kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

山本太郎立候補の最大の問題は「大義がない」こと/前原誠司・山尾志桜里・金与正らの妄動

 山本太郎都知事選に立候補するとして、その最大の問題点が「大義がない」ことにあるとは今さらいうまでもないだろう。ここ数年の山本はほぼ「消費税減税」のシングルマターの政治家ともいえたが、これはいうまでもなく国政の課題だ。それなら国政選挙で党勢を拡大することが主な目標であるはずであって、都知事選への立候補は筋が通らない。

 だが、山本が出馬を表明か、と言われた時には、「コアな支持者ほど出馬に反対する」はずだったのが、いざ山本が本当に出馬を表明すると、「宇都宮も山本も頑張れ」などと態度を豹変させる者が続出した。この「『カリスマ指導者』に対する妙な物分かりの良さ」は、私には実に気持ちが悪い。

 今回のプロセスで、山本太郎はかつて政策協定を結んだ共産党に不義理を働いたばかりか、自らの恩師である小沢一郎の顔を潰し、自らが「野党共闘」の候補者になれなかったことを「消費税5%への減税を呑まなかった立憲民主党のせい」にした。しかも共産党小池晃が指摘するところによれば、山本が口にしたような話し合いの場にはそもそも共産党は加わっていないとのことだ。

 

 

 山本太郎が口から出任せの嘘を口走った可能性がある。

 社民党の機関紙の編集長が一時フライング的に「切れた」のも、このような山本の極悪非道の行いと無関係とは思えない。まあ根拠も示さず自らの機関紙に取り上げたわけでもなく非難した軽率さは責められるべきではあろうが。

 前々から書いている通り、山本太郎は能動的にではなく、ブレーンたちの恣意によって動かされていると私は見ているが、それは彼の元号名を冠した某新選組の規約に「独裁条項」が存在することと無関係ではないだろう。少し前に田中康夫が指摘した通り、この党には透明性がなく、民主的に運営されている政党だとは全くいえない。

 

 このところ国内外でろくでもない動きが目立つようになった。国内ではかつて野党を右から割ろうとした前原誠司が再び維新との連携に動き始め、それに呼応するかのように、かつて都会保守のブログである「日本がアブナイ!」に「前原誠司の秘蔵っ子」*1と評された山尾志桜里が国民民主党入りを決めた。もともと前原の弟子筋の右翼政治家だった山尾にとっては、本来属するべき政党に戻ったともいえるが、前原が妄動を始めた時期だけに神経を尖らせてしまう。思えば、この右翼の山尾と新自由主義者蓮舫を仲間に入れた時から立憲民主党の転落が始まった。

 旧民主・民進系はその少し前に小池百合子がやらかした「排除」発言によって「希望の党」が衆院選で大敗してために、立民はもちろん希望(のち民民)でも疎まれ、ある者は自民党に移籍し、他の者は無所属を余儀なくされるなど不遇をかこつ時期が長かったが、どうやら再結集へと動き始めたとみられる。前回の衆院選からもう2年8か月が経つので、衆院選をにらんだ動きとみて良いだろう。彼らが立民と共産を軸とする「野党共闘」など真っ平御免だと考えていることには疑う余地がなく、コロナ禍の時期に大阪の民放局の軽挙妄動によって吉村洋文が持ち上げられたのを奇貨として、維新とつるもうとの動きが加速したものと思われる。

 国外では、どうも北朝鮮で実質的なナンバーワンの座を勝ち得たのではないかと疑われる金与正が、韓国に対してエキセントリックな敵対姿勢を取り始めた。こんな動きは緊張は高まるわ、安倍晋三を利するわで百害あって一利なしだ。2か月ほど前に、下記のトンデモな見通しを呟いていた某氏の不明を改めて思い知らさせた。

 

 

 呟きの主は、おおかた金与正の容姿に目が眩んだのではないか。このところの呟きの主は、一次関数と二次関数の区別がつかなかった件を含めて失点が続いている。

 ろくでもない季節になった。今年の夏は、例年にも増して不快な蒸し暑さが続きそうだ。

*1:私は基本的に「日本がアブナイ!」は買わないが、このブログは昔からの民主・民進系のシンパの人が運営しているだけあって、民主・民進系の政治家たちには詳しい。山尾志桜里が「前原誠司の秘蔵っ子」だというのは的確な批評だと感心した。