kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「野党共闘」について論じた下山進氏のコラム(「サンデー毎日」)には全然感心しなかった

 黒川滋氏のツイートより。

 

 

 ツイートからリンクされたサンデー毎日のコラムは、1994〜96年*1の自社連立政権に言及している。

 だが1994年と2015年(共産党を含む「野党共闘」が始まった年)とは状況が違う。1994年に自民党は追い込まれていたわけではない。相変わらず第一党だったが、1993年の衆院選のあと、自民と日本新党で連立政権を組む構想があったのが、その橋渡し役になるべき後藤田正晴が入院していたために自民党日本新党とのパイプが細かったところを小沢一郎に突かれて7党連立政権の成立を許しただけだった。ところがいざ細川政権ができると、三度の飯より権力闘争が好きな小沢が社会党とさきがけを邪険にして社会党が連立を離脱したために、その隙を今度は自民党が突いたものだ。

 2015年はその状況とは全く異なり、小沢の尽力で衆院選に導入された野党は、もはや「共闘」しなければ選挙を戦えなくなったので「野党共闘」が行われた。これにも小沢一郎が関与していたとされる。「大きな塊」を作るのが小沢の持論で、これはそうしなければ小選挙区制の選挙には勝てないからだ。

 この「塊」を解体すると、自民党には非常に都合が良い。労せずして毎回の衆院選に圧勝できるようになるからだ。だから、コラムで批判された読売新聞が「野党共闘」を解体しようと躍起になっている。

 月刊『Hanada』に載った松井孝治の文章など、その引用部分を読んでも、現在の政治の状況と何の関係があるのかさっぱりわからない。

 また、コラム末尾に書かれた社公合意(1980年)も現在の状況とは全然違う。あれは、1972年の衆院選で躍進した共産党が、1976年の衆院選では戦術を誤って大敗したものの得票率は減らしておらず、1979年の衆院選で1972年の躍進時をさらに上回る議席を獲得したことに危機感を抱いた社会党が「社共共闘」を放棄して「社公路線」に走ったものだ。つまり、自党の主義主張よりも、共産党との差別化を強調するという手前勝手な路線に社会党が走ったものであって、当然のようにその後の社会党は凋落の一途をたどった。これは当時の社会党の自業自得でこそあれ、「野党共闘」に追い込まれた10年代半ば以降の野党が置かれた状況とは全く異なる。

 つまり、80年の社公同意や94年の自社さ連立政権時代との「差異」こそ問題にされるべきであって、現在は今回の衆院選によって自民党の独裁をさらに進めるような惰性力をつけてしまったところに、80年代や90年代どころではない、本当に深刻な問題があるのだ。

 私には、下山進氏のコラムは「良い記事」どころか「ノーテンキな記事」としか思えなかった。

*1:コラムには「98年」とあるが正しくは96年だろう。同年11月発足の第2次橋本龍太郎内閣では、社民党とさきがけは連立内閣から外れて閣外協力に回ったからだ。