田大蔵☆(元)原圭助☆(新)緒方林太郎☆(前)城井崇☆(元)村上智信☆(新)大串博志☆(前)西岡秀子☆(新)山口初実☆(新)末次精一☆(新)宮島大典☆(元)松野頼久☆(前)吉良州司☆(前)外山斎☆(新)花輪智史☆(新)斉藤佳代☆(新)野間健☆(前)(20)並木浩一(新)(21)森田俊文(新)


中山成彬は、2014年の衆院選と昨年の参院選でともに落選。有権者から「こんな政治家は国会に要らない」との審判を下された極右政治家だが、こんなのを比例名簿1位に載せるのが小池百合子のやり方だ。

さしもの原口一博も、比例名簿で中山より下の順位に載せられる屈辱に耐えかねて希望の党の公認を返上した。しかし、松野頼久小沢一郎の元秘書・末次精一らはおめおめと中山より下に自分の名前が記載された比例名簿に載った。そのプライドの欠片も感じられない姿には、哀れを催さずにはいられない。

下記は、前回衆院選(2014年)の時に作られた自由党(当時は「生活の党と山本太郎となかまたち」)の「選挙情報」より。

長崎県佐世保市生まれ。京都大学工学部卒業後、川崎製鉄?入社。 小沢一郎衆議院議員秘書を経て、長崎県議会議員(議会運営委員長)を2期途中まで勤め、2012年長崎4区から未来の党公認で立候補(落選)。 この度の衆議院選挙で、捲土重来を目指す。


希望の党では、他に樋高剛(ひだか・たけし)も小沢の元秘書だ。この人はWikipediaによると「岡島一正佐藤公治松木謙公と並ぶ『小沢側近四天王』の一人」とのこと。しかし樋高は選挙区の割り当てでは全く優遇されず、地元の神奈川ではなく、ハマコーのドラ息子が馬鹿強いらしい千葉12区に送り込まれており、比例復活を含む当選は絶望視されている。樋高は2000年、03年、09年の衆院選に当選して3期を務めた元衆院議員だが、独裁女王様の前では小沢一郎の威光も形無しのようだ。

なお、四天王の一角・岡島一正は今回の選挙で立憲民主党公認で千葉3区から立候補したため、希望の党に刺客(櫛渕万里)を送られた。この櫛渕は、元NGOピースボート事務局長だが、2009年の政権交代選挙で当選(民主党公認、東京23区)するや直ちに右傾化し、民主党内では細野グループに属していたらしい。一方の岡島は、Wikipediaによると

党内では保守系の議員の一人ではあるが、イラク日本人人質事件が発生した直後の2004年4月10日、生方幸夫小林千代美らとともに民主党衆参27名の署名を集め、イラクから自衛隊を撤退させるよう声明を出した。

とのこと。岡島も2003年と09年の衆院選に当選した元衆院議員だが、こちらは国替えを迫られることもなく、もともとの選挙区だった千葉3区から立候補している。

また、四天王の残る1人である佐藤公治希望の党公認で広島6区から立候補しているが、引退した亀井静香の地盤を受け継いでおり、当選の可能性があるとも言われている。

どうやら「小沢側近四天王」もバラバラになるようだが、4人中3人が希望の党を選んだ事実は覚えておいた方が良いだろう。