下記のツイートには全く同意できない。
見に行く精神力がないのだが、ヤフコメで天皇制廃止論が盛り上がってるらしくて、言うこと聞かないなら殺してしまえみたいな世論まじでこえーなーって思ってる。
— ROOTSY (@rootsy) 2021年9月30日
逆だろ。「言うこと聞かない」小室氏と眞子氏を、右翼や天皇制支持者たちが社会的に抹殺しようとしているようにしか私には見えない。私が本当に怖いと思うのは、上記ツイートに典型的に見られるような、自分たちが無条件で信奉している天皇制というイデオロギーがもたらす災いを直視する勇気を持てず、反対者を「こえーなー」と言ってしまえる人たちの心のありようの方だ。
そういえば、日曜日夜に地下鉄に乗ってたら、週刊新潮の広告に「『ローマの休日』アン王女になれなかった『眞子さま』」という文字が躍っていた。佐藤綾子とかいう「ハリウッド大学院大学教授」の名前がクレジットされていた。
どんな記事なのかは全く知らないが、私は一昨日以来、あの映画で "Roman Holiday" つまり「他人の犠牲において楽しむ娯楽」を享受したのはアン王女なのか、それともアン王女は「他人の犠牲」になった側なのかとずっと考えていた。
2009年に呉智英が産経新聞のコラムに、『ローマの休日』という映画の邦題は
正しくは『はた迷惑な王女様』か『王族のスキャンダル』としなければならない
と書いたが、これを文字通りの意味にだけとって良いのかどうか、ということだ。呉智英のコラムは、産経の記事がリンク切れしているが、当時の下記ブログ記事に引用されている。
しかし、映画の観客が享受しているのは明らかに「『他人の犠牲』になった王女の失恋」だろう。つまりそこには明らかなダブルミーニングがある。もちろん虚構としてではあるが*1、「他人の犠牲において楽しむ娯楽」には違いない。そして映画の背景にはアメリカの「赤狩り」があり、ウィリアム・ワイラー監督がそれに対する抗議の意味合いを映画に込めていたことはよく知られている。
"Roman Holiday"、つまり王女が「他人の犠牲において楽しむ娯楽」を享受した一連の行動のクライマックスはサンタンジェロ城だが、ここには牢獄がある。王女には翌日以降「人生の牢獄」に戻る日々が待ち受けていたともいえる。
この映画が1950年代前半のアメリカでは興行成績が悪かったのに対してイギリスやヨーロッパでは良かったことと、前記の映画製作の背景に関係があるかどうかは知らない。
上記でリンクを張ったブログ記事によると、映画に隠れたメッセージを込めた例は『カサブランカ』にもあるらしい。以下引用する。
私の知っている、こういう「あっちの人にはわかる寓意があるだろうけど、説明なしではわからない」ネタとして、鴨下信一氏の本で読んだ「カサブランカ」の話があります。
あの、心ならずもフランスの対独協力政権に協力している警察署長さんは、最後にミネラルウォーターのびんを投げ捨てるが、そのウォーターは水どころとしても知られる、対独協力政府の本拠地「ヴィシー」の水だそうだ。
つまり、署長はこれから、その対独協力姿勢を投げうち、レジスタンス側にたつ・・・ことを暗示しているんですって。
眞子氏と小室氏の話に戻ると、佐藤綾子やら安積明子やら右翼やら天皇制支持者たちやらは、眞子氏が "Roman Holiday" を楽しんだとしてご立腹なのだろうが、私には彼らこそ "Roman Holiday" を享受する憎むべき敵であるとしか思えない。
[追記]
この記事で取り上げたツイート主が下記のツイートをリツイートしていた。
俺が眞子さんの立場だったら仮に小室さんのこともう嫌いになってたとしてもとりあえず結婚するね。すぐ離婚するとしても結婚する。だって皇族だからあれこれ指図できると思ってる頭のおかしいハラスメント加害者が推定幾千万もいるんだから結婚して皇族やめる一択じゃん。 https://t.co/BP4vE7byC2
— ystk (@lawkus) 2021年10月1日
もしかしたら今回の記事は「誤射」の類なのかもしれないが、とりあえずこのまま公開しておく。