昨日(8/2)の夕方、久しぶりに御茶ノ水の丸善と神保町の三省堂書店に行ってきた。東京堂書店は4月以降ずっと土日と祝日は店を開けていない。昨日も閉まっていた。
なぜ昨日行ったかというと、また緊急事態宣言が発令されたら閉まってしまうと思ったからだ。4月から7月までの間には一度も行かなかったというか、緊急事態宣言中(4,5月)はそもそも開いていなかったし、その後もなかなか足を向ける気にならなかったのだった。
本屋に入っても特に懐かしさを感じるでもなく、本当に何か月も来ていなかったのかという不思議な感覚だった。そもそも今年は季節感覚も何もなく、気がついたら何か月も過ぎていた。えっ、もう8月なのか、今年は何もしていないじゃないかとも思うが、仕事の方は緊急事態宣言中の在宅勤務では思うように進まなかった分を取り返せと言われているので、6月以降はいつもの年より忙しく、自由時間が減った上に疲れがたまる。そのくせ、時間が過ぎたあとは「光陰矢のごとし」に思えてしまう。まったく、なんて年なんだろう。とにかく今年は人間らしい生活ができていない。
ところで緊急事態宣言の再発令は、現在の安倍政権は「何が何でもやらない」という姿勢だ。今年3月に特措法が改定された時に山尾志桜里が「造反」し、山本太郎と「山山コンビ」を組んで気勢を上げていたが、当時「造反者に拍手喝采を!」と言っていた人たちは現状をどうとらえているのだろうか。
このままだと、大きな犠牲が出て初めて緊急事態が再発令されて人の流れを止めざるを得なくなり、秋解散どころでなくなった安倍晋三が13年ぶりに政権を投げ出す、などという流れになることもあり得る。
人間社会に働くもっとも強い力は惰性力だが、一般に安倍政権批判側に属すると思われている「日刊ゲンダイ」が、最近になってもまだ西浦博を批判し続ける一方、宮沢孝幸を執筆陣に入れて「K値」を宣伝するという倒錯した紙面を作り続けているのは、ゲンダイも絶叫していたに違いない特措法改定反対当時の惰性力が今も働き続いていると考えられる。
「K値」に関して、今日も勝川俊雄氏のツイートを2件引く。
複雑な現実を受け入れられない人たちは、シンプルかつ完全な解決策に飛びつく。そして、それが社会に受け入れられていないのは、無能か悪意だと思い込み、攻撃的になる。ポピュリスト政治家や、山師のような専門家がそこに乗っかって、事態を悪化させる。
— 勝川 俊雄 (@katukawa) 2020年8月2日
「K値」にとびついたポピュリスト政治家といえば吉村洋文だが、ふと山本太郎が東京都知事だったら、もしかしたら吉村同様「K値」に飛びついたのではなかろうかと思った。現に山本応援陣に属する「日刊ゲンダイ」も飛びついたのだから。
何もしなくてもウイルスの感染力が自然に減っていくというK値理論は、行動変容を嫌がる人にとっては都合が良い宗教であったが、教祖が安易に将来予測をしたことでメッキが剥がれて、神が死んでしまった。
— 勝川 俊雄 (@katukawa) 2020年8月2日
大阪府も安倍政権も「K値」をオフィシャルな指標として取り入れることはやらなかったが、「K値」を「参考にした」ことは間違いない。大阪府は言わずもがなだが、安倍政権についても西村康稔の発言などからそのことは容易に看て取れる。
それが、現在の「緊急事態再発令なんか、何が何でもやらない」というかたくなな同政権の姿勢につながっているとみるべきだろう。
結果的に、移動の自由を止めてはならないという一点で、安倍政権と「リベラル・左派」の一部は同じ立場に立っているわけだ。後者には、立民・民民・共産・社民の4党は含まれない。このうち共産党だけは特措法改定に反対したが、その後は安易な人の流れの解禁には批判的なはずだ。だが同党も、特措法改定反対の総括ができているかどうかは疑わしい。
なお私はある時期からあとには、そもそも法改正の必要などなく、時間の無駄だという理由で改定に反対していた。新型コロナウイルスの感染力が異様なまでに強く、これは人と人との接触機会を少なくするしかないな、と思うようになったのは法改正が審議されている最中のことであり、私も法改正の話が最初に報じられた時には脊髄反射的に「緊急事態宣言などもってのほか」と言っていた。いつ意見が変わったかというと、3月上旬あたりだろうか。2月末に安倍政権が打ち出した「一斉休校」を最初は批判したが、その後1週間ほどか10日ほどかなどは覚えていないが立場を変え、そのことをこのブログに書いた覚えがある。
私のように早く立場を変えた者がなかなか立場を変えない者を批判するのはあまりほめられたものではないかもしれないが、このままだととんでもない事態に至りかねないという強い危機感を持つので、あえてこの記事を公開する次第。