昨日(2/24)書いた 小田嶋隆「司令官たちの戦争、僕らの働き方改革」の分析にはリアリティが全くない - kojitakenの日記 について、小田嶋隆氏の言説に共感したであろうリベラルの方からの反応が全然ないが、まあこれはある程度予想はしていた。
私は、少なくとも下記の2点において、小田嶋氏の記事は厳しく批判されるべきだと堅く信じるので、まずその点を繰り返しておく。
- 小田嶋氏の記事には、大衆、特に労働者に対する蔑視が感じられる。
- 何より悪いことに、「法案は、間違いなく成立する。」などと書くことによって、法案成立阻止の闘いの最中なのに「負けムード」を蔓延させている。
特に後者は絶対に看過してはならないと思う。3年前の安保法論議の真っ最中に、高橋源一郎が「安保法は国会で通るだろう。だがSEALDsが出てきたことが良かった」などとほざいたことを思い出す。私は、高橋は最初から安保法成立を阻止する気がないんだなと思ってこれを批判したが、当時のリベラルの人間で高橋源一郎を批判する者はほとんどいなかった。リベラル層に顕著な「同調圧力」としか言いようがない。
小田嶋氏の記事の件はここで締めておくが、裁量労働制は「間違いなく成立する」などと諦めては絶対にならないものであることを示す言説をいくつか挙げておく。
「裁量労働制」は多くの職場では使用者側の「管理責任」放棄でしかなくなります。
以下の江田憲司議員のツイートが短文で本質を言い当てています。江田憲司(衆議院議員) @edaoffice
安倍政権が拡大しようとしている「裁量労働制」って知ってますか?働く者が自由に時間が選べて成果でサラリーがもらえる?とんでもない!その実態は、会社が「時間外労務管理」がめんどくさい、規制に縛られず残業させたい、成果を求めたいというのが本音。経営者側の要望であることが何よりの証拠。
労働者は、この場合、ハッキリ言えば、奴隷未満になるのです。
ローマの奴隷は、一応財産だから、それ相応に大事にする。
ところが、現代日本の労働者はいくらでも替えがきく使い捨てである(と使用者はみなしている)。
法律的には「人格がある自由人」だが、奴隷と違って、使用者は責任を負わなくていい。
裁量労働制は、だから、一見、労働者を自由にする見えて、使用者が責任を放棄するということである。
江田憲司といえば、90年代にしばき主義経済政策で日本経済に多大なダメージを与えたために1998年の参院選で自民党の惨敗を招いて退陣に追い込まれた橋本龍太郎の秘書を務めた経歴があり、その後みんなの党、結いの党、維新の党、民進党を経て現在「無所属の会」に属する新自由主義系の人だと私は認識している。その江田氏でさえ裁量労働制に的確な批判を行っている。それくらいどうしようもない制度だということだ。
なお、上記江田憲司のツイートのURLは下記。
江田憲司のツイートでは、上記ツイートに続いて発信された下記のツイートも挙げておく*1。
まあ、でも悲しい「官僚の性(さが)」ですね。今、国会で大問題になっている「データ改ざん」も、「裁量労働制」を導入すると労働時間が短くなると無理して言いたいがための改ざんだったんですね。安倍政権の強い意向ですからね、この改正も。
7:26 - 2018年2月23日
そういやこんな「低額働かせ放題」法案が通ったら、いわゆる「ブラック企業」は笑いが止まらないだろうなと思って今野晴貴氏のツイートを見に行った。同氏のツイートも挙げておく。なお勝手ながら引用に際してツイートをつなげるとともに、適宜改行を入れる等の編集を行った。
- https://twitter.com/konno_haruki/status/966589091797069824
- https://twitter.com/konno_haruki/status/966589732497997824
- https://twitter.com/konno_haruki/status/966589989596274689
- https://twitter.com/konno_haruki/status/966590331197116416
裁量労働制についていくつかの論点を示しておこう。
- 裁量労働性は、経済界から大半の労働者に適用することが妥当だとされてきた。つまり、「普通の労働者」全体に、残業代ゼロにするという意図。
- ホワイトカラーエグゼンプションや高度プロフェッショナル制度の「代替物」として拡大が追求されてきた
1.(については=引用者註)1994年に法改正を要求して出された旧日経連の「裁量労働制の見直しについて(意見)」では、「就業者全体のほぼ半数に達している。こうしたホワイトカラーの相当部分は、自己の判断で職務を行う「裁量労働者」である」としている。つまりは、ほとんどの労働者が「裁量労働」にすべきだということだ。
2. 続けて、旧日経連は「いわゆるホワイトカラー職業従事者の大部分を一挙に「イグゼンプション」とするには無理な面もあろう。当面は「裁量労働制」の範囲を拡充していくこと」が有効であると指摘している。つまり、裁量労働性の拡大はホワイトカラーエグゼンプションの「代替」なのである。
裁量労働性の規制緩和「対岸の火事」だと思っている方も多いと思うが、財界は以前から、ホワイトカラーの大半に適用できるようにすべきだと主張している。裁量労働性が全面規制緩和されれば、ブラック企業の「使い潰し」がますます加速し、歯止めがかからなくなるだろう。もちろん、過労死も増加する。
「リベラル」が「法案は、間違いなく成立する。」などと最初から諦めてしまうことが絶対に許されない件であることは、あまりにも明らかだろう。
*1:蛇足だが、上記江田氏のツイートに、某「極オ」(極端な「小沢信者」で希望の党・前原誠司シンパ系)が馬鹿げた反応をしている。https://twitter.com/yocibou/status/967423197485264898 この手の輩は、政治を「消費」することを趣味としているのだろう。見下げ果てた人間だ。