はてなブログのアクセス解析を見ていたら、読書ブログの記事を書く時によく参照する「読書メーター」からリンクが張られていたのを発見した。だが、読書ブログではなくこの日記へのリンクだったので、たどって見つけたのが下記。知らなかったが、「読書メーター」にも「つぶやき」の機能があるようだ。
上記つぶやきのコメント欄に「10月4日の投稿」が引用されているので、以下に引用する。
FacebookやTwitterで鼻息を荒げる安倍信者を見るにつけ、彼ら彼女らは「支持」の意味を理解していないと思わざるをえない。「支持」は「忠誠」でも「追従」でも「盲信」でもない。しかし、あの界隈ではそういう意味で使われているようだ。 ただし、この傾向は程度差はあれ(悲しいかな)この国では一般的に見られる。特定の個人や集団、はてはイデオロギーに自身の判断や価値観を譲り渡すことーーこれが日本では長らく「政治参加」と呼ばれてきたのではなかったのか。だとしたら、あまりに幼稚すぎる。
確かに、「安倍信者」にとっては、「自由」が重荷なので、「特定の個人や集団、はてはイデオロギーに自身の判断や価値観を譲り渡」しているようにしか見えない。自由な考え方は訓練しなければ身につけることができないし、その訓練は決して簡単ではない。自分では自由な考え方をしているつもりでも、どうしても因襲や「惰性」に囚われた部分が残ってしまう。もちろんこれは私自身の思考に対しても大いに当てはまる。だから因襲や惰性からの解放されるという意味での「自由」を追求する必要がある。
私は少し前に、「にっしー」氏に新自由主義者だと言われたが、氏に新自由主義の定義を聞いてみたら何のことはない、それは単なる「リベラリズム」のことだった。氏はどうやら、「特定の個人や集団、はてはイデオロギーに自身の判断や価値観を譲り渡すこと」をよしとする考え方を持っておられるようだ。
「安倍信者」やにっしー氏と同じことが、山本太郎(や立憲民主党、共産党その他)の「信者」や「ファン」にも当てはまってしまっている。
このあと御託を並べようと思ったが、書いていて自分でも気に入らなかったので削除し、再び三春充希氏のツイートをいくつか引用する。
立憲の代表選は遅くともあと9か月以内には必ず行われますが、れいわは代表選そのものが規定されていません。同じ人間が権力を握り続け、暴走したときに歯止めをかける仕組みがないという状態では、民主主義を脅かしうる存在として見られてしまうのも、避けられないことです。https://t.co/Kfnywhv6Rn
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月18日
立憲民主党に関しては下記。どうやら立民と国民民主党(通称・民民)との合流はほぼ確実だから(社民も加わる可能性があるようだ)、代表選は必ずや実施されるだろう。
立憲民主党規約・第5章第12条の3「代表の任期は、就任の年から3年後の9月までとし、当該月に行われる新たな代表の選出をもって任期は終了する」
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月18日
附則第2条の1「本改正発効時の代表の任期は、2020年9月までとする」によります。https://t.co/SjI619zIoz
「いつまでも山本太郎じゃなくて、『私も挑戦してみたい』とか、『山本には任せておけん』ってことが先々あるかもしれませんから、そういった方々にも一応道を開くというのが私は公平なやり方かなと思ってます」(12月17日)
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月18日
まあ内容はわかるけど、一応って何だよ一応って。https://t.co/kjixVLlfZ7
「一応」に山本太郎の本音が凝縮されている。
ぼくが現代表だったらすぐにでも規約を改正すべく、総会の場で提案を行います。今のような状態で次の衆院選に臨もうとしたって、「民主的な運営ができない限り議席は与えられないですね」って評価する人たちがいるからです。そんなところで減点されては詰まらないでしょう。https://t.co/WxCkOih42S
— 三春充希(はる)⭐みらい選挙プロジェクト (@miraisyakai) 2019年12月18日
民主的な党運営への道を開く行動を起こさない限り、山本太郎が「本気」であるとはいえないかもしれない。
そういえば、オザシンの堀茂樹氏によると、山本太郎は下記の考えを口にしたという。
但し、元記事は、山本太郎氏が「今は最小グループですけど、維新や公明くらいの中規模政党になってキャスティングボートを握れるように」したい旨を語ったと報じている。これが事実なら、氏にとって現政権の存続こそ好都合と見做さざるを得ない。それなら、「消費税5%」も集票目的の蜃気楼にすぎない。
— 堀 茂樹 (@hori_shigeki) 2019年12月16日
「維新や公明くらいの中規模政党になってキャスティングボートを握れるように」したいのなら、比例代表制を軸とした選挙制度くらいは提案してしかるべきだろう。実際、かつての「みんなの党」は自党が政権に及ぼす影響力を増すために「一人一票比例代表制」の案を世に問うた。少数政党が影響力を増すのを阻むのが小選挙区制だし、比例代表制であれば少数政党の影響力は強まる。それを、小沢一郎が嫌う考え方だから最初から考慮しないというのでは、山本太郎は本気度ゼロだとしか言いようがない。もちろん小沢一郎は最初から「中規模政党になってキャスティングボートを握れるように」などとは考えていない。だからこそ立民と民民の合流に動いたのだ。
山本太郎自身が「人治主義」の因襲に囚われているために、自由な発想が全くできていないようにしか見えない。