最近の右翼の何が嫌かといって、たとえば百田尚樹あたりがよく言うような、「国語の授業で漢文を教えるのを止めろ」式の軽佻浮薄な物言いほど嫌なものはない。私は中高生の頃から国語は苦手だったのだが*1、それでも最初に漢文の授業を受けた時には、千年以上前の中国の文人の思考や感情に接することができて感動したものだった。私にしてみれば、百田らの物言いは「夜郎自大」以外の何物でもないように思われる。しかも百田らのあり方はこの国の没落を否認するための強がりでしかないのだから、みっともない、恥ずかしいとも思う。しかし、共同通信の世論調査で新元号を国書からとったことの賛否を問う質問に84%だかの人間が肯定的な答えを返しているのだから、これはもうどうしようもない。
「担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」」。いやはや。。元号ってそういうものでしたっけ。
— 辻田 真佐憲 (@reichsneet) April 4, 2019
国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは:朝日新聞デジタル https://t.co/BZBfwta4ZD #令和
リンクされた朝日新聞デジタルの記事は有料だが、途中までは無料でアクセスできるので、以下に引用する。
https://www.asahi.com/articles/ASM434TFSM43UTFK00M.html
国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは
4月1日。石川忠久・二松学舎大元学長は東京都内の病室で、新元号「令和」を発表する菅義偉官房長官の記者会見をテレビで見守った。菅氏が「典拠について申し上げます。令和は万葉集の……」と初めて国書を典拠にしたことを明かすと、一瞬驚いた表情を浮かべ、つぶやいた。「やっぱりかあ」
3月14日付で正式な政府の委嘱を受けた石川氏は漢詩研究の第一人者。実は2年前の夏までに、計13案を考案していた。政府から渡されたA4の提出用紙の束に1案ずつ毛筆でしたため、日本漢学の聖地「湯島聖堂」(東京・お茶の水)にある執務室で、内閣官房の担当者に手渡した。
「万和(ばんな)」(典拠は文選(もんぜん))、「光風(こうふう)」(楚辞(そじ))、「弘大(こうだい)」(詩経)……。漢籍の元号案が続く中、担当者の顔色が変わった。石川氏にとっては専門ではない、聖徳太子の十七条憲法にある「和をもって貴しとなす」から採った「和貴(わき)」を見せたときだった。これは国書案である。
担当者は「首相も喜びます。これでいきましょう」。13案の「筆頭案」に位置づけることになった。この時、石川氏は「権威ある漢籍より、国書の方が好まれる。もはやそういう時代か」と感じたという。最終的に「和貴」は政府原案には残らず、漢籍典拠の「万和」が最後の6案に残ったが、国書典拠の「令和」に敗れる結果となった。
江戸時代までは、知識人にとって学問の中心は漢籍だった。明治以降は西洋の学問にとってかわられたが、漢籍に典拠を求める伝統は続いた。そこでは、研究者から「漢学界のサラブレッド」と呼ばれる一家が深く関わっていた。
宇野家――。戦後70年、中国…
(朝日新聞デジタルより)
「首相も喜びます。これでいきましょう」か。なんて露骨な忖度。「和喜」自体は予選落ちしたとはいえ、それよりはるかに悪質にしてもっと安倍晋三が喜びそうな、いや実際に喜んだ[令和」が選ばれた。そして瀬戸内寂聴や湯浅誠といった「リベラル」らがそれに翼賛する。なんてこったい。
上記朝日新聞デジタルの記事についた「はてなブックマーク」から拾う。
国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル
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訳とか由来とか色んなの経由したけど、選ぶ連中が「喜ぶかどうか」っつうアレな態度でやってたって所に問題の焦点は結びそうだなぁ
2019/04/04 23:33
国書に敗れた漢籍 改元支えた漢学の名家「宇野家」とは [令和]:朝日新聞デジタル
首相が喜ぶかどうかが選定基準になっていることに少なからず驚く。
2019/04/04 16:56
私には驚きは全くない。新元号が公表される前からずっと「国文学から選ばれることは疑う余地がない」と書いてきたし、そう予想した根拠は「安倍やネトウヨ(=『安倍信者』)が喜ぶから」以外の何物でもない。
ただ、「やっぱりそうだったんだな、まあ『崩壊の時代』だからな」と思うのみ。
*1:そもそも、文学部的な資質は私には全くないことを自覚している。たとえば私は最近になって小説をよく読むようになったが、それは小説というのがそれがが書かれた社会や時代を理解するために恰好の材料だということが理解できるようになってそれにはまったからであって、文学部的な関心からではなかったりする。