kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「山本太郎」を読まなくては!

 昨日公開した下記記事のコメント欄より。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

urinarazuke

 

病原体と宿主の相互作用による進化(強毒化・弱毒化)は井上前掲書ではさらりと触れているだけだが、山本太郎長崎大学熱帯医学研究所教授。某政治家とは別人です(笑))『感染症と文明―共生への道』(岩波新書[2011])の「エピローグ」(pp.185-195)にはもっと詳しく書いてある。
山本教授はエイズウイルス(HIV)を例に数理モデルに基づくシミュレーションを行い、性的交流が穏やかな集団では当初から弱毒HIV株(長潜伏期間、低感染効率、低致死率)が優位に流行するのに対し、性的交流が活発な集団では短期的(~500年)には強毒HIV株(短潜伏期間、高感染効率、高致死率)が優位に流行し、宿主を殺し消耗し尽くして自らも衰退した後、長期的(500年~)には弱毒HIV株が優位の流行に変化することを紹介している。
いずれの集団も長期的には弱毒株優位の流行に収束する点は同じだが、短期的な流行の規模と犠牲者数は全く異なる。

山本教授は新型コロナ問題でも発言しており、以上の理論を紹介して、ソーシャルディスタンスが保たれた集団では弱毒株、ソーシャルディスタンスが不充分な集団では強毒株が流行しやすくなるので、強毒株の流行を阻止してウイルスとの共生を図るためにもソーシャルディスタンスを保つことが必要なのだと説いている。
山本教授は、新型コロナウイルスを撲滅することは不可能で、人類はこのウイルスと共生するしかないとの立場ではあるが、類似の主張をする他の論者と違い、「ただの風邪」などとウイルスの脅威・危険性を矮小化する安易な楽観論とは一線を画しており、学者として真摯で良心的な姿勢には好感が持てる。

 

 また、下記ブログ記事からも山本太郎教授の著書への言及を引く。

 

ところで、id:Jiyuuniiwasateのような楽観主義者というか「弱毒化」主義者が根拠として持ち出すのは進化論的な原則だ。確かに、エボラ*2のように高い確率で宿主を殺してしまうウィルスはローカルなエピデミックにとどまりなかなかパンデミックに至ることはできないだろう。(「れいわ」の大将とは同名異人である*3山本太郎氏の『感染症と文明』の中で、インフルエンザ・ウィルスやコロナウィルスのような飛沫感染によって増殖していくウィルスの場合、宿主が宿主が自由に移動できるということは増殖にとって決定的に重要なことだということが述べられている。重症化して、寝込んでしまって外出もできなくなれば、ウィルスが拡散する可能性はきわめて低くなる。だとすると、新型コロナウィルスが将来弱毒化していくというか、弱毒のウィルスが生き残っていく可能性は高いといえる。ただ山本氏は別の可能性も示唆している。HIVの弱毒化を巡る条件。セイフ・セックスを実行していたグループと何の防御もなくやりまくっていたグループを比較した場合、長期的にはどちらでもウィルスの弱毒化が見られたけれど、短期的には、無防備なグループでは毒の強いウィルスが主流だった。つまり、宿主が死んでしまっても新しい寄生先が次々に出現するような状況では弱毒化は促されない。究極的には弱毒化するのだろうけど、それに至るまでの進化論的時間がちょっとぴんと来ないのだ。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/08/09/170346

 

 これは、山本太郎感染症と文明』(岩波新書,2011)を是非読まなければならないところ。お二方のご教示に感謝します。

 

 ところで、上記ブログ記事では、上記引用文の前後にも注目した。以下引用する。

 

今のところ、「新型コロナが弱毒化している」ように見えるのは見かけ上のことでしかない。感染と重症化のタイム・ラグ、また重症化を防ぐ対処療法が確立してきているというのはたしかにそうなのだけど、最も重要なのは、いまだ不十分だとはいっても、PCR検査数が増えてきており、そのため、軽症者や無症状者も含めて広範な感染者が捕捉されるようになってきているということだろう。連日3桁の新規感染者を見て、その数字に圧倒されてしまうという人もいるようだけど、それもPCR検査数(分母)が大きくなったのだから、その分、分子(感染者)も大きくなったと考えるのが自然だろう。既に3月や4月頃の厳選された新型コロナウィルス感染者ではないので、その中に軽症者や無症状者の混ざっている確率が高くなるということも自然。何が言いたいのかといえば、極端な悲観主義者も楽観主義者も数字に幻惑されているのではないかということだ。

 

(中略=最初に引用した部分)

 

まあ、COVID-19の軽症化はウィルスの変異を持ち出すよりも、PCR検査数の増加を参照した方が簡単に説明できる。これに限らず、コロナ関係の統計数字を見て思い出すのは犯罪統計だね。犯罪統計というのは犯罪行為(違法行為)の頻度をそのまま反映しているわけではない。それよりも警察や検察などの社会統制機関の能力ややる気(コミットメント)に影響されている。捜査能力が低ければ、立件され・摘発される犯罪は少なくなるだろう。また、捜査・取締り機関のやる気(コミットメント)が高くなれば、それまでは見逃されていた軽微な違法行為も犯罪として立件・摘発されるようになるので、犯罪者全体の中での兇悪犯の割合は減る。

 

出典:https://sumita-m.hatenadiary.com/entry/2020/08/09/170346

 

 これは本当にその通りだと思うのだけれど、気になるのは、6月以降の陽性者数は3,4月の陽性者数のどのくらいに相当するのかということだ。

 SNSを見ていると、今はあの頃の10倍の検査数なのだから、毎日発表される「感染者数」(陽性者数)の10分の1を3,4月の数字と比較すべきだと言っている人がいる。しかしそれは「根拠のない楽観論」だと断定するしかない。

 一般に検査数を増やすと陽性率は下がる。現在は、名古屋市河村たかしは極悪人!)などの極端にひどい例を除いてそれが当てはまっている。

  5月末までの新型コロナウイルス感染症の致死率は5.3%だった。新型コロナウイルス感染症による「真の致死率」は0.5%程度だとされているから、5月末までの陽性者の捕捉率は10%程度ではないかと推測される。それが、検査数を10倍にした*1から捕捉率が100%になっているかというと、そんなこと絶対にあり得ないとは誰にでもわかることだろう。

 私は、前々から書いている通り、現在の陽性者の捕捉率は30%程度だろうと見積もっている。この場合、6月以降に確認された陽性者の致死率は1.8%程度になる。現に、8月に入ってからの死亡者数は、この粗っぽい見積もりがだいたい当てはまりそうな数値で推移している。この場合、現在毎日発表されている陽性者数を3で割った数値が、3,4月の日々の陽性者数に相当することになる。そうすると現在は春の4,5百人に相当するから、現在は非常事態宣言発令中と同じくらいリスクの高い状態だといえる。

 ただ、忽那賢志医師が指摘される「治療法が確立してきている」ことを考慮すると、致死率はもう少し低く見ても良いかもしれない。もっとも、捕捉率が30%程度という仮定自体が「だいたいこのくらいだろう」という素人の山勘による大雑把な数字に過ぎないことはいうまでもない。

 それでも、月に3桁の死亡者が出る可能性がかなり高いのだから、恐れすぎてもいけないけれども甘く見すぎてもいけないことは当然だろうと思う今日この頃。

*1:これは東京都などを指しているのだろうが、東京都とて10倍にまでは増やしてはいないし、ましてや名古屋市などは全く違うと思うが。