前の記事ではイラク人質事件で自己責任論を発していた勝谷誠彦の悪口を書いたが、もちろん勝谷などは小物もいいところだった。
自己責任論の「本丸」に迫った、下記「文春オンライン」に載ったプチ鹿島氏の記事は秀逸だ。長文だが全文を以下に引用する。
14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか? | 文春オンライン
14年前、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?
「イラク3邦人人質」記事を読み直す
プチ鹿島
2018.11.2
シリアで武装勢力に拘束されていたジャーナリスト、安田純平さんが解放された。
すると、またしても自己責任論が噴出した。おかえりなさい、安田さん。おかえりなさい、自己責任論。
「自己責任」という言葉が流行語大賞のトップテン入りしたのは2004年である。イラクで拘束された日本人3人に対して投げかけられたのだ。
あのとき、誰が「自己責任論」を言い始めたのか?
特筆すべきは(あのときは)小泉純一郎首相や首相周辺、つまり国のトップたちほど「自己責任」を声高に問うていたことだ。あそこから時代が変わったんじゃないか? と思うほど。今回私は、当時の朝日・読売・毎日の紙面をあらためて調べてみた。
「イラクで3邦人誘拐 イスラム過激派か 自衛隊の撤退要求」(朝日新聞 2004年4月9日)
緊迫した情勢はこの4月9日から、4月16日の「人質の3人解放」(朝日新聞)まで7日間続いた。
では政治家による「自己責任論」はいつから出たのか。新聞をチェックして言葉を拾っていこう。※肩書は当時のもの。
環境相時代の小池百合子氏が言ったこと
事件勃発を伝える4月9日にさっそくある政治家のコメントが載っていた。「危険地域、自己責任も 小池環境相」(読売新聞 夕刊)
《小池環境相は「(三人は)無謀ではないか。一般的に危ないと言われている所にあえて行くのは自分自身の責任の部分が多い」と指摘した》
とある。
この頃の読売、朝日、毎日を読み直すと、政治家で「自己責任」を言って記事に載っているのは小池発言が最初だ。この11日後の4月20日に朝日新聞は「自己責任とは」という特集記事を書いているが、ここでも時系列の表で一番最初に載っているのが小池氏の発言である。
つまり新聞を見る限り、政治家として最初に被害者の「自己責任」に火をつけたのは小池氏だった可能性が高い。
「帰国して、頭を冷やしてよく考えて判断されることだと思います」
ほかの政治家はどうか。読売新聞・夕刊(4月16日)の一面トップは「3邦人 あすにも帰国」とある。しかしそのすぐ横は「閣僚から苦言続々」という記事だった。
「自己責任という言葉はきついかも知れないが、そういうことも考えて行動しないといけない。」(河村建夫文部科学相)
「どうぞご自由に行ってください。しかし万が一の時には自分で責任を負ってくださいということだ」(中川昭一経済産業相)
このほか《「損害賠償を三人に求めるくらいのことがあっていい」との声も》という記載もあった。
毎日新聞の「『身勝手』か『不屈の志か』」(2004年4月17日)も、解放直後の4月16日の政治家の発言をまとめている。
「帰国して、頭を冷やしてよく考えて判断されることだと思います」(福田康夫官房長官)
「自己責任をはっきり打ち出してもらいたい。なぜ(3人の出国のために)チャーター機を出したのか。1人は『イラクに残りたい』と言っている。こういう認識には問題がある」(山東昭子元科学技術庁長官)
「救出に大変なカネがかかったが、誰も把握していない。7日間徹夜の努力をしており、(額を)国民の前に明らかにすべきだ」(公明党・冬柴鉄三幹事長)
同じ4月16日、井上喜一防災担当相は《家族はまず「迷惑をかけて申し訳なかった」と言うべきで、自衛隊撤退が先に来るのはどうか》と発言している(朝日新聞 2004年4月20日)。
14年前の政治家の言葉が、SNSで復活している感じ
こうして読むと救出費用などおカネに言及する声や謝罪を求める声が多いことがわかる。これは今回SNSで言われている「自己責任論」にも通じる。このときの政治家の言葉がそのまま一般に「論」として残っていると考えてよい。もっと言えば国側の目線に立ったような意見が2018年の今、一般にも顕著になったと言える。一方で野党の政治家の声も載っている。
