kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「サンデー毎日」掲載の「小沢一郎インタビュー」に憤激した(上)

本屋の新書本売り場に行くと、日刊ゲンダイの記者による小沢一郎本が朝日新聞出版から出ている。かと思うと、毎日新聞出版の週刊誌「サンデー毎日」には小沢一郎インタビューが頻出する。朝日新聞毎日新聞もそんなに「小沢びいき」の印象はないし、特に朝日は民主党政権時代にはかなり「反小沢」色が強かった。しかし、朝日の場合昔から新聞本体と週刊誌でターゲット層を変えていた。「朝日ジャーナル」があった頃には同誌で新左翼系の読者を、「週刊朝日」ではかなり保守的な読者をそれぞれつかもうとしていたものだ。だから「保守の反自民政治家」になって久しい小沢が「週刊朝日」と相性が良いのはずっと以前からだった。「サンデー毎日」はそれより遅く「小沢信者御用達」に転向した印象がある。まだ毎日新聞出版局が同誌を出していた頃にその転向はあったが、毎日が出版局を分社化して以来、その傾向がさらに強まったので、最近では私が同誌を立ち読みする機会はほとんどなくなっていた。

なお、「サンデー毎日」の「小沢信者御用達メディア」への転向とは別に関係はあるまいが、2013年まで毎日新聞の出版局から出ていた辺見庸の著作は、毎日新聞出版に分社後は刊行されなくなっている。

今年も何か月かに一度は「サンデー毎日」に小沢一郎のインタビューが載ったようだが、最新のインタビュー記事をこたつぬこ(木下ちがや)氏がまとめている。


ここでの小沢一郎は、まあまともとも言えることを言っている箇所もあるが、看過できない怪しからんことを言っている箇所もある。全体として見れば、いつもの「小沢節」だ。

私は「サンデー毎日」本体(2018年1月7・14日合併号)も持っている。こたつぬこ氏が引用しているのは、2頁目(同誌21頁)の途中からだ。一部、雑誌での「君」の表記がこたつぬこ氏のツイートでは「くん」になっていたりする等の異同が多数あるので(意識的にそうしているのではないかと推測される)、ここでは雑誌記事に忠実な形に戻しながら引用する。引用文中、ボールド部分が聞き手である倉重篤郎(毎日新聞)の言葉で、鉤括弧で囲まれたのが小沢一郎の答え。以下、時折私のコメントを挟みながら引用する。

 今回の野党合流劇。何がどうしてそうなったのか。
「前原君は時々僕のところに会いに来ていた。その時に、自分は民進党の最後の代表でいい、何としても野党の再編、結集をやりたい、と言っていた。だからやろう、僕も協力すると。そういって何度か会談を重ねてきた」

 どこで協力が崩れた?
「その前段階として、既存政党の民進、自由、社民の3党を結集しようとした。僕が社民を口説いてまず統一会派を作ろうと。前の夜までOKだったのに当日の朝になって社民が断ってきた。一部の人が反対していてダメだという。それができていれば、その後の展開も違った。小池新党ができてもあわてることはなかった。その意味でいえば、社民にも責任がある。結果的に自分のところの票も減らした


この赤字ボールドにした部分がまず怪しからん。これと同じ論法を「極オ」(極端な「小沢信者」。その傾向は極右的で、前原誠司を擁護する「マエハラシン」の人たち)が用いているとして彼らを批判しているのが三宅雪子氏だが、なんのことはない、この論法は小沢一郎自身が用いていたのだった。私は、人間はみな異なった思想信条を持っているのだから、「一部の人たち」が反対するのは当たり前であって、小沢の社民党批判は不当だと思う。

小沢インタビューの引用に戻る。

「そうこうしているうちに小池新党ができた(9月25日)。前原君はそれまでの小池君の動きについて随分関心を示していたようだったが、実際にできてえらい人気になったものだから、小池君と(合流で)話をしたいということになった。僕もこの際、仕方がないと思った。小池くんの人気にあやかって、選挙戦を進めるのが民進党の意向だった。じゃあ、前原、小池両君と僕の3人で話し合おうということにした」


青字ボールドにした部分が最初の核心部だ。「この際、仕方がないと思った」という小沢は、前原に「小池さんと組んだらいいじゃないか」と言ったという、読売新聞が報じて前原誠司も認めた発言はこの時に飛び出したことは確実だ。もちろんその発言をしたと認めることは小沢にとって不利だから、小沢は「この際、仕方がないと思った」とぼかした表現にしているが、事実上認めた形だと私は認定する次第。

小沢インタビューの引用に戻る。

 そこで、節目の26日だ。
「3人で会おうと言っていたのに、前原君と連絡が取れなくなった」

 前原氏が電話に出ない?
「出てこない。うんともすんとも言わなくなった。どうしたんだろうと思っていたら、その晩に前原、小池両君が会ってるらしいと。僕は寝ていて知らなかったが、それが事実とわかった。神津里季生連合会長も入っていたという。一体何をやっていたのか、と思ったが、結局は小池君の言うがままになってしまった」

 26日深夜の前原、小池、神津会談だ。神津氏が保証人役を務めた。
「前原君だけ行ってしまった。僕と前原、小池の両君のはずだったんだが……」

なぜそうなった?
「小池君が僕と会いたくなかったのだろう」

 小池氏が小沢氏を排除?
「排除したわけではないが、僕とでは自分の思うようなわけにはいかないと。前原君なら、まあ御しやすいと思ったかもしれない」

 小沢氏が苦手だった?
「苦手というわけではないが、見え見えの話だった」

 見え見え?
「だって、小池人気はあったが、組織やカネはない。だから本来は対等合併であるべきだった。あなたは人気、こっちは組織とカネがあると。対等に話すべきところを、一方的に私の言う通りにしろ、だった。こんな交渉はない」

 もし小沢さんがいればどういう交渉に?
対等合併で存続政党を希望の党にする。簡単な話だ」
「安保だの、憲法だの言い始めたのが小池君のつまずきのもとだ。それが『さらさら』『排除』発言につながっていく。安保法制や改憲を踏み絵にしてリベラル排除となれば、ほぼ官邸の人と同じになる。野党再編もヘチマもない。僕がその場にいたら、わからないことを言うな、と言っただろう。そんなこと言ってたら選挙は勝てない、と」


こたつぬこ氏による「サンデー毎日」掲載の「小沢一郎インタビュー」からの引用は長い。あまりも長くて孫引きにも疲れてきたので、ここで再び一服する。
続く