kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

五島勉死去

 Twitterの「日本のトレンド」に「ノストラダムスの大予言」が出ていたので何事かと思ったら、五島勉が死んだのだった。

 馬鹿馬鹿しいので新聞の訃報記事を引用する気も起きないが、稀代のトンデモ本ノストラダムスの大予言』が刊行されたのは1973年だった。日本の高度成長の最後の年であり、田中角栄が「福祉元年」と位置づけた年でもあったが、経済成長に急ブレーキがかかったために、日本政府は福祉国家への道へと舵を切るのに失敗したのだった。高度成長後期の総理大臣だった佐藤栄作政権の罪は重いが、減税ばかり要求していた革新政党にも大きな問題があった。

 実際には経済の高度成長が止まったとはいえ、日本経済に地力があった頃なのだが、高度成長の惰性力が急に止められた印象が人々に強かったせいか、ノストラダムスの「予言」や小松左京の『日本沈没』が受け入れられたのだろう。小松のは小説だから良いが、五島は世に害毒を流した。

 ところで当時から気になっていたのが五島勉の年齢だった。1929年生まれの五島は、1999年には70歳になることに私は気づいていた。『大予言』を書いた頃の五島は46歳。この年に悪夢の「V9」を達成したプロ野球・読売の川上哲治監督は50代前半だったが、年寄りのイメージがあった。Wikipediaを参照すると、五島は30代半ばの1960年代半ばには「体力の問題から走り回る取材が難しくなったため大衆小説家への転身を図」ったとのこと。若い頃から健康面に不安があったのかもしれない。そんな五島だから、「どうせ1999年頃までには自分は死ぬんだから、そんな先の話はどうでも良い」と考えて『大予言』を書いたのではなかろうか。

 だが、実際には五島は70歳を迎えたあとも20年も生きたのだった。今時の若い人は五島勉など知らないだろう。かつての悪行も忘れられ、すっかり影が薄くなってから、五島勉は死んだ。むろん冥福など祈らない。