kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

セイタカアワダチソウとススキとネトウヨと

 かつて毒々しい色の「秋の名物」があった。その最盛期は1970年代頃だったか。

 

sumita-m.hatenadiary.com

 

 以下引用する。

 

さて、季節が秋になったことをヴィジュアル的に実感させるのは背高泡立草の花。或る日、にょきっとした背高泡立草の黄色い花が咲いているのに気づく。私にとって、日本の秋の色というのは(背高泡立草の)黄色なのだった。しかし、昔はもっと一面真っ黄色だったと思う。昔、1980年代頃までは、近所に背高泡立草のニッチが今よりも沢山あったのだった。人間の手によって自然が破壊されたけど人造が中止(停止)された場所、例えば耕作が放棄された田畑やまだ家の建っていない住宅造成地など。50年くらいのスパンで考えるとそうなのだけど、1000年という長いスパンで考えると、また違ってくる。背高泡立草は近代以降に北米からやってきた外来種なので*2、この秋の光景は藤原定家*3松尾芭蕉*4も見ることができなかったものだ。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2019/10/28/100855

 

 そういえばセイタカアワダチソウは確実に減った。1970年代の阪神間でもセイタカアワダチソウは猛威を振るっていて、同じ黄色の阪神タイガースは毎年読売や中日や広島やヤクルト(1978年)に負け続けていたけれども、雑草の世界では決して他に覇権を明け渡さなかった。

 昔と今の何が違うって、動物ではスズメ、植物ではセイタカアワダチソウが激減したことではなかろうか。ネット検索をかけると、スズメが減ったのは巣を作れる場所が減ったからだという。

 

natgeo.nikkeibp.co.jp

 

 以下引用する。

 

 身近で文化の中にも登場するスズメだが、現在減少していると考えられている。スズメの正確な個体数調査が行われているわけではないが、さまざまな記録から、1990年ごろから減少しており、半減したと考えられる。それ以前は十分な記録がないのでわからないだけで、減少幅はもっと大きいかもしれない。

 減った原因の一つは、巣を作れる場所が減ったからである。昔の建物は屋根瓦や、軒下に手ごろな隙間があり、スズメが巣を作っていた。しかし、近年建てられた住宅は気密性が高く、このような隙間がなく巣を作りづらい。さらに、スズメが餌を採る場所も減っている。昔はよくあった、草が生えたような駐車場や空き地は舗装されてしまっている。

 

 このまま減少が続いて、いつかスズメを見なくなる日がくるかというと、そう単純ではないと思われる。というのも、現代のスズメが巣を作っている人工構造物の隙間の中には、たとえば道路標識のように、過去には存在しなかったものも多い。今後も、スズメは人間の作り出した文明にうまく対応してくれるかもしれない。一方で、ヒバリやゲンゴロウのように昔は当たり前にいた種が、消えていった例もある。油断は禁物である。

 

出典:https://natgeo.nikkeibp.co.jp/atcl/news/18/033000144/

 

 東京東部では、マラソン競歩を札幌に持って行かれた(笑)五輪に合わせてか、電柱の地下化の工事が急速に進んでいるが、これもスズメを減らすことになるかどうか。

 セイタカアワダチソウに話を戻すと、この植物は周りの植物を枯らす毒素を根から発する。これをアレロパシーというらしい。

 

kotobank.jp

 

 上記「コトバンク」では、朝日新聞の「知恵蔵」でセイタカアワダチソウアレロパシーを持つ植物の代表例として挙げられているが、同じ「コトバンク」に載っている「化学辞典 第2版」から以下に引用する。

 

アレロパシー
allelopathy

他感作用あるいは遠隔作用ともいう.種々の生物が共存する自然界では,ある生物がほかの生物に対して影響を与えている場合がある.この生物間の影響が,生物により対外に排出される化学物質によって引き起こされる現象をアレロパシー(他感作用)といい,アレロパシーを引き起こす化学物質を他感作用物質という.一般には,植物がほかの植物に作用する現象をいい,クルミの木やマツの木の根本に雑草が生えにくい現象や,アスパラガスの連作障害などによる忌地(いやち)現象もアレロパシーによるものである.クルミの木のジュグロンや,セイタカアワダチソウのポリアセチレン化合物などが他感作用物質として知られている.