「将来にわたってイラク(復興)にかかわりたいという気持ちは大事だ。厳しい状況に置かれながら志を曲げないことにむしろ敬意を表したい。その志に対する批判なら、まったくの筋違いだ」(民主党・岡田克也幹事長)
「金銭的負担を被害者に求めるのは一番弱い立場の人に『自己責任』を押しつけるものだ。政府の言うことを聞かない人は法律で規制するというのは、個人の尊厳や自由を定めた憲法の精神と反する」(社民党・阿部知子政審会長)
こちらの「論」は今の安田さんを擁護する声の元祖と言っていい。
小泉首相の「批判」、読売の「見解」
しかしこれらをまとめて吹き飛ばしたのが小泉首相の言葉だった。4月16日の毎日新聞・夕刊一面は「3人、18日にも帰国」。その脇には「イラク人を嫌いになれない 高遠さん『活動続ける』」という小見出しがある。高遠菜穂子さんはイラクでボランティア活動をしていたのだが、その活動は今後も続けると答えたのである。
するとその言葉を聞いた小泉首相は、
《 「いかに善意でもこれだけの目に遭って、これだけ多くの政府の人が救出に努力してくれたのに、なおそういうことを言うのか。自覚を持っていただきたい」と批判した》
わざわざ首相が強い言葉で非難したのだからインパクトは強かった。人々の記憶に強烈に刻まれたのだ。
当時の社説も振り返ってみよう。読売の社説が厳しかった。
《自己責任の自覚を欠いた、無謀かつ無責任な行動が、政府や関係機関などに、大きな無用の負担をかけている。深刻に反省すべき問題である》(2004年4月13日)
《政府・与党内には、救出費用の一部の負担を本人に求めるべきだという議論もある。これは検討に値する。独善的なボランティアなどの無謀な行動に対する抑止効果はあるかもしれない》(2004年4月19日)
……「独善的なボランティアなどの無謀な行動」という言い方にはギョッとする。ハッキリと切って捨てるナベツネ、いや読売社説だった。「政府に迷惑をかけるな」というお叱りである。
14年前、安倍首相は何を言っていたか?
さらに社説だけでなく読売の一面コラム「編集手帳」もこう書いた。《人質にされた三人は政府の「退避勧告」を無視してイラクに出かけている。悪いのは一にも二にも卑劣な犯罪者だが、世に与えた迷惑の数々を見つめればきっと、三人もひとつ利口になるに違いない》(2004年4月16日)
どぎつい。「三人もひとつ利口になるに違いない」って完全に馬鹿呼ばわりである。読んでいるうちに当時のムードが蘇ってきた。そして今のSNSの空気も……。
やはり自己責任論は2004年が「起点」なのだ。
今につながっているという意味で言うと次の記事が読ませた。
「自己責任問う声次々 政府・与党『費用の公開を』」(朝日新聞・夕刊 2004年4月16日)
この記事の中で安倍晋三・現首相の声が載っていた。当時は自民党幹事長であり、党の役員連絡会後の言葉である。
《安倍幹事長は「山の遭難では救助費用は遭難者・家族に請求することもあるとの意見もあった」と指摘した》
やはりと言うべきか、今につながる言説ではないか。
日本の政治家と全く違った、パウエル国務長官が言ったこと
しかしこの記事の読みどころは次だった。ワシントン発の「米国務長官は『誇りにして』」という部分である。抜粋する。《パウエル米国務長官は15日、一部メディアとのインタビューで、イラクで人質になった市民の自己責任を問う声があることについて「誰も危険を冒さなければ私たちは前進しない」と強調。「より良い目的のため、みずから危険を冒した日本人たちがいたことを私はうれしく思う」と述べた》
なんと!
パウエル氏の言葉は続く。
《「日本では、人質になった人は自分の行動に責任を持つべきだと言う人がいるが」と聞かれたパウエル長官は、これに反論して「彼らや、危険を承知でイラクに派遣された兵士がいることを、日本の人々は誇りに思うべきだ」と語った》
パウエル氏の言葉は4日後の記事でも補完されている。
「私たちは『あなたは危険を冒した、あなたのせいだ』とは言えない。彼らを安全に取り戻すためにできる、あらゆることをする義務がある」(朝日新聞 2004年4月20日)
イラク戦争を起こしたのは誰なんだよと思いつつも、パウエル氏の言葉は日本の首相や閣僚の言葉とまったく違うことがわかる。
14年経って、新聞はどう変わったか?
