kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

格差拡大を問題と受け止めた1958年の「経済白書」から約40年後、竹中平蔵が議論を主導した「経済政略会議」は格差拡大を正当化する答申を発表した 〜 橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』より

 橋本健二著『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書,2020)を読み終えた。少し前のピケティを思い出させる本だが、本書が河出ブックスから最初に出たのは2009年で、ピケティよりも早い。経歴も、主流派経済学から始めたピケティとは対照的に、マルクス主義の立場から研究に入った人ではないかと推測されるが、本書では随所にマルクス主義系の研究者に対して容赦ない批判を浴びせるくだりがある。ことに1970年代の日本共産党に対する批判は辛辣を極めている(後述)。著者は、当時の共産党は資本家階級対労働者階級の対立構造しか認めておらず、中間階級の生成を否定し、共産党系の研究者たちに対してもそのような階級観を押しつけたと考えているようだ。ピケティは主流派経済学のあり方を批判し、橋本健二マルクス主義経済学のあり方を批判した結果、類似した地点に到達したかの観がある。随所に小説(太宰治の『斜陽』や松本清張の『砂の器』など)や映画(吉永小百合主演の『キューポラのある街』など、オペラ(「フィガロの結婚」)、流行歌(太田裕美の「木綿のハンカチーフ」)、漫画(「サザエさん」)などに言及するスタイルは、古くはマルクスバルザックの小説への言及)、比較的最近ではジョン・ダワーを想起させるし、もちろんピケティ(オースティンやバルザック*1の小説への言及があるとも共通している。

 

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 本書の "「もはや戦後ではない」 - 1950年代" と題された第4章で、1950年代には日本社会において格差が拡大したことが指摘されている。

 1950年代における格差拡大の大きな要因として、当時の政府(吉田茂政権)の傾斜生産方式によっていち早く業績が回復した重厚長大産業の大企業と、零細企業との間で賃金格差が拡大したことが挙げられている。格差拡大は、今世紀に入っても、特に小泉純一郎政権末期の2006年以降の数年間には大いに問題視されたが、1950年代と現在で全く違うのは政府の対応だった。1950年代においては日本政府も格差拡大を「個人消費を減退させて経済政策の桎梏になりかねない」(1958年版「経済白書」)と警告して、「かなり突っ込んだ政策提言を行ってい」た*2。前記1958年版「経済白書」は、格差拡大の要因として、第一に、個人所得の増加が法人所得の増加を大きく下回っていること、第二に、個人所得のなかで賃貸料、利子所得など財産所得の比率が増加していること、第三に、企業規模間・従業の地位間・職業間など、階層間の格差が拡大していることを挙げ、所得格差の拡大が国内消費市場の成長にブレーキをかけて戦後経済成長の原動力の一つを弱めているとして、「中小企業就業者あるいは零細農家など低所得階層に対しその所得を引上げ、購買力の補給をはかることは、単なる社会正義の観点からのみではなくて、十分な経済的理由を持っているともっているといわなければならない」と書いているという*3。これを読んで私が感じたことが、本書のすぐあとの部分に書かれていた。以下に引用する。

 

この現状診断と提言はかなりの危機感に満ちており、説得力がある。しかもその多くは、格差が拡大する一方で消費は拡大せず、不況から抜け出すことのできない21世紀の日本にも通ずるものである。「もはや『戦後』ではない」*4から始まる、これら一連の白書は、『経済白書』が明確な歴史認識のもと、庶民の立場から書かれ、庶民のための政策を提言した時代の記録である。同時にそれは、深刻化する格差と貧困が、けっして戦後復興という自動的プロセスによっては解決できない問題であることを明らかにしたのだった。

 

橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書,2020)151頁)

 

 1956〜58年といえば、保守合同で成立した自民党政権初期の頃で、総理大臣は鳩山一郎石橋湛山岸信介と続いた。この中で岸信介安倍晋三の母方の祖父として、あるいはA級戦犯容疑者として悪名高いが、岸は国家社会主義者だったため、今でいう新自由主義のような経済政策はとらなかった。