 

 しかし、セイタカアワダチソウが発するポリアセチレン化合物であるcis-DME(シス-デヒドロマトリカリエステル)の毒はセイタカアワダチソウ自身をも枯らしてしまう。

 その結果、一度はススキなど他の植物を駆逐したかに見えたセイタカアワダチソウが、ススキなどの反撃を受けるようになった。近年は、「セイタカアワダチソウ vs. ススキ」が宿命のライバルと化して各地で激しいせめぎ合いを演じているらしい。ネット検索するとその例がいくつもみつかる。ここでは下記に2例だけ挙げておく。

 

saitodev.co

 

plaza.rakuten.co.jp

 

 後者から少し引用する。

 

一時は日本全土を席巻したセイタカアワダチソウだったが
他の植物を殲滅した後、自分の出した毒で自分がやられているらしい。

さらに、ススキが生物的進化をはたして
セイタカアワダチソウの出す毒に耐性を持つようになったらしいのだ。

今、各地でススキが一斉に反旗を翻しているらしい。
場所によってはセイタカアワダチソウが完全に駆逐されたところもあるらしい。

 

出典:https://plaza.rakuten.co.jp/saisuke/diary/201612190000/

 

 しかし、さらに調べてみると、この「ススキがセイタカアワダチソウの毒に耐性を持つようになった」 という説は、少し怪しいようだ。

 

 以下引用する。

 

ススキ、セイタカアワダチソウの好む土壌環境

両者の適正とされる土壌環境は、農業環境研究所研究成果情報平成20年度の成果によると次のようなものです。

・pHが高いとセイタカアワダチソウが良く育つ。
・pHが低いとススキが良く育つ。
・リン濃度が高い場所ではセイタカアワダチソウが良く育つ。
・リン濃度が低い場所ではススキが良く育つ。
・pHが低い環境では、セイタカアワダチソウの成長速度が低下する。
・pHが低い環境では、ススキの成長速度は低下しない。

とのこと。つまり、痩せた日本本来の土壌ではpHが低くリンも乏く、そういう場所ではススキが特に強いということ。

ススキが盛り返した理由

次のような理由でススキが復活を遂げているようです。

セイタカアワダチソウ自身の毒で自分が成長できなくなる
セイタカアワダチソウが肥料のリンを消費しきってしまった
・土壌が日本本来の酸性に戻った

これらの条件がそろい、ススキが盛り返した考えられます。どうやらネットで拡散されているような耐性をつけて成長が早くなったとかそういうのではなさそうですが、もしススキが耐性を持ったって文献があったら教えてください。

 

出典:https://engryouri.net/other/125

 

 ここにも、ネットで流布している俗説を盲信してはならないという見本が一つあったということか。

 ネットで流布しているといえば、この「ススキとセイタカアワダチソウ」のバトルにもネトウヨ的解釈を施したトンデモブログ記事が2010年に発信されており、今も多く引用されているようだ。下記のブログ記事である。

 

nezu3344.com

 

 以下引用する。

 

(前略)

ここは日本です。
天はしっかりと見ている。

セイタカアワダチソウは、我が物顔に群生した。
そして自分たちだけの繁栄のために、地味の肥料成分までみんな吸い上げてた。
土地を枯らした。
そのために、彼ら自身が生きるための栄養分まで欠如させてしまったのです。

それだけじゃありません。
セイタカアワダチソウたちが、自らが分泌した毒素(アレロパシー)の影響で、彼ら自身まで被害を被るようになった。

おかげで、一時はあれほどの興勢を誇ったセイタカアワダチソウが、最近では自滅をはじめました。

その痩せた土壌で、それまでじっと耐えていた日本古来のススキが、野原でふたたび勢いを取り戻し始めたのです。

ススキは、セイタカアワダリソウが枯らした土地にふたたび栄養素を与え、毒素を消化し、土地にふたたび栄養素を与えます。
草影に、少しずつではあるけれど、おみなえしや、なでしこなどが戻ってきた。
モグラやミミズも帰ってきた。

