etou minoru氏のツイートより。
ひろゆきとか成田悠輔とかが「尖ってる」みたいな扱いでメディアでチヤホヤされるけど、コイツらみんな「尖る」矛先は社会的に弱い立場にしか向けないじゃん。何が「口にしちゃいけないって言われてることはだいたい正しい」だよ。強者に牙剥いてみろよクソが。 pic.twitter.com/GEt3kfF86P
— eto minoru (@punkisverzet) 2023年2月14日
たかまつななもな。「成たかまつひろゆき」的な言説を持ち上げる悪しき風潮はいい加減に廃れてもらいたい。
ところで、故坂本龍一が生前「ダウンタウン理論」を開陳していたらしい。
以下引用する。
坂本龍一さんが生前投げかけていた大物芸能人への疑問。90年代にはCDプロデュースしたが
4/6(木) 15:45配信
3月28日に坂本龍一さんが亡くなりました。訃報を受けて、坂本プロデュースのラップユニット「GEISHA GIRLS」でコラボしたダウンタウンの松本人志も4月3日に自身のツイッターアカウントで追悼。
<坂本龍一さん。たくさんの楽しい思い出をありがとうございました>と故人を偲びました。
両者の交流は音楽にとどまりません。『ダウンタウンのごっつええ感じ』のコント・アホアホマンでは、坂本さんが松本人志といっしょに前にシミのついた白ブリーフで登場しお茶の間をあっと言わせたのです。
こうして90年代のサブカルチャーを盛り上げた両者。しかし、その後ダウンタウンに対して坂本さんが疑問を投げかけた言葉がいまクローズアップされています。
坂本龍一氏が2001年刊行の対談本で語っていた「ダウンタウン理論」
『永遠の仔』のベストセラーで知られる作家の天童荒太氏との対談本『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』(文藝春秋刊 2001年)での、2000年代前半の殺伐としていた日本社会の空気に関するやり取りです。
まず天童氏が、電車内で少し肩がぶつかっただけで暴力沙汰に発展しそうな“秩序の崩壊”を指摘。この感覚を共有していた坂本氏が、理由のひとつとして挙げたのがダウンタウンなのです。
<僕には、ダウンタウン理論というのがあるんですよ。(中略)ダウンタウン前とダウンタウン後で日本人の心は大きく変わった。>(『少年とアフリカ 音楽と物語、いのちと暴力をめぐる対話』p.117より。以下山カッコは同書より引用)
松本人志がすごい才能で示した日本社会のあり方とは
では、日本社会を様変(さまが)わりさせてしまったダウンタウンの異質さとは何なのでしょうか?坂本氏はこう続けます。
<挑発すべきものがなにもないところでやってるから、パフォーマンスとしての反抗にならざるを得ない。ここ二、三年のダウンタウンの芸って、年下の芸人をいたぶってるだけで、一言で言うと、「どんくさいやつをいじめてなにが悪いの」ってことでしょ。>(p.118)
坂本氏は「僕らの世代」が親になり教師になった結果だと指摘
ここでの坂本氏は明らかにダウンタウン的なものに対して批判的ですが、同時にそれが突然あらわれたのではないことも指摘しています。
<権威に反発して、ルールがないことはいいことだと戦後最初に言ってたのは、僕らの世代なんだよね。いわゆる全共闘世代。いま僕らの世代が親になり、教師になって、そういう子どもを育ててしまってる。>(p.120)
坂本氏はダウンタウンそのものを批判しているのではなく、彼らが生み出されるに至った歴史の過程に、日本の問題点を見ているのです。
善悪や道徳、倫理の問題など自分で考えなければならない本質的な問題に取り組まず、受験対策に代表されるような明確な解答のみを要求する教育の果てに広がる精神の荒廃(こうはい)。
教員による学校教育だけでは不十分だとして、現状をこう分析する。
<やっぱり、親なんだよ。教えられるのは親であり、地域のコミュニティーであり、社会だもん、それが機能していないってことだよね。>(p.84)
本来ならアウトサイダーとして輝くはずだったダウンタウンが主流に
本来ならばアウトサイダーとして輝くはずだったダウンタウンがメインストリームに躍(おど)り出てしまった社会の歪(ひず)み。
一連の発言から読み取れることは、焦(あせ)りにも似た危機感なのではないでしょうか。
だから、これを単に“ダウンタウン批判”とゴシップ的に扱うのはとてももったいないことです。
時代の空気や環境によっていとも簡単に左右されてしまう人々の振る舞い。現在に通じる警鐘として改めて考えたくなる指摘でした。
<文/石黒隆之>
(「女子SPA!」より)
URL: https://news.yahoo.co.jp/articles/122ce2b74be892d2bab5448ee7a06a5d9f238375
正直言って坂本の「理論」にはピンとこない。
大きな時代の変化を(悪い意味で)画したのは1990年代のダウンタウンではなく、1980年のツービート、というよりビートたけしではないかと思うからだ。私は、ツービートの人気が出始めた1980年から今に至るまで、一貫してたけしを激しく嫌い続けている。
ヤフコメにも同案がちらほらあった。
うーん…
後輩をいじって笑いを取っていたのは軍団に無茶をさせてたビートたけしや学生ノリをそのままやっていたとんねるずのイメージが強く、
ダウンタウンは笑ってはいけないシリーズ等も含めて後輩と一緒に自分達も痛々しい笑いを取るイメージがある。
最近はビートたけしもとんねるずもお笑い番組で見かけない事と、テレビでの芸人全般が放送する側のコンプライアンス対策によって、昔の様な危害を加える笑いが減っている事で、
水曜日のダウンタウンのネタ企画からダウンタウンが際立って見えている気がする。
URL: https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16809380416681.28cf.00042
松本の坊主ビフォアとアフターが境目?
面白そうだけど、どうなんかな。
大阪の笑いを全国区にした波及の前後かと思ったが違うな。
もう彼らも旬は彩り過ぎ去り
スピンオフの延長期間で活躍してる気がする。ビートたけしの毒舌が芸能界で汎用化された時に独自の亜流を継げたのがダウンタウンだけだったと言う偶然かな。継ぐというよりは他の人が言うなら自分も言うよと言う前提の便乗。これを社会性とか言うのは評論家や文化人だけでいい。そんな深いものじゃない。
非論理の論理など追いかけてもキツいだけよ。
URL: https://news.yahoo.co.jp/profile/comments/16809419506761.f0a7.00046
そうだよ。大阪の笑いがどうのとか言ってる人たちもいるようだけど、ダウンタウンなんて「東京もん」のたけしの亜流に過ぎないと私も思う。
しかしヤフコメの数々を見ていて初めて認識したんだけど、坂本龍一って80年代や90年代にはずいぶんテレビの芸能番組でつまんないお遊びを色々やってたみたいだね。
それって人生の貴重な時間の無駄遣いだったんじゃないかな、と思った。