 「経済白書」にこのようなことが書かれた時代があったとは、現在の感覚からすれば信じられない話だ。

 本書は第5章以降最後の第10章まで、1960年代〜2010年代を扱っているが、痛恨だったのは日本で格差が縮小した1970年代に既に格差拡大の種が蒔かれていたことに対して、革新系の政党や論者たちが鈍感だったことかもしれない。第6章第5節には「伝統的マルクス主義の不毛」というタイトルで、当時の日本共産党共産党系の学者たちが厳しくこき下ろされている。著者曰く、「資本主義の搾取と支配を問題していたはずのマルクス主義者たち」は「全く無力な存在と化していたという他ない」。当時の日本共産党は「新中間層」の生成を認めず、これを唱える学者たち厳しく批判した。これを受けてか、以前は労働者階級と新中間層とを区別していた大橋隆憲(1912-1983)のような学者も、自説の修正を余儀なくされた。これらの結果、「マルクス主義者たちは、『共産党宣言』に書かれたとおりの両極分解論に固執し続け、このことがマルクス主義理論のみならず、階級という概念自体の有効性さえ疑問視されるようになる原因となった」と著者は厳しく批判する*5。 その後も、マルクス経済学者の馬場宏二(1933-2011)が「会社主義」を絶賛する*6など、迷走が続いたようだ。

 その間に、日本のエスタブリッシュメントのみならず、新中間階級の間にも新自由主義の思想が浸透していった。バブル全盛期の1988年の「国民生活白書」には、多くの国民は格差拡大を感じているものの、「個人の努力や選択によって生活に格差があるのは当然」と考えており、「格差であれば何でもいけない」と考えているわけではない、このことは国民の格差に対する意識が「成熟化」してきているものを示すものだ、などと、30年前の「経済白書」とはかけ離れたことが書かれるに至った*7。1988年といえば、長く続いた中曽根康弘政権のあとを受けて竹下登が政権を担っていた頃だ。この頃の自民党政権は、もうすっかり新自由主義化していたのであって、自民党政権ネオリベ化は何も「コイズミカイカク」で始まったものなどではない。

 小泉純一郎は単にその仕上げをしただけだ。小泉が2006年2月1日の参議院予算委員会で「格差が出るのは別に悪いこととは思っていない」とか「貧困層を少なくするという対策と同時に、成功者をねたむ風潮とか、能力のある者の足を引っ張るとか、そういう風潮は厳に慎んでいかないとこの社会の発展はないんじゃないか」などとと開き直った一件は本書にも出てくるが*8、それに至るまでに1986年の労働者派遣法の施行と1999年と派遣労働の原則自由化と2003年の製造業への派遣労働の解禁という二度にわたる大きな「改正」*9があり、その間には1995年に日経連が出した「新時代の『日本的経営』」の報告書があった。著者がこの日経連の報告書以上に重視するのは、1999年2月に「その後の日本の運命を決定づけたといってもいい答申が発表された」*10と書く、経済戦略会議の「日本経済再生への戦略」だ。以下本書から少し長めに引用する。

 

 答申によると、日本の経済成長を妨げている最大の原因は「過度に平等・公平を重んじる日本型社会システム」である。このようなシステムのもとでは、「頑張っても、頑張らなくても、結果はそれほど変わらない」から、人々は怠惰になったり、資源を浪費したりする。だから日本経済を再生させるためには、「行き過ぎた平等社会」と決別し、「個々人が自己責任と事故努力」をベースとした「健全で創造的な競争社会」を構築することが必要だ――。答申は、このように主張している。

 この答申は、これまでの日本が「過度に平等・公平を重んじる」社会だったという証拠を、何ひとつあげていない。しかも会議が発足した98年には、経済格差はすでにかなりの程度に拡大していたし、当時入手できた統計からも、すでに90年代前半までに格差が拡大していることは容易にわかったはずである。おそらく会議のメンバーたちは、「日本は平等な国」「一億総中流」という俗説を単純に信じていたか、でなければ、事実に反すると知っていながらこの俗説を利用したのだろう。

 このように経済戦略会議は、根拠も示さずに日本の社会を「過度に平等」だと決めつけ、さらに格差を拡大する方向に政府を誘導していった。会議はさまざまな政策を提案したが、そのなかには先に触れた派遣労働の原則自由化*11や、「努力した人が報われる公正な税制改革」と称する税体系の変更、具体的には所得税最高税率の引き下げと課税最低限の引き下げによる、富裕層の減税と低所得者増税が提言されている。この意味で経済戦略会議は、格差拡大を助長するその後の政府の政策を主導したということができる。

