一龍斎貞鳳が2016年末に亡くなっていたことが公表された。
講談師の一龍斎貞鳳さん死去、元参院議員:朝日新聞デジタル
講談師の一龍斎貞鳳さん死去、元参院議員
2019年1月10日11時40分
一龍斎貞鳳さん(いちりゅうさい・ていほう=講談師、元参院議員、本名今泉正二〈いまいずみ・しょうじ〉)が16年12月27日、脳こうそくで死去、90歳。三回忌を機に遺族が公表した。五代目一龍斎貞丈に入門し、54年に真打ち昇進。56〜66年にテレビ放映されたNHKコメディー番組「お笑い三人組」で人気を得、「今泉良夫」の名で司会者としても活躍した。71年に自民党から参院選全国区に立候補し当選、1期務めた。
(朝日新聞デジタルより)
私はこの人が芸人としてテレビに出ていたのを見た記憶は全くない。「お笑い三人組」が1966年終了とあればさもありなんだが。
覚えているのは、確か「テイホー」というカタカナ表記で自民党から参院選全国区に出てたな、ということだけだ。調べてみたらその通りだった。参院選の選挙公報でのこの人の表記は「一竜斉テイホー」で、1971年の参院選に当選し、1977年に落選していた。「龍」と「竜」、「斎」と「斉」の区別は今ではうるさいが、昔は長嶋茂雄の表記は新聞では「長島」だったし*1、日経などは橋本龍太郎政権時代(1996-98年)になってもまだ総理大臣の名前を「橋本竜太郎」と表記していた。今では、「斉」は「斎」の略字ではなく、全く別の文字だと広く認識されていると思うが、70年代当時はまことにルーズなものだった。
ネット検索で中日映画社が制作した1971年7月2日公開の「中日ニュース」*2がみつかったので見ていたら、「一竜斎テイホー」は最下位に近い順位で当選したとのことで、調べてみると50人の全国区当選者中45位だった。最下位当選は立川談志で、野末陳平が次々点の52位で落選したが、その後当選者が2人死んだので繰り上げ当選していた。この野末陳平は選挙に出る前からテレビ番組で知っていた。
例によって、野末陳平はまだ生きてるんだろうかとか、そういえば数年前にこの日記で話題にした高田がん(高田巌)はまだ生きてるんだろうか、などとネット検索をかけてしまった。私が調べた限り二人とも健在のようだ。野末は「政界渡り鳥」として、ずっと反自民だったのに突如渡辺美智雄の配下になったり、かと思えば小沢一郎配下となって新生党・新進党に属する(のち離党)など、恥の多い政治家人生を送った。現在87歳。高田は右翼で、一度も当選したことはない。愛媛県出身の高田は、大阪など西日本の選挙区から立候補することが多かったが、1976年の衆院選に田中角栄の新潟3区から立候補した。野坂昭如(1983年衆院選にやはり新潟3区から立候補して落選)の立派な先輩だ。
そういや1971年も亥年だったな。テイホーとは「大鵬」の「江戸っ子読み」みたいだな、そういや大鵬*3の引退も1971年だった。当時、読売球団や玉子焼きと一緒くたにされた大鵬はそのことが大いに不満で、そのために大鵬は大のアンチ読売になったんだよな、などなどと、一龍斎貞鳳の訃報とは全然関係ない連想が続き、でもテイホーも大鵬も野坂昭如ももうこの世の人じゃないんだよな、と妙にしんみりしてしまったのだった。