一時は、自己中で排他的なセイタカアワダチソウに奪われたかに見えた空き地が、いまふたたびススキやなでしこなどの共生型の草花のものに戻ってきたのです。

ここまで来るのに、何年もかかった。
でも、着実にセイタカアワダチソウは、自滅をはじめ、日本古来の草花が、美し花を咲かせるようになってきた。


いまもまだ、排他的なセイタカアワダチソウの群生は、そこここでみられます。

けれども、彼らは、排他的であるがゆえに、一時的には興隆を誇っても、結局は自滅していく。

そしてもとからある日本の草花が、友を呼び、様々な美しい花を野原に咲かせてくれる。
日本の古来種が、いま、ふたたび野山にもどりつつあるのです。

なんだか、こうした植物たちの戦いは、日本という国そのものを見ているような気にさせられます。

いまこれをお読みのあなたが、もし、セイタカアワダチソウの群生する中に、ほんの少々のススキを見かけたら、遠くからでもいい、ぜひ「がんばれよ」と声をかけてあげてください。

ススキは、私たち日本人の仲間なのですから。

 

出典:http://nezu3344.com/blog-entry-1055.html

 

 バッカじゃなかろか、ルンバ♪

 絵に描いたような「日本スゴイ」系の醜悪な記事だが、「毒素」を出しているのは「ねずさん」と名乗るネトウヨのブログ主自身だろう。セイタカアワダチソウアメリカではアラバマ州の州花とされており、ススキは獰猛な外来種としてアメリカやカナダでは憎悪の的になっているらしいのだ。「ねずさん」はどうだか知らないが、最近のネトウヨは韓国(や中国)は激しく憎悪するものの、アメリカに対しては借りた来た猫みたいにおとなしくなるようだから、この事実を持ち出したら沈黙してしまう手合いが少なくないのではないか。

 ここらへんの話はWikipediaにも載っているから、最後に引用しておく。

 

ja.wikipedia.org

 

日本への侵入と拡散

日本国内への移入は、明治時代末期に園芸目的で持ち込まれ[8][9][10]、「昭和の初めには既に帰化が知られている」との記述が牧野日本植物図鑑にある[11]。その存在が目立つようになったのは第二次世界大戦後で、アメリカ軍の輸入物資に付いていた種子によるもの[8]等が拡大起因とされており、昭和40年代以降には全国、北海道では比較的少ないが関東以西から九州にて特に大繁殖するようになった[8]沖縄県へも侵入しているが、沖縄本島久米島などの一部地域で小規模な繁茂に留まっている[3][4]。かつては環境適用性が高いことから養蜂家に注目され、養蜂家の自家栽培などによって増殖や配布が行われた[6]

外来生物法により要注意外来生物に指定されているほか、日本生態学会によって日本の侵略的外来種ワースト100にも選ばれている[12]

昭和40年代に日本でセイタカアワダチソウが社会問題となった理由として、戦後の減反政策によって休耕田となった土地に今まで見たことのない外来種の大きい草が突然いっぱい生えてきたという他に、当時は気管支喘息花粉症の元凶だと誤解されていたことも一因であったが、セイタカアワダチソウ虫媒花風媒花ではないので、花粉の生成量は少ない上に比較的重く形状も風で飛ぶのには不適であるため[11][13]、無関係と考えられている[9][11]

盛衰

昭和40年代の繁殖状況は、アレロパシー後述)効果でススキ等その土地に繁殖していた植物を駆逐し、モグラネズミが長年生息している領域で肥料となる成分(主として糞尿や死体由来の成分)が多量蓄積していた地下約50センチメートルの深さまでを伸ばす生態であったので、そこにある養分を多量に取り込んだ結果背が高くなり[1]、平屋の民家が押しつぶされそうに見えるほどの勢いがあった。

