kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

必要なのは小選挙区制批判ではなく比例代表制中心の選挙制度への説得

快晴 - BUNTENのヘタレ日記より

kojitakenさんの「共産党や「野党共闘」には真剣に小選挙区制を廃止する気がない」を読んだ。


真剣さ、の条件というのがいまいちわかりにくかったのだが、要は、野党共闘内の一派が選挙制度改正(小選挙区制廃止)を主張するだけでは駄目で、本気で廃止するつもりなのであれば、共闘に加わっている小選挙区制賛成派を、共闘の会議か何かで面と向かって批判しなければならない(その上で自己批判か何かをさせて共闘の課題に小選挙区制廃止を加えなければならないのかどうかまでは読み切れなかった。)ということのようである。


「真剣さ」の条件とは、まず本当に選挙制度を変えなければならないと思うと同時に、「何が何でも選挙制度を変える。そして、それは可能だ」という強い信念を持つことです。そして、その目標に向かって具体的に行動することです。

そのために一番必要なのは批判じゃなくて説得ですよ。外野席、つまり一般支持者や市民に対しては、自らの支持政党なりを「野党共闘」のパートナーなりを批判することがまず求められますが、政党や「市民連合」などの人間にとってはそうではありません。自らの案を実現させるための説得こそがもっとも大事です。

共産党の場合は、BUNTENさんがコメントで挙げられた昨年の衆院選での同党の選挙公約*1を参照すると、「民意が正しく反映する比例代表中心の選挙制度に抜本改革します。民意を切り捨てる定数削減には断固反対します。」と書かれています。

しかし、彼らは本気でその目標が実現可能だと思っているでしょうか。また、その目標を実現させるための行動をしているでしょうか。

たとえば、かつて存在した「みんなの党」は、少数政党がキャスティングボートを握るためには比例代表制を核とした選挙制度への改変が必要不可欠であると考え、それを実現させるために「一人一票比例代表制」の案を作りました。民主党政権(野田政権)時代の2011年11月のことです。そのプレゼンテーション資料は今でも参照できます。
http://nakanishikenji.jp/wp-content/uploads/2011/10/%E3%81%BF%E3%82%93%E3%81%AA%E3%81%AE%E5%85%9A%E6%A1%88%E3%80%80%E6%A6%82%E8%A6%812.pdf

この案には、ドラスティックな定数削減が含まれるという重大な欠陥がありますが、それを除けばよくできていると思います。少なくとも議論のたたき台にはできるのではないでしょうか。

みんなの党」はその後独裁党首だった渡辺喜美が無能さを露呈するなどして(8億円の熊手を買ったなんて話もありました)自らが提示した選挙制度案を周知させ、支持を得ることはできませんでしたが、少なくとも案を立てた時点では本気で案を実現させるつもりがあったといえるでしょう。

しかし、現在の共産党及び「野党共闘」(「市民連合」)には本気で比例代表制中心の選挙制度を実現させるつもりなど毛頭ありません。共産党は政党だけでは無理なので、市民連合の協力を得るほかないと思いますが、その市民連合にその気が全くない。その気があれば、2012年に小選挙区制への「反省」を口にしていながらその後も小沢一郎とつるみ続けている山口二郎を(彼が何もしていないにもかかわらず)市民連合の中心に据え続けることなどありません。

BUNTENさんの記事の続き。

今そうできるのならば理想であることには同意するが、今次野党共闘市民連合の要求である戦争法廃止・立憲主義を守れ、がベースにあるものの小選挙区制が立憲主義に反する等の主張はなされていないこと、並びに、小選挙区制を廃止して比例制ベースの選挙制度にすべきだといった類の主張が国民の中である程度まとまった支持を得ているという事実はおそらくないこと、などを考えれば、全国共闘会議(?)の中で直ちに選挙制度問題を取り上げるのではなく(可能な場合に取り上げることを否定するつもりはもちろんない)、共闘の協議の場では市民連合の提示した大枠をベースに政策協定を煮詰めながら、一致しない部分については各党がそれぞれ訴えていくという方式もアリではないかと思う。結果、共闘内で小選挙区制反対派の比重が増えるなり国民の中で小選挙区制反対の声が大きくなるなりすれば、小選挙区制賛成派も態度を変えるなり共闘から抜けるなりせざるを得ない情勢も生まれ得よう。

日和見主義者の俺としては、こういうヌルい主張を提出しておきたいと思う。


いや、小選挙区制の問題点など、別にリベラルでも左派でもないテレビのニュース番組に出てくるコメンテーターだって口にしているくらいですし、『広島瀬戸内新聞ニュース』の下記記事からも読み取れる通り、一刻も早く小選挙区制を改めなければならない段階にきてますよ。

小選挙区制が自民党議員も腰抜けにした : 広島瀬戸内新聞ニュース(社主:さとうしゅういち)(2018年7月28日)