 しかし、それ以上に重要なことがある。それは、経済政略会議のこの答申以降、日本社会が「過度に平等」だというのが、いわば政府の公式見解となったため、政府が格差拡大の事実を直視することはなくなり、また格差拡大を食い止めるような政策が実行される可能性もなくなってしまったということである。

 その効果は、90年代の終わりからはっきり現れ始めた。

 

橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書,2020)290-291頁)

 

 本書には書かれていないが、この経済政略会議の議論を主導した人物は、あの竹中平蔵である。あまりにも汚らわしいのでリンクは張らないが、竹中には『経世済民 - 「経済戦略会議」の一八〇日』(ダイヤモンド社)と題された著書がある。180日というのは、橋本龍太郎参院選に惨敗した責任を取って内閣総辞職した後に成立した小渕恵三内閣の下で諮問会議が設置されてからわずか半年間で提言をまとめたことを意味する。時に1999年。「ノストラダムスの大予言」は当たらなかったが、この年に小渕恵三竹中平蔵はとんでもないことをやってくれた。それでなくても新自由主義に走りつつあった日本に、決定的な惰性力を思いっきりつけてくれたのだった。上記答申の主張は、1958年の「経済白書」とは逆向きのベクトルを持っているといえる。

 本書を締めくくる第10章の末尾に、著者は米田幸弘の指摘に言及しつつ、自民党と同党支持者の変質を指摘しているので、以下に引用する。

 

 (前略)所得再分配政策を支持する傾向と支持政党との関係が強くなったのは、比較的最近のことらしい。1995年から2015年までのSSM調査データを比較分析した米田幸弘によると、かつて自民党支持率は、年齢(高齢になるほど高い)、職業(自営業者で高く、被雇用者で低い)、生活満足度(満足しているほど高い)、などと強く関連していた。ところが2015年になると、これらの関係がどれも弱くなり、ただひとつ格差容認傾向(「今後、日本で格差が広がってもかまわない」)との関係だけが飛躍的に強くなっている。つまり2015年までに、自民党はあらゆる年齢層と階層から、格差を容認する人々の支持を集める政党になってしまったらしいのである*12

 

橋本健二『〈格差〉と〈階級〉の戦後史』(河出新書,2020)372-373頁)

 

 背筋が凍るような話だが、これが今の自民党と同党の支持者のあり方だ*13。確かに、先々月の自民党総裁選でも、3候補の中で飛び抜けて過激な新自由主義者である菅義偉*14への雪崩現象が起きた。政治家は支持者の望む政治しかできない。今の菅義偉はそれをやろうとしている。

 こんな菅政権は一日も早く打倒しなければならない。

*1:本のタイトルとともに、マルクスを意識したものであろうことは明らかだが、ピケティはマルクス主義とは無縁の人だ。

*2:本書150頁

*3:本書150-151頁

*4:1956年版「経済白書」に書かれた=引用者註。

*5:本書239-240頁

*6:本書274頁

*7:本書264頁

*8:本書330頁

*9:本書287頁

*10:本書289頁

*11:これを決めた1999年の派遣法「改正」には民主党社民党も賛成した。これらの政党の格差の問題に対する認識の甘さを示すものだ。特に民主党は、1996年の旧党及び1998年の新党発足当時には、自民党以上に新自由主義色の強い政党だったばかりか、郵政総選挙で自民党に惨敗した2005年には前原誠司が党代表に就任し、新自由主義色をさらに強めた。なお派遣労働の製造業への解禁を決めた2003年の「改正」には民主党社民党も反対した。=引用者註

*12:米田幸弘「自民党支持層の趨勢的変化」=原註

*13:但し、大阪だけは違うかもしれない。自民党以上に過激な新自由主義路線をとる大阪維新の会が存在し、大阪の地方政治を牛耳っているからだ。

*14:菅は前述の竹中平蔵と昵懇で、竹中を自政権のブレーンに迎え入れた。また菅は維新とのパイプも太い。維新が主導して大阪市廃止と特別区の設置を求めた住民投票に反対した自民党大阪府連は、菅らによって冷や飯を食わされている。