kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「共産党アレルギー」の原因は「社公民路線」ではなく、「社公民路線」は1970年代の共産党躍進の流れに抗する「空しい抵抗」に過ぎなかった/立憲民主党は右手で連合と、左手で共産党と握らなければならない

 昨日の下記記事にいただいたコメントより。

 

kojitaken.hatenablog.com

 

 Lastanswer

共産党アレルギーというのは、右派の人々全般にありますよね。私見ですが、その底流は何かと考えると80年代の『社公民路線』ではないかと思います。40年経過し、小選挙区制が一般的になってポピュリズム新自由主義が台頭し、目指した中道政治そのものが破綻した敗北感が本質ではないかと思います。
連合の共産党アレルギーは深刻です。
立憲民主党は、連合が全労連と和解する気がなければ、連合支援を断るのは勿論、連合傘下の候補者を受け入れてはいけないと強く思うところです。連合の支援を切って、無党派層に本気に向きあって政策を打ち出すことで、初めて、政権担当能力が備わった政党と言えるのはないでしょうか?共産党アレルギーは、若年者がコロナで重症化しないと考える位、荒唐無稽であるのです。

 

 申し訳ありませんが、そのご見解には同意できません。

 私は1970年代に少年時代を過ごしましたが、当時から社会党共産党とではなく公明党民社党と組み、さらには自民党とも組むことが増えていました。その典型的な例が自民党が東京都政と大阪府政を奪還した1979年の統一地方選で、その前年の京都府知事選が大きな契機になりました。社公合意の成立は1980年早々でした。

 しかしこれは、70年代の共産党の躍進に社会党が危機感を持って、共産党に対抗するために、共産党に対して「怖い」「危険思想」といった言葉が反射的に返ってくるような人たちに揉み手ですり寄り始めたことが原因です。これは、長期的には社会党衰退の原因になりました。単なる「反動」に過ぎなかったからです。

 つまり、「社公民路線」の背景にあった70年代の共産党の躍進は、1955年の六全協共産党が暴力革命路線から訣別して以来、人々の共産党アレルギーが徐々に薄れていくにつれて同党が勢力を増していったのが、一気に流れに乗って勢力急増につながったものですが、それに対する反動でしかありませんでした。

 いくら共産党アレルギーを持つ人たちに媚びても、彼らは社会党ではなく自民党に投票するだけであって、社会党自民党に馴れ合う傾向を強めると、その後に現れた新生党新進党民主党自由党のように、立ち位置は社会党より右で、下手すれば一時期の新進党(や自由党)のように、自民党よりも右ともみられかねない政党と比較しても選ばれなくなります。その後も自民党にすり寄ろうとして失敗する政党はあとを絶たず、現在進行形でいえば国民民主党がそれに該当します。

 つまり、「社公民路線」は人々の共産党アレルギーが薄れていったことに対する反動に過ぎず、人々に共産党アレルギーを生じさせた原因では全くありません。

 共産党アレルギーの原因は、戦前の非合法化と弾圧時代に政治権力によって植えつけられたことと、戦後の一時期の暴力革命路線によるものでしょう。その種は既に1955年に摘み取られているため、現在も本当の「共産党アレルギー」を持ち続けているのは80代以上の人たち*1にほぼ限られます。その他の、現在共産党に対する敵対心をたぎらせている人たちが持っているのは、イデオロギー的な対抗心であって、それは「アレルギー」とは性質が全く異なります。簡単に言えば、「敵意」と「忌避心」の違いです。私が言いたいのは、人々の共産党に対する「忌避心」に訴えたい、あるいは人々に共産党に対する忌避の信条を植えつけたいと考える彼らのやり方は、現在では通用しないということです。

 昨日(9/10)も某弁護士が「共産党は暴力革命路線を廃止していない」とTBSのワイドショーで叫ぶなど、「暴力革命」のイメージで共産党を貶めようとする人士たちがあとを絶ちません。しかし八代某の暴言等が人心に訴えることはほとんどありません。

 私は共産党の最大の問題点は民主集中制だと考えていますが、同党が「民主集中制をとっている共産党だけは絶対に嫌だ」という人は、私を含めてほとんどいないでしょう。共産党民主集中制を批判するような人の大部分は、たとえば森永卓郎などがその典型ですが、共産党よりも自民党に対して、もっとずっと強い批判を持っています。

 昨日の八代の暴言は、右翼仲間以外の一般人に対する影響力をほとんど持たない極右弁護士による、大きな流れに対する空しい抵抗に過ぎません。

 なお、立憲民主党は連合を切れとのLastanswer様のご主張にも私は同意できません。大きな時代の変化における過渡的な政治勢力であると私が位置づけている立民には、自民党から政権を奪取して、2009〜12年にやった失敗を繰り返すことなく、非自民政権を定着させる歴史的使命があります。そのためには、右手で連合と握り、左手で共産と握ることが欠かせません。敵は政権を維持するためには何でもやる自民党ですから、それから政権を奪い取るためにはしたたかさが欠かせません。

*1:たとえば今年80歳になる/なった人は1941年生まれですが、前記の六全協は彼らが14歳になった1955年でした。