何度か繰り返し申し上げていますが、小選挙区制を軸とする現行の選挙制度
自民党議員も腰抜けにした」という問題があります。
現行制度では大政党の公認がないと小選挙区での当選はおぼつかない。
だから、議員たちは、総裁=総理に逆らえない。
そして、ご覧の通り、安倍支持で議員が固まってしまうと言う状況があるのです。
似た状況は、2006年や2007年、2008年の総裁選でもありました。
2005年のいわゆる郵政選挙で、小泉純一郎さんに刺客を送られた議員が次々落選したことで、
震え上がった議員も多かったと思います。
自民党を健全化するためにも小選挙区制廃止は避けられない。

こういうニーズがあるのに対し、共産党や「市民連合」はみんなの党の「一人一票比例代表制」のプレゼン資料のような比例代表制のアピールすら行っていないのではありませんか。

私は、共産党は自らの政党を防衛することしか考えていないし、「市民連合」は山口二郎に典型的に見られるように小沢一郎との「腐れ縁」があり、そのために民進系や小沢一郎に抱きついていて、彼らの機嫌を損ねないために小選挙区制に代わる比例代表を中心とした選挙制度の案を出さないのだろうと考えています。

私はすっかり衰退した共産党の勢力維持などどうでも良く、同党がいくら正しいことを言っていてもそれを実現させようとする意欲が感じられない以上、全然評価する気にはなれません。また「市民連合」は口だけ「小選挙区制を軸とした90年代の政治改革」への反省を口にしているだけで何もしていない(しようとしない)山口二郎が中心人物として居座っているだけでも論外だと思います。

たとえば立憲民主党にはかつてみんなの党で「一人一票比例代表制」を提案した議員もいますし、枝野幸男も下記のインタビューを見る限り、小沢一郎(や菅直人)ほどのゴリゴリの「二大政党制・小選挙区原理主義者」ではないのではないかと思われます。

(前略)
――立憲民主党は二大政党制を目指すのでしょうか。

これは気を付けなきゃいけないなと思っているんです...。二大政党制では、2つの大きな政党を軸にして政権を競い合う。日本の選挙制度においてもそうだし、「あるべき論」としてもそうですが、そこでは捉えきれない層、世論というものは間違いなくある。

2つに収斂されるべきだという意味での二大政党制は違う。

2つの大きな勢力が政権を競い合うけども、それ以外の、収斂できない声を受け止めるいくつかの政党があり、そうした政党の影響も受けながら政権を競い合う。

それが正しい姿なのかなと。立憲民主党が、その一角になりたいとは思っていますけれどね。

――フランスでは極右「国民戦線」のマリーヌ・ルペン党首が出てきたり、アメリカでは共和党民主党という従来の二大政党制の軸とは違うところでトランプ大統領が出てきたりしました。第三極的な指導者が、世界的に出てきやすい状況なのか、それとも日本では二大政党制が難しい、あるいは向いていないのか。

いや、これは選挙制度なんですよ。単純小選挙区制にすれば2つに収斂せざるを得ない。

それは、この20数年の経験で「そうしなくて良かったよね」「そこまで極端にしなくて良かった」と僕は思っています。2つの大きな勢力で競い合うというのは、政権交代を、リアリティを持って語る上で重要だけど、それ以外の勢力も議席を持てる選挙制度で良かったなと思っています。

——日本では強い二大政党制が実現できますか。

僕はそれがいいことだとは思わない。

——なぜでしょうか?

価値観が多様化しているので、2つでは収斂しきれない。

——意見をすくえない?

そうだと思います。その2つ以外のところの方がマジョリティーになっちゃう。

(後略)

(『ハフィントンポスト日本版』より)

上記は立憲民主党が立ち上がった直後のインタビューですが、ここで枝野幸男はずるい言い方をしています。単純小選挙区制じゃなくて、現行の小選挙区比例代表並立制で良かったと。これは私などには容認できない発言ですが、それでも最終的に単純小選挙区制を目指していた小沢一郎ほどゴリゴリの「小選挙区制信者」ではない。

もちろん枝野は小選挙区制を推進した側の政治家であって、その枝野を説得することは容易ではありませんが、枝野を説得するとともに有権者に広く「比例代表中心の選挙制度」の良さをアピールし説得していく。

そのためには、まずそれが実現可能であるとの信念を持って(私は実現可能だと思います)、その目標に向かって粘り強く行動していくことです。マックス・ウェーバーの有名な

政治とは、情熱と判断力の二つを駆使しながら、堅い岩に力をこめてじわっじわっと穴をくり貫いていく作業である。

という言葉にある通りの作業、それを行って比例代表中心の選挙制度に改めることが共産党や「市民連合」には求められていると私は信じます。

しかし、現在の共産党(や市民連合)がそれをやっているとは私は思いません。だから強く批判する次第です。