kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

菅義偉の思想信条である「新自由主義」が広く議論されるようになるか

 昨日(9/16)、第99代の日本国総理大臣となった菅義偉を「新自由主義者」と表現した「日刊ゲンダイ」1面の見出しを、菅が総理大臣になる数日前に見かけた。

 菅は昔から竹中平蔵と昵懇で、菅と大阪維新の会との距離も、前首相・安倍晋三(やっと安倍を「前首相」と書ける日が訪れた\(^○^)/)と維新の距離よりずっと近い。先日掲げた菅のスローガンも「自助」であって、確かに過激な新自由主義者そのものだ。

 しかし、世間一般はもちろん、いつも政権批判を大々的に1面の見出しに掲げる「日刊ゲンダイ」(私はいつも書く通り、この夕刊紙を全く評価していない)でも、見出しに「新自由主義者」という罵倒用語を用いたのを見た記憶はこれまでになかった。

 私は見ないので伝聞形で書くしかないが、テレビのワイドショーでも「新自由主義」という言葉を用いることになったという。

 私が「新自由主義」という言葉を多用するようになったのは、おそらくブログを始めた2006年以降であって、以後、その翌年にはブログで多用する罵倒語は「新自由主義者」と「極右」の2つになっていた。当時、「kojitakenは気に入らない人を『新自由主義者』か『極右』のどちらかに決めつける」と陰口を叩かれたのを見た記憶がある。

 しかし、それはネットのごく一部でだけ通じていた話で、「新自由主義」は世間一般ではあまり通用する言葉ではなかった。そういえば思い出したが、四国に住んでいた頃に、いつもマーガレット・サッチャーをけなしていたイギリス人に英語の個人レッスンを受けていたことがあった。あの時、"neoliberalism" という言葉を使ったが、発音が悪かったのか、それとも一般的な擁護ではなかったためか、うまく通じなかった記憶がある。ブログを始める前年の2005年か、ブログを公開するようになった2006年かのどちらかだ。

 菅義偉の総理大臣就任によって、「新自由主義」の言葉が多用されて政治が論じられるようになれば、また時代の流れが変わり、格差や貧困の問題を多くの人々が意識するようになった2008年頃の流れがまた戻ってくるかもしれないと思う今日この頃。