kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎と山本元号党の「終わりの始まり」を告げる斎藤まさしインタビューに呆れ返る

 参院選から3か月が経過し、党名に元号を冠した山本太郎の話題も下火になるとともに各種世論調査による同党の政党支持率も1%を切ることが多くなった。そんなタイミングに、以前から山本太郎のブレーンと目されていた斎藤まさしがインタビューに応じたが、私にはとんでもない「うしろ弾」にしか見えなかった。

 

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 インタビューは長い。以下抜粋して引用する。

 

――山本太郎さんとの出会いについて。

2012年の10月下旬ぐらいかと思う。野田(佳彦)くんが衆議院を解散するという、ほぼ確実な情報が入ってきた。僕は菅(直人)さんが消費税10%を容認し、TPP(環太平洋経済連携協定)を持ってきた時点で民主党支持はやめていた。

民主党の中にも「民主党じゃダメだ」と言う人はいたし、国民も既存の政党を信用していないから、永田町の外から新党を作ろうという話が出てきた。そこで当時の滋賀県知事で現・参院議員の嘉田由紀子さん、菅原文太さん(故人)や坂本龍一さんといった人たちに呼び掛けてもらい、そこに議員が合流する形で新党を作ろうということになった。その呼び掛け人の1人に上がったのが山本太郎だったんです。

彼が反原発のデモを始めた頃から、僕は注目していたので、ある人を介して、十数名の国会議員と一緒に彼に会った。そのときが初対面だったけど、「呼び掛け人になるだけじゃなくて、(あなたも)選挙に出るしかないだろう」と言っちゃったんですよ。本当に原発を止めたいなら、ほかに方法はあるか? 政権取るしかないんじゃない、と。

でも、そのときは反応がなかったし、連絡先の交換もしなかった。ただ、そのあとで衆院選が近づいたとき、友人を介して、太郎のほうから「会いたい」と連絡が来た。会ってみたら、「衆院選に出る」と。そのときは橋下徹が出るという噂もあって、「大阪で橋下が出たら自分がぶつかって出たい」と、太郎は言っていた。それが一番メディアの耳目を引くことになるから、それで原発を訴えたい、という話だった。

結局、橋本(原文ママ)は出なかったので、太郎も出るか出ないか直前まで迷っていた。選挙区の候補はいろいろあったが、東京の自民党で一番の強敵である石原伸晃がいる杉並(東京8区)にしたいと彼は言っていた。公示の前日の夕方に代々木の喫茶店で太郎を含めた4人で話をして、最終的にそこに決めた。僕は「杉並だと勝てない。東京1区はどうか。必ず勝たせる」と言ったんだけど、本人は勝てると思っていたんじゃないかな。知名度や、反原発をやっていることで、多少自信があったと思う。

今でも僕の中でいちばん印象に残っているのは、この代々木の喫茶店でのこと。もう1つは、この衆院選に負けた後のこと。一緒に飲んだり、朝まで歌ったり、喧嘩もしながら結構付き合った。(2013年7月の)参院選に出ると決めるまでの約半年間は、彼が非常に悩んだ時期なんですよ。参院選の2カ月くらい前に、彼から「東京選挙区で出たい」と言われ、やる以上は今度は勝とうぜ、って僕は言った。その頃のことが、2番目の思い出かな(*この参院選で初当選)。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1.php

 

 引用文中に出てくる「新党」とは、言わずとしれた「日本未来の党」で、鳴り物入り東京新聞日刊ゲンダイなどに宣伝されたものの、わずか9議席しか獲得できない歴史的惨敗に終わった。山本太郎未来の党からではなく、無所属で東京都杉並区の東京8区から立候補したものの落選した。

 山本太郎が2012年の衆院選橋下徹が出るなら、橋下と同じ選挙区に対立候補として立候補したい、その旨橋下に伝えたけれども彼は出馬しなかったという話は、2か月前に読んだ山本のPR本(ゴーストライター木村元彦)のちくま文庫版にも載っていた。この本は、2012年に集英社から出た本を文庫化したもの。

 

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僕が見る限り、(山本太郎は)最初から一貫して、既存の政治システムに対して否定的で、それに依存しないで新しい政治を作ろうとしている。僕は6年間付き合ってきたけど、そこは一度もぶれていない。ただ、今も野党共闘を呼び掛けているように、既存の政党を全否定しているわけじゃない。

今の野党は、人々の生活にかかわる問題、主に経済政策でアベノミクスに対抗するものを提案できていない。だから、太郎はそれを何とかやろうとしている。実は(れいわの公約は)太郎が作った政策ではない。鳩山(由紀夫)さんや経済学者の植草(一秀)さんがやっている「オールジャパン平和と共生」というグループがあって、基本はそこの運営委員会で煮詰めた案なんです。

あの案は太郎にだけじゃなくて、立憲民主党や国民民主党の幹部にも、「政権を取るためには、これでまとまれ」と昨年から提案している。最低賃金1500円にしたって、奨学金チャラにしたって、どこの党にも提案している。れいわだけが、(公約として)ほぼ丸のみしてくれた。

