kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

海部俊樹死去

 失礼ながら、訃報に接して「○くて○○」なあの人か、と思った。

 以下、悪いが「死者に鞭打たせて」いただく。まず朝日新聞デジタルの訃報記事より。

 

www.asahi.com

 

海部俊樹元首相が死去 91歳 湾岸戦争時に首相、政治改革に意欲

2022年1月14日 9時42分

 

 海部俊樹(かいふ・としき)元首相が9日死去したことが分かった。91歳だった。1989年8月から91年11月にかけて首相を務め、政治改革に意欲を示した。衆院当選16回、在職48年を数えた。2009年の総選挙で落選し、政界を引退していた。

 名古屋市生まれ。60年の初当選時から三木派・河本派と弱小派閥に属したが、故・竹下登元首相らとも気脈を通じた。宇野宗佑政権が89年夏の参院選リクルート事件や女性スキャンダルなどへの世論の反発から敗北した後、旧竹下派の支持を得て首相に就任した。

 

朝日新聞デジタルより)

 

出典:https://www.asahi.com/articles/ASQ1G342SG9VUTFK008.html

 

 海部俊樹というと「三木派の恥」あるいは「三木派の名折れ」という印象が異常に強い。いうまでもなく、首相時代に小沢一郎にリモコンされていたからだ。記事のタイトルにある「政治改革」という文字を見ただけで虫酸が走る。だいたいにおいて「改革」と名のつくものにろくなものはないが、1990年代の「政治改革」とは小選挙区制を軸にした小沢の構想の具現であって、現在の日本の政治をここまで悪くした元凶だ。記事によると海部は竹下登と「気脈を通じた」とのことだが、その頃から腐敗していたようだ。

 同じ朝日新聞デジタルが報じた下記小沢のコメントは、私には皮肉にしか見えなかった。

 

www.asahi.com

 

小沢一郎氏「人間性に魅了された」 死去した海部元首相を追悼

2022年1月14日 12時15分

 

 海部俊樹元首相が死去したことを受け、海部政権で自民党幹事長を務めた小沢一郎衆院議員(立憲民主党)は14日、自身のツイッターに「心からご冥福をお祈り申し上げます」とのコメントを投稿した。

 小沢氏は「海部先生には幹事長としてお仕えし、日々共に難しい問題と格闘していた当時が思い出されます。先生は常に国民を第一に思いやる温かい心を持った偉大な政治家でした。雄弁でユーモアセンスも抜群で、誰からも愛されました。いつもその人間性に魅了されていました」とした。

 

朝日新聞デジタルより)

 

出典:https://www.asahi.com/articles/ASQ1G41JVQ1GUTFK00D.html

 

 小沢の言う「人間性に魅了された」とは、「○くて○○」な人だから操りやすかったという意味ではないのか。

 そういえば1994年の首班指名で、「自社さ」の村山富市に対し、自民党に属していたはずの海部が小沢に担がれた時には驚き呆れた。小沢にとっては海部ほど担ぎやすい御輿はなかったのだろう。あの時には小沢に担がれた海部の再登板だけは勘弁してくれと思った。だから村山政権発足には安堵したのだが、同政権も結果を出したとは言い難かった。しかし、阪神大震災の時の首相が海部俊樹だったとしたら、また小沢が迷走するなどしてろくなことにはならなかったのではなかろうか。2011年の東日本大震災と東電原発事故の時には、そんな難局だったのに小沢一派は「菅おろし」に明け暮れた。それが今に至る民主党政治勢力に対する人々の忌避感に直結している。

 

 

 海部は湾岸戦争時には自衛隊を送らなかったかもしれないが、湾岸戦争後の後始末として海自の掃海艇をペルシャ湾に派遣しており、これが自衛隊初の本格的海外派遣だった。以下東京新聞より(共同通信配信)。

 

www.tokyo-np.co.jp

 

海部元首相が死去 湾岸戦争巡り自衛隊初派遣

2022年1月14日 12時33分 (共同通信

 

 元首相の海部俊樹(かいふ・としき)氏が9日午前4時、老衰のため東京都内で死去した。91歳。名古屋市出身。葬儀・告別式は近親者のみで行われた。喪主は長男正樹(まさき)氏。

 湾岸戦争を受け、1991年に自衛隊初の本格的海外派遣として機雷を除去する海上自衛隊掃海艇をペルシャ湾に送った。リクルート事件で政治不信が高まる中、目標に掲げた政治改革を実現できず、退陣に追い込まれた。

 リクルート事件で竹下内閣、女性スキャンダルなどで宇野内閣が相次ぎ倒れた後、89年8月に第76代首相に就任した。昭和生まれ初の首相だった。

 

東京新聞より)

 

出典:https://www.tokyo-np.co.jp/article/154164

 

 海部俊樹は、功罪相半ばするというより、罪の方がずっと重い政治家だった。