kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

三浦瑠麗の安倍の「国葬」と天皇の大喪の礼との比較は図らずも安倍の国葬で安倍を天皇と並ぶ権威化したいという意図をポロっていて、逆にすごい(by kazukazu88氏)

 三浦瑠麗という人は軽佻浮薄な「電波芸者」の見本だと思う。

 奴は子ども時代には政治に全く無関心だったのだろう。それは例の「たいものれい」の誤読から容易に想像がつく。三浦は進学でも理工系を志望していたようだ。それが東大で数学や物理で落ちこぼれたためか農学部へと転じたが、結局農学部でもものになりそうになかったところを、文系の分野で権力に媚びへつらったら出世できることに気づいてその道を邁進し現在に至るのではなかろうか。もちろん三浦に確たる思想信条などあろうはずもない。ただひたすら軽蔑の対象とすべき人間だ。

 下記ツイートがそんな三浦の本質を言い当てているのではないか。

 

 

 三浦には、自らが寄りかかることができる権威が必要だということだ。

 「本来ならばこういう政治的動きに反対しなければならない」はずの「保守」たちが三浦に反発しないのも、彼らもまた三浦と同じ穴の狢だからであろう。