また三春充希氏のツイートを引用する。
たとえ本人が「政治家を信じるな。山本太郎も含めて。政党も信じるな」と言った(10月9日)ところで、だったらその言葉を補完するような民主的な仕組みで党を運営せよという話にしかならない。その仕組みがなければ党内では信じるか信じないかという二択しかなくなるんだ。https://t.co/8lO5viwgHP
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月15日
田中康夫言うところの「ガラス張りとは対極」*1の不透明な意思決定プロセスで物事が進められる山本元号党については昨日も取り上げた。
だが、問題を抱えるのは同党だけではない。
「草の根民主主義」を掲げながら、結党から2年以上経っても代表選が行われない野党第一党もある。
下記は前記三春氏のリツイートより。
自民党
— 水江未来 (@MIRAI_MIZUE) 2019年12月15日
規約を改定して任期2期6年から3期9年に
立憲民主党
結党から2年、まだ代表選を行っていない
日本維新の会
現代表の再任or代表選を行うかの党員投票で、未だ代表選を行う決議がされたことがない
れいわ新選組
代表選について党規約に記載がない
N国党
代表が自らを独裁者だと発言
自民党は、3期9年どころかなし崩しで4期12年に延ばされるかもしれず、その間、独裁者の「裸の王様」が党内の政敵を干し上げることに執心してきた。
その他にも、言わずとしれた「民主集中制」の政党もある。
あるいは、宗教団体丸抱えの政党も。
どの政党をとっても、民主主義が窒息してしまっている。
こんな政治状況が生まれる直前に、「決められる政治」とやらが「リベラル」側も含めて叫ばれていた時期があったことが思い出される。さらに長い目で見れば、小選挙区制を軸とした「政治改革」や「政治主導」の思想から、現在の惨憺たる「人治主義」の政治状況が生み出されたともいえる。
これらが現在の「崩壊の時代」を招いたという観点も必要かもしれないと思った。
なお、三春氏がここ数日間に発した一連のツイートには、他にも注目に値するものが多い。下記にいくつか挙げておく。
政治家や政党のファンになるということは、最も低い水準の政治参加でしかない。一人一人が主体的に政治と向き合う社会になれば、そのような政治への関わり方そのものが過去の遺物となる。
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月12日
政治家や政党のファンがいるということ自体がこの時代の民主主義の未熟さのあらわれにほかならない。https://t.co/bus0SQREQd
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月13日
政治家や政党はあなたの味方じゃない。味方として振舞うこともあるだけだ。全ての政治家、全ての政党に危険な存在となる芽がある。権力は根源的にそういう性質を持っている。
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月13日
そのつど自分で評価するんだ。自分が基準だ。そして何を考える時も最終的には自分しか基準にならないんだ。
権力にかかわる者のファンになるということの危うさには、自覚的であった方がよいと思います。https://t.co/3axu5Qq2lj
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月14日