連合も、消費税を10%に上げろと要望した。だから立民も国民も、消費税については連合とぶつかっている。連合はしょせん労働者の10%台しか組織していなくて、基本は正社員だけ。今は労働者の4割が非正規で、8割は連合に組織されていない人たち。そうした未組織の労働者、TPPやFTA自由貿易協定)でつぶされている一次産業の従事者、中小零細企業と個人事業者、あとは無年金の老齢者とか障害者などいわゆる社会的弱者と言われる層が、今の政治で一番苦しんでいる。人口の8割を占める彼らが「俺たちの政党だ」と思えるものができれば、政権交代なんて一発でできる。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_2.php

 

 あーあ、と思ったのは太字にした部分、特に赤字で示した固有名詞だ。ダメだこりゃ。つい最近、鳩山由紀夫が「共和党」を立ち上げるとかいう話をブチ上げ、何考えてるんだこいつ、と思ったが、どうやら山本太郎と合流して政界に復帰しようとしているのではないか。

 植草一秀については、参院選の前だったか、ある週刊誌(確か週刊新潮だったと思う)に、山本太郎は一頃は松尾匡にずいぶん傾倒していたが、今では植草一秀を経済政策のブレーンにしているらしいと書かれた記事を立ち読みしたことがある。ありそうな話だとは思ったが、どうやら本当だったようだ。その記事を読んだ時にも、植草なんかと本当につるんでいるなら山本太郎も先行きは暗いなと思ったが、現にそうなりつつある。

 植草一秀は、確かリフレには全くの否定派で、むしろデフレを容認するようなエコノミストだったはず。しかも彼の本業は投資コンサルタントだ。どう考えても「本当に困っている人たち」の味方などではない。このあたり、山本太郎の支持者たちはどう考えているのだろうか。またリフレ派の人たちの意見もうかがいたいものだ。

 

――山本さんの欠点は何だと思うか。

欠点と魅力は、すべて裏表。太郎について、好き嫌いがはっきり分かれるってことは、その長所が強烈だってことの裏返しなんだよね。だから、欠点=長所なんだよ。あの胆力は、敵をたくさん作ってしまう。でも強い味方も作る。野党のリーダーは、そういう人でないと無理なんです。だって権力がないんだから。それでも支持者を引き付ける。だから、敵はいていいし、それ以上の味方がいればいい。叩かれないようなやつは、本当のリーダーにはなれない。

今は太郎にとって試練の時期だと、僕は思っている。これまでは小沢(一郎)さんと共同代表だったが、今は山本太郎の個人事務所と個人後援会、いってみれば個人商店です。公党になったから、組織として人の面倒も見ていかないといけない。角さん(田中角栄)を見れば分かるように、リーダーにとって大事なのは、最後は人を見る目。それがないと、人がついてこない。太郎がその目を持てるのか。角さんのように、官僚も含めて人たらしになれるのか。それが彼にとっての分かれ道だ。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_4.php

 

 「人を見る目」というなら、鳩山や植草をブレーンに選んだ時点で「見る目がなかった」ことを山本太郎自らが示したも同然だろう。今では誰も知らないだろうが、2009年の政権交代前、ネットでは小沢一郎鳩山由紀夫植草一秀の3人を「政権交代の『三種の神器』」と呼んで崇拝していた熱狂的な「信者」たちがいた。しかし彼らの末路は実にあっけなかった。いわば自滅だったし、彼らが自滅したあとに悪夢のような「崩壊の時代」が第2次安倍内閣発足と同時に始まって今に至る。この事態を招いた「戦犯」たちをブレーンにした山本太郎の見る目のなさは、本当にどうしようもない。

 

――今後、山本さんがつまずく可能性は?

あらゆる事態が想定される。殺されるとかもあり得る。日本の富を独占しようとしている人たちにとっては、石井紘基よりも危険人物だから。

平成は消費税とともに始まり、この30年で経済が、日本が没落していった。今の上皇は、そういう状況にじくじたる思いを持っていると思う。(上皇は)太郎に対しては親近感を持っているかな、と僕は思っている。それを一番感じたのは、(園遊会での)太郎のお手紙事件があったとき。右翼からの批判がすごく、その先頭に立っていたのが昨年亡くなった鴻池(祥肇)さんだった。彼は天皇主義者で、太郎に(ナイフが入った封筒が届いたとき)「切腹用の刀が送られたそうだ」と発言した。そのとき上皇(当時の天皇)は宮内庁の記者会見で「天皇が心配している」と言わせた。太郎のところにカミソリや銃弾が送られてきたりとすごかったのが、この瞬間にぴたりとやんだ。鴻池さんはそれから死ぬまで、太郎の面倒を随分と見てくれた。それは鴻池さんが、上皇のそういう気持ちを感じ取ったからではないか、と俺は勝手に推測している。

参院選では、菅さん(官房長官)を中心にした官邸は、天皇の代替わりキャンペーンを最大の武器にしようとした。ものすごい金を突っ込んでたんだよ。でも太郎が「れいわ」を使った瞬間に、それを封じられたと思う。

 

出典:https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2019/10/-19804020092015-6-115-20121010tpp-1_5.php

 

 このあたりになると開いた口が塞がらなかった。何を言っているのかさっぱり意味不明だが、山本太郎のみならず、前天皇山本太郎に親近感を持っているだのと語り、天皇主義者だと認定した故鴻池祥肇に面倒を見てもらったことを感謝するあたり、山本太郎のみならず斎藤まさしもまた、相当な天皇主義者なのだなと呆れた。

 

 今回の斎藤まさしインタビューは、山本元号党の「終わりの始まり」を告げるものになるだろう。