「江戸西」氏のツイートより。
戦争体験者であるナベツネさんの強い意向が働いていたのか、読売新聞は歴史修正主義と一線を画してきたし、先の大戦検証でも力作記事が多いのですよ。それが産経同様に「歴史戦」というワードを使うようになったことに、彼の人の威光低下を感じてしまうのですが
— \江戸西/ (@hitetsugisou) 2022年1月30日
ナベツネもう95歳だよ。そりゃしょうがない。今年5月で96歳ってことはナベツネは寅年生まれか。とんだ「猛虎」だな。寅年には過去読売の優勝は一度もない。残念ながらヤクルトの優勝もないが。前回(2010年)は中日、1998年は横浜、1986年は広島、1974年はまた中日で、1962年にやっと阪神が出てくる。1950年は松竹で、一リーグ時代の1938年が春季大阪タイガース、秋季が東京伏字球団、ここで初めて出てくるが年度優勝決定戦でタイガースに負けているので伏字球団は年度優勝はしていない。
リンク先にあるナベツネと長嶋の写真を見ると、時の流れを感じる。
上記リンク先からナベツネの言葉を一部引用する。
確かに「優勝しそうな顔」をしてたねえ。ふっふっふ。
なお、最初に掲げた江戸西氏のツイートについた反応には一部事誤解があるかもしれないので指摘しておく。
子供の時大阪の大丸で毎夏やってた読売新聞主催の戦争展にいつも連れていかれたおかげで反戦主義者になったのに・・・という思いはありますね。
— 積極的個人主義者 (@windsanotherbl1) 2022年1月30日
大阪読売の黒田軍団肝煎りの企画でしたね
— \江戸西/ (@hitetsugisou) 2022年1月30日
そういう教育をしてくれた親には感謝です。
— 積極的個人主義者 (@windsanotherbl1) 2022年1月30日
そりゃ当時の大阪読売は確かにそうだったけど(私が読んでいたのは大阪朝日だったけど当時の大阪読売が出した戦争の単行本を立ち読みしたことがある)、ナベツネは「黒田軍団」を潰した元凶ですよ。魚住昭の下記著書に詳しい。
読売を保守新聞にした元凶もナベツネだからね。奴が論説委員長に就任した1979年を境に、読売はそれまでとは別の新聞になった。それでもしばらくは大阪読売の独自色は残ってたけど、いつしか東京本社版と代わらない「ナベツネ新聞」になってしまった。これが歴史的事実です。
ナベツネにはわずかばかりの「光」と巨大な「陰」があるってことです。後継者たちにはそのわずかばかりの「光」さえないけど。