kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

「野党共闘」が同調圧力になってしまってはダメ

 「野党共闘」が同調圧力になってしまってはダメだ。

 なんのために別々の政党に分かれているのか、なんのために「野党共闘」をするのかをよく考えずに「まず『野党共闘』ありき」で物事を考えるという硬直した態度こそ独善そのものであって、だから「野党共闘」への支持が伸びないのだ。

 別々の政党に分かれているのは、もともとは主義主張や思想信条や掲げる政党が違うからだ。民主・民進系のように、小選挙区制に対応して「大きな塊」を作るために考えに幅がある人たちが寄り集まっている政党もあるし、自民党のように権力の維持そのものが自己目的化していて、かつては考え方に幅があったものの現在は右翼(極右)新自由主義でまとまりつつある危険な政党もあるけれども。

 そして、なんのために「野党共闘」をするのかというと、衆院選小選挙区参院選の一人区で、これをやらなければ権力の維持が自己目的化している自民党に勝てないから「共闘せざるを得ない」のだ。そして妥協がなければ「共闘」はできないから「野党共闘」には比例票を減らすなどのデメリットもある。

 それでも「野党共闘」をやらざるを得ないのは、小選挙区制という民意を正しく反映しない選挙制度をとっているからであって、この選挙制度比例代表制で当選者数の大枠を決める制度に再改変することを長期的な目標にする、そのくらいのことはもういい加減「野党共闘」を構成する政党の間で合意がなされて然るべきだ。しかるに、選挙制度のことを言い出しただけでパブロフの犬の条件反射みたいに「現実的でない」と言い出す人たちが野党支持者の中にも多すぎる。惰性力の悪弊だとしかいいようがない。

 選挙制度に関しては、小沢一郎に忖度して何も言えないという論外の人間も少なからずいる。そういう人間に限って「野党共闘」を強要する同調圧力を強くかけたりする。

 そんな同調圧力にはうんざりだ。一人でも多くの人が自分の意見を自由に言い合うようになれることを強く願う。