kojitakenの日記

古寺多見(kojitaken)の日記・はてなブログ版

今の日本共産党に求められるのは「グラスノスチ」ではないか

 権力の源泉はいくつかあるが、人事権を有することとともに重要なのが情報の独占及び寡占だ。トップ・シークレットという言葉があることからもわかる通り、これは簡単になくなるものではないが、時代の変遷とともに個々人がさまざまな情報に容易にアクセスできるようになっていることはいうまでもない。

 その情報革命が組織の統治機構における中央集権を揺るがしているのが現在の共産党ではないか。話題の松竹伸幸氏の本を読みながら私が思ったのはそういうことだ。

 一時的田村智子が理解を示して後日撤回した(させられた)ウクライナへの防弾チョッキ供与の件など、幹部から一時そんな発言が出たことから推測できる通り党員の間でも意見は分かれているのだろうが、特に安全保障問題ではそういう論点はいくつもあるに違いない。たとえば志位和夫が打ち出した「自衛隊活用論」への否定的意見が党内にどれくらいあるかを知っているのは党の執行部だけで、ヒラの党員は知ることはできない。こういう情報へのアクセス権の非対称性はどんな組織にもあるが、そのガードが非常に堅かったのが共産党だ。

 その共産党の場合は自らSNSを推奨してきたらしい。現在党員資格を制限されているという南あわじ市議会議員・蛭子智彦氏のツイートより。

 

 

 

 松竹氏の本は途中から安全保障政策の話が長く続くようになって、その部分には同意できないので読むスピードが落ちる、というより中断して他の本を読んだりしているが、氏が党首公選を求める最大の理由は、私の理解では下記の通りだ。

 本来「批判の自由と行動の統一」を意味する民主集中制をとる共産党の内部において、世間一般のイメージとは反して異なる意見を持つ党員同士の活発な議論が行われているが、それが可視化されていないために外部からは見えない。それを可視化するために党首公選を行いたい。そういう論旨だと私は解した*1。たいへん理路整然としていて説得力がある。連日松竹氏を「反党裏切り者」、私を「反共分子」としてうるさく吠え続けるしか能がない某暴犬(いや、本当に頭の悪い奴だなあと思うが犬だから仕方がない)とは大違いだ。暴犬がどんなに吠えても時代の流れは止められない。ご苦労さまとしか言いようがない。

 松竹氏の本の話に戻ると、党内での異論の可視化は党首公選でしか実現できないわけでもないかもしれないが、少なくとも虚心に氏の意見を傾聴する価値はあると思う。

 また、氏がしんぶん赤旗の電子化の推進を求めていたことも印象に残った。紙媒体の赤旗の宅配は党員にとって負担だし、本にも指摘されている通り大手新聞社の発行部数もここ数年激減し、新聞社の情報のアクセスは配達される紙媒体からネット経由に移行しつつある。かつては紙媒体に固執していた私も少し前に毎日新聞デジタルのスタンダード版を契約した。連日大量の記事のお知らせメールが毎日新聞社から届くので、他紙(朝日しか考えていないが)でも同じようになるだろうからメールの振り分けをどうしようかなどと考えており、そのために朝日との契約開始が遅れている(笑)。そんな私のような実例もあることだし、赤旗の契約者を増やせと党員の尻をいくら叩いても高齢化した党員たちを疲弊させるだけであるのは目に見えている。

 まあ変わることができなければ党は衰退するだけだし、実をいえば私にとっては共産党の衰退を食い止めるよりも社民党が党名通りの社会民主主義政党となって本格的に復活してもらう方が重要だったりする。

 そうは言っても共産党が崩壊を食い止めてくれるに越したことはない。現在の日本共産党に強く求められることの一つは「グラスノスチ」ではないかと思う今日この頃。

*1:結局のところ「分派の禁止」が癌なのではないかと思う。日本社会党も1991年まで党規約に民主集中制を掲げていたが、分派禁止の条項はなかった。だから江田三郎も除名されなかった。その代わり江田氏の妻を除名するという嫌がらせが行われたが、これらについては別途記事にしたいと考えているのでここでは深入りしない。