kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

外国の侵略によってではなく無能な政治権力に強要された「総力戦体制」など受け入れられるはずがない

 なにやら、軍事費倍増に伴う増税の実施前に解散総選挙を行うとの話が出てきたようだが、少し前から気になっているツイートを記録しておく。

 

 

 なぜか上記ツイートへの反応が全然ないのだが、これって2013年(日本では2014年)に出版された『21世紀の資本』でトマ・ピケティがさんざん書いていた、戦争による富の平準化の話だよね。ピケティは戦争のような破壊によらない富の平準化を目指してグローバルな資産課税を提唱していたと記憶するが、(少なくとも日本では)ピケティの著書が商品として消費されただけにしか見えなかったのは一大痛恨事だったと思っている。

 

 

 ウクライナは「大国に侵略された国」だからね。

 

 

 ベトナム超大国に侵略された国だ。

 

 

 「限界系」という用語を私は拒否するけれども、「左」の一部である共産趣味者たちや「右」も「左」もない「どちらかといえば右派ポピュリズム政党」である×××新選組*1などが「民主主義の敵」にほかならないことは確かだ。アメリカでも共和党(というかトランプ系列)は親ロシア・反ウクライナだし。

 ここまでは良い。問題は上記3件に続く下記のツイートだ。

 

 

 リンク先の論座のサイトは有料なので後半が読めない。従って後半は読んでいない。下記はその前提で書いた感想。

 戦時中の総力戦体制で日本でも平等化が劇的に進んだことは、ピケティの著書が出る前から戦時中の日本で所得税の累進制がドラスティックに強められたことや物資の供出が強要されたこと(その負担は当然ながら「持てる者」ほど重かったはずだ)等から知っていたが、「日本の場合は総力戦の国民体験がネガティブなものになった」のは当たり前であって、日本はウクライナやかつてのベトナムのように大国から侵略されたわけではなく、国内で権力を持っていた近衛文麿だの東条英機だの軍部だのにさんざん痛めつけられたからだ。2010年以降私が住んでいる東京東部など、まさに「棄民の地」以外の何物でもなく、私の現住所とほとんど違わない場所での出来事が、今年亡くなった早乙女勝元氏の『東京大空襲』(岩波新書, 1971)に記述されていた。なお早乙女氏のこの本は当地に来てから地元の図書館で借りて読んだ。2010年代前半の第2次安倍内閣の頃だったと思う。

 現在の岸田政権も防衛費(軍事費)増額の財源として戦時中と同様の「持てる者から負担をお願いする」方向性を持っているとは推測されるけれども、「まず金額ありき」の軍事費総額の内実はアメリカの軍需産業への利益供与に過ぎず、日本国民の窮乏化をもたらす効果しかないことは自明だと思われる。これでは先の戦争中と同じように、いくら富の平準化が進もうが、自国の無能な権力者たちによって「健康で文化的な最低限の生活」が脅かされることは明らかだ。だから「富の平準化が進むのだから総力戦体制を受け入れろ」と言わんばかりの上記ツイート(少なくとも私にはそのように読めた)に強い抵抗を持った次第。

 無能な政治権力に強要された総力戦体制など受け入れられるはずがないではないか。

*1:元号は弊ブログの使用禁止ワードに定めているため、それに抵触する政党名の一部を伏せ字にしている。