これまで自己責任論は2004年が「起点」であると書いた。だが、今回の安田純平さんに対する言説はSNSでは百花繚乱だったが、新聞の論調は冷静だったように思う。例えばこの記事。
「『自己責任』独り歩き懸念 ネットで安田さんへ批判次々 経済用語使い方すり替え」(毎日新聞 10月28日)
読んでみよう。
《「<自己責任>とは何か」の著書がある桜井哲夫・東京経済大名誉教授(社会学)によると、1980年代後半のバブル経済時代の規制緩和の中で、リスクのある金融商品に投資する消費者に対し「自己責任が求められる」といった使われ方をした言葉だという》
《「日本で『自己責任』というと、約束とは関係なく一方的に弱者が責任を負わされたり、怒られたりするようになった」と指摘する。/その上で「経済用語にとどまっていたものが、04年の人質事件で社会的・政治的な言葉へとすり替えられ、政治家らの論理で弱い立場の人を批判することに使われた。14年たった今の社会はさらに疲弊し、弱者をたたく傾向が強まっている。ソーシャルメディアで簡単に発信できることが拍車をかけているように思われる」と懸念する》
なるほど、「2004年の自己責任論」も対象とした冷静な分析だ。
もし安田さんに「自己責任」があるのなら、すべきこと
さらに今回、産経新聞は社説で次のように書いた。【主張】安田さん解放 テロに屈してはならない(産経新聞 10月25日)
《危険を承知で現地に足を踏み入れたのだから自己責任であるとし、救出の必要性に疑問をはさむのは誤りである。理由の如何(いかん)を問わず、国は自国民の安全や保護に責任を持つ》
保守派の産経ですらこう書いた。ちなみに今回読売は社説で安田さんや自己責任論については取り上げていない。今につながる自己責任論は2004年が起点だが、それはSNSがあるから目立つだけなのかもしれない。
ちなみに私は、安田さんにもし「自己責任」があるなら、この3年間に見た現地の状況や体験を余すところなく報告する責任だと考える。それは私たちの利益になるからだ。
2004年と2018年の読み比べをしたら、新聞は自己責任論から「自己責任論はなぜ起きるのか」にシフトしていた。
以上、今回は14年の流れを確認してみました。
(文春オンラインより)
2004年のイラク人質事件で、政府要人が発した「自己責任論」で特に強く印象に残っているのは、記事にも出てくる福田康夫の発言だ。当時小泉内閣の官房長官を務めていた福田の発言には神経を逆撫でされることが多く、私は大嫌いだったが、福田自身が「面従腹背」の人で、この発言の翌月には自らの年金未払いを口実に内閣官房長官をさっさと辞めてしまった。とはいえ福田発言の責任は今も残る。
今回初めて知ったのは、言い出しっぺが「あの」小池百合子だったことだ。小池ならさもありなんと思うし、こんな人間と民進党との連携に「ワクワク」したブロガーや、当時小池の腹心だった音喜多駿と対談で意気投合した「リベラル」の文芸評論家や、これはほとんどの人が知らないと思うが一時期某所で小池百合子を絶賛していたさる熱烈な共産党支持者(小池の正体が露呈して以来さすがに恥を知ったのか某所での発言を止めてしまった)らに対する怒りが改めて込み上げてくる。
小泉純一郎が大々的に「自己責任論」をブチ上げたことや、パウエルがそれに真っ向から反する発言をしたことなどはあまりにも有名だ。小泉に隠れて安倍晋三も自己責任論を発していたことは知らなかったが、当時小泉に引き立てられていた安倍の発言にも「さもありなん」感しかない。ただ、安倍を引き立てた小泉の責任の重さはどんなに強調しても強調しすぎることはない。
ところでプチ鹿島氏の記事でもっとも秀逸なのは、2004年には小泉純一郎や小池百合子や安倍晋三や福田康夫ら小泉政権の連中や読売新聞(やおそらく産経新聞*1)が率先して「自己責任論」を煽っていたのに対し、今回は産経新聞でさえも「自己責任論」に対して社論としては抑制的であり(もちろん個々の記者にはひどい自己責任論の記事を書いている連中もいるのだろうと思うが)、SNSが「自己責任論」の主役になっていることの指摘だと思う。
エピゴーネン(追随者)は常に周回遅れ。この経験則を私は、西洋の芸術音楽を生み出した音楽家たちと彼らの音楽の愛好家との関係から得た。いわゆるクラシック音楽の愛好家ほど頑迷固陋で保守的な人たちは少ないと思うが、この経験則が悪しき「自己責任論」を日本で最初に流行らせた小池百合子や小泉純一郎と、彼らから14年遅れた「ネトウヨ」たちとの関係にも当てはまるんだなと納得した。
ましてや、そんな小池や小泉をありがたがる「リベラル・左派」の倒錯は想像を絶している(笑)