しかし、平成に入る頃には、その領域に生息していたモグラやネズミが駆除されてきたことによって希少化し土壌に肥料成分が蓄えられなくなり、また蓄積されていた肥料成分を大方使ってしまったこと[1]、自らのアレロパシー効果により種子の発芽率が抑えられる等の理由により、派手な繁殖が少なくなりつつあり、それほど背の高くないものが多くなっている。また、天敵のグンバイやガ、ウドンコ病が時を同じくして北米から日本に侵入し、それらへの抵抗性が低下していた日本個体群は大打撃を受けてしまった(現在は抵抗性が再び上昇傾向)。

セイタカアワダチソウの勢いが衰えてきた土地にはススキなどの植物が再び勢力を取り戻しつつある[1]

日本各地で刈取りや抜き取りなどの駆除活動が展開されている[14]

ちなみに、北アメリカでは逆にススキが侵略的外来種として猛威を振るっており、セイタカアワダチソウなどのゴールデンロッド類の生息地が脅かされている[15]

アレロパシー

 

アレロパシーを有しており、根から周囲の植物の成長を抑制する化学物質を出す。これはcis-DME(シス-デヒドロマトリカリエステル[16][17]、methyl dec-2-en-4,6,8-triynoate)という名称で知られ、アルケン及びアルキンカルボン酸エステルである。

セイタカアワダチソウは、千葉大学教授の沼田眞によって日本初のアレロパシーの実験に使われ、日本の植物で初めてアレロパシーが認められたことで、日本のアレロパシーの代表的植物として名高く、cis-DMEの働きは1977年に沼田によって解明された[18]。沼田眞は、ドイツのハンス・モーリッシュが1937年に提唱したアレロパシーを千葉のセイタカアワダチソウで実証し、1977年の論文「植物群落と他感作用」において「アレロパシー」を「他感作用」の名称で日本に初めて紹介し、その概念を広めた、日本の植生生態学の父である。

沼田は、セイタカアワダチソウから発見された「cis-DME」(根の乾物中に約2.5%存在)が、セイタカアワダチソウが生えている千葉の土壌にも5ppm存在し、しかもすぐに土壌微生物に分解されることなく地中に留まり続ける、アレロパシー物質であることを解明。cis-DMEは、濃度が10ppmを超えるとイネ・ブタクサ・ススキの生育を地上部・地下部共に顕著に抑制する。ただし、これらの種子の発芽障害は起こさなかった。一方で、cis-DMEは濃度が10ppmを超えると、セイタカアワダチソウ自身の種子に対する強い発芽障害を起こす。このような背景から、それまでセイタカアワダチソウが存在しなかった(cis-DMEに汚染されていなかった)戦後の日本でセイタカアワダチソウが急激に広がったと沼田は論文中で結論付けた。

日本の休耕地に侵入したセイタカアワダチソウがススキによって抑えられる運命にあることは、沼田が一般向けに出版した書籍『図説 日本の植生』でも触れられている(沼田が調査した千葉市耕作放棄地では、耕作が放棄されてから3-4年で一面を覆ったセイタカアワダチソウが、3年でススキに劣勢となってしまった)。ただし、乾燥した場所ではセイタカアワダチソウがすぐにススキに抑えられるのに対し、湿った場所ではセイタカアワダチソウの優占が長く保たれる。これは浸出したcis-DMEの作用によるものと沼田は考えている[19]。いずれにしても、草原にセイタカアワダチソウやススキなどの多年生草本が優占する状態は長続きせず、遷移においては草原の最終段階であり、撹乱(火入れや草刈りなどの人為的撹乱)が起こらなかった場合は普通10年程度でアカマツやシラカンバなどが侵入して、草原から低木林に遷移する。

 

出典:セイタカアワダチソウ - Wikipedia

 

 セイタカアワダチソウもススキも、人間が何もしなければ(=人為的攪乱がなければ)、草原が滅亡して低木林に取って代わられる段階で一時的に覇権を握るに過ぎない植物なのだ。そんなものにネトウヨ的価値観を持ち込んで、ススキに「がんばれよ」と声をかけろ、ススキは、私たち日本人の仲間なのだから、などとはいったい何を考えているのか。

 ブログ主も愚劣なら、このブログ記事を無批判に引用した人たちも情けないとしか